太田述正コラム#14528(2024.10.18)
<G・クラーク『ユニークな日本人』を読む(その7)>(2025.1.13公開)
「・・・19世紀中葉、日本は外からの大きな脅威にさらされ、時には攻撃すら受け<、>・・・日本は自らを西欧のイデオロギー国家に対抗しうるイデオロギー国家に変えようとした。
そのための手段として、法律制度や中央政府の理念や、旺盛な帝国主義の野望を輸入した。
なおかつ欧米をモデルにして独自の手段を開発している。
つまり国家宗教と強力な天皇制がそれである。
また同時に、日本は自らのイデオロギーを必要とした。
ただし、そのためには日本は自らの独特な価値観しか利用できなかったのである。
そして結果は惨憺たる混乱であった。
日本は世界のイデオロギー国家が数千年かけて獲得したものを、70年間で自分のものとしようとしたのである。
⇒ここでも、クラークは、組織(教義)宗教とイデオロギー(理念)とを無整理のまま扱ってしまっています。
プロト欧州文明から欧州文明への切り替え期において唱えられたところの絶対王政(注4)がキリスト教を前提とした王権神授説(注5)を唱えたことがありますが、アングロサクソン文明やプロト欧州/欧州文明のイデオロギー(理念)において、(ユダヤ教以来の数千年の歴史を有する)キリスト教は不可欠な要素ではなかったけれど、統治者達によってこのように大いに利用されました。
(注4)「<通説は、地理的意味での西欧において、とするが、私見では、(イギリスを除く)西欧において、>歴史的に、中世までの諸侯や貴族、教会の権力が地方に乱立し、分権的であった状態から王が強大な権力を持って中央集権化を図り、中央官僚と常備軍(近衛兵)によって国家統一を成し遂げた時代に特徴的であった政治形態を指す。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%8E%8B%E6%94%BF
(注5)「「王権は神から付与されたものであり、王は神に対してのみ責任を負い、また王権は人民はもとよりローマ教皇や神聖ローマ皇帝も含めた神以外の何人によっても拘束されることがなく、国王のなすことに対しては人民はなんら反抗できない」とする政治思想のこと<。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E6%A8%A9%E7%A5%9E%E6%8E%88%E8%AA%AC
他方、天皇制の正統性は、(数千年の歴史を有する)神道によって昔から付与されていたところ、それを維新政府の統治者達が、(この、不可欠な要素ではなかったところの)神道を利用して改めて強調した、というだけのことです。(太田)
当然の結果として、日本は感情的で破滅的な軍国主義へと突入していったのである。」(180~181)
⇒明治維新そのものが、「旺盛な帝国主義の野望を輸入した」ものではなく、日蓮主義完遂のための戦争体制構築を目指したものであった、というのがかねてよりの私の指摘であり、それは、「感情的」でも「破滅的」でもなく、もちろん「軍国主義」でもなかった、ということはご承知の通りです。(太田)
(続く)