太田述正コラム#14532(2024.10.20)
<G・クラーク『ユニークな日本人』を読む(その9)>(2025.1.15公開)

 「・・・<本来、>部族の存続を確保するためには、自らをイデオロギー国家へと変貌させる以外に選択の余地はない。

⇒中間総括的に申し上げれば、「イデオロギー国家へと変貌させる」ではなく、「戦争を効果的・効率的に遂行できるようにするため、国家を形成し、理系と文系の科学技術を発展させる」です!(太田)

 日本の特異性は、思想的には進んだ国でありながら比較的侵略的でない中国の陰におかれていたという点にある。
 中国が侵略的でないのは、そのヒューマニズムの理念の体系が、外国への攻撃というより、外国からの攻撃にさらされた結果出来上がったものだったからである。

⇒間違いです。
 孔子の仁の思想は、春秋時代という支那内での諸「国」の対立時代に形成されたものだからです。(太田)

また、中国の存在によって、日本はかなり遅れて、より遠方の侵略的なイデオロギーをもつ強国からの圧力を受けている。

⇒モンゴルは「侵略的なイデオロギーをも」っていたわけではありません!(太田)

 日本は攻撃を受けることなく外国思想を導入し、先例に学ぶことができた。
 もし日本が中国にもっと近かった場合、日本はいやおうなく朝鮮やベトナム型のイデオロギー国家とならざるを得なかったかも知れない。

⇒クラークの念頭には、儒教に則った事大主義国家群、が、あるようですが、それらは、欧米の東漸より前に形成されていて、鮮卑や女真やモンゴルの脅威に晒されていたところ、それら勢力に「侵略的なイデオロギー」があったわけではない、という、上述の根本的疑問がやはり生じてしまいます。(太田)

 逆にもし中国からもっと離れていたらば、日本は後進国となっていたであろう。
 おそらく歴史上、これに似た唯一の例はミノア文化の中心地クレタ<(注6)>であろう。

 (注6)’Minoan art contains no unambiguous depiction of a monarch, and textual evidence suggests they may have had some other form of governance. Likewise, it is unclear whether there was ever a unified Minoan state. Religious practices included worship at peak sanctuaries and sacred caves, but nothing is certain regarding their pantheon. The Minoans constructed enormous labyrinthine buildings which their initial excavators labeled Minoan palaces. Subsequent research has shown that they served a variety of religious and economic purposes rather than being royal residences, though their exact role in Minoan society is a matter of continuing debate.’
https://en.wikipedia.org/wiki/Minoan_civilization 
 「紀元前4,000年頃にはエジプト・ナイル川流域の他、チグリス川・ユーフラテス川流域のメソポタミアでも帆走船が使われていた形跡が残っている。・・・紀元前4,000年頃から紀元前1,000年頃にはエジプト人やタレス人が地中海に乗り出していた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9
 「紀元前2200年頃からエーゲ海で栄えたミノア文明で、貿易船を守るため戦闘専門の軍艦で編成された世界初の海軍が作られた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%86%E8%88%B9 

 ミノアと日本の文化には驚くべき類似性がいくつかある。

⇒縄文文化、及び、私の言う、(中原文明/漢人文明の縁辺に位置した)プロト日本文明、日本文明、の通奏低音は人間主義文化ですが、縄文文化においては軍事力はなく、プロト日本文明においては軍事力は弱体であったけれど、日本文明においては第一次弥生モードの時は陸軍を中心に軍事力は強大、第二次縄文モードの時は軍事力は弱体、第二次弥生モードの時は軍事力は強大であり、(チグリス・ユーフラテス文明/エジプト文明の縁辺に位置した)ミノア文明は、人間主義的文化を持っていた点でこそ日本列島の文化/文明群と似通っているけれど、一貫して陸軍力は小さく海軍力は強大であった点では異なります。
 とまれ、私が、ミノア文明の故地に土地勘があるというのに、同文明のことを今まで失念していたことは迂闊でした。
 なお、インダス文明は、人間主義文化を持っていた点でも、軍事力がなかった点でも、縄文文化と極めて似通っていることはご承知の通りです。(太田)

 東南アジアもある程度日本と同様の経験をしたといえよう。
 もっとも東南アジアは中国からずっと離れていて、地域外のイデオロギー強国からの攻撃、宣教活動にもろかった。
 それにもかかわらず、殊にフィリピンやインドネシアの価値観には日本の価値観との顕著な類似性をもつものが多々ある。」(182~183)

⇒このあたりは、深入りは避けておきます。(太田)

(続く)