太田述正コラム#14546(2024.10.27)
<G・クラーク『ユニークな日本人』を読む(その16)>(2025.1.22公開)
「・・・日本<は>人間関係社会<ですが、>・・・それと違って、非日本、欧米のみならず中国、インド、韓国も、原則関係社会です。・・・
<但し、>日本人は態度は同質社会だけど、血液や顔つきはみんな多く違っている。
欧米人よりも違ってるんじゃないか。・・・
中国の・・・文化<は、>・・・われわれの文化とまったく違ってるし、・・・日本人よりも同一社会、ホモジニアス社会です。・・・
<しかし、>文化はたしかに違っても、中国人の心理は80パーセント、90パーセント欧米人と同じ・・・なんです。
文化よりも心理が大事です。
韓国にいっても、やはり独特の文化をもっているけれど、心理は根本的には欧米人にちかい。
個人性が強いし、われわれのユーモアをよく理解しています。
そして非常に強く宗教とかイデオロギーを求めています。
北は中国より厳しい共産主義であり、南のほうはすごい反共主義ということにもなる。
韓国では儒教が日本よりもはるかに支配的だった。
いまはキリスト教がどんどんどんどん韓国にはいってますね。」(12~14)
⇒私は、漢人文明は、旧中原文明地域と旧長江文明地域から成っていると見ていることから、クラークのように「日本人よりも同一社会、ホモジニアス社会で<ある>」とは思いませんが、この点はさておき、クラークの言っていることを私流に言い直した上で説明すれば、(私の言葉である、縄文人/弥生人、等、を使いますが、)狩猟採集時代の人間は基本的に全て縄文人であったところ、農業革命以降、その大部分が、一部は弥生人や縄文的弥生人や弥生的縄文人、その他は普通人、へと「堕落」してしまったところ、このうち、縄文性を部分的に失わなかった、縄文的弥生人や弥生的縄文人、が、私の言う拡大枢軸の時代において、縄文性を全面的に回復する方策を追求した結果生まれたのが、(プラトンが唱えた哲人政体の追求、墨家の人々が唱えた墨家の思想を体現した政体の追求、といった)イデオロギーや(ユダヤ/キリスト教、大乗仏教、といった)教義宗教なのであり、これらのイデオロギー/教義宗教の担い手達は、それを、弥生人や普通人、等、に普及することに努めつつ、現在・・少なくとも比較的最近まで・・に至っている、ということなのです。
他方、日本列島においてだけは、支配層を構成する弥生的縄文人が、縄文的弥生人へと自らを変身させることによって、縄文人を縄文人のまま保護し維持することに成功した、と。
なお、支那大陸においては、弥生的縄文人が基本的に支配層を構成し続けたものの、弥生人たる騎馬遊牧民によって征服されたり混乱状態に陥らされたりして王朝交代が起り、征服された場合、その征服王朝の支配層は、漢人文明化することによって、弥生人から縄文的弥生人へ、更には弥生的縄文人へ、と急速に変貌してしまうのを常としてきたところです。
また、朝鮮半島においては、支配層を構成するところの、支那大陸由来の弥生的縄文人が、普通人を支配しつつ、唐の時から、支那の歴代王朝の華夷秩序に隷属する形で組み込まれることを選択し続け、結果的に、半独立国の地位を維持し続けることができたところ、支那大陸では儒教はタテマエに過ぎなかったのに対し、過剰適応によって、朝鮮半島では儒教がホンネにおいてもイデオロギー化した、というわけです。
最後に、念のため、私が、クラークとは違って、欧米を一括りにせず、アングロサクソン文明、プロト欧州/欧州文明、米国文明、ロシア亜文明、中南米亜文明、に分けていることに注意を喚起しておきます。(太田)
(続く)