太田述正コラム#14582(2024.11.14)
<G・クラーク『ユニークな日本人』を読む(その34)>(2025.1.9公開)
「・・・身の上相談<(注35)>、これも日本の文化です。
(注35)「「人生案内」(じんせいあんない)は・・・大正3年(1914年)開始の、「身の上相談」にその起源を持つ、読売新聞の名物記事の一つである。
読者が日々の生活の中における悩み事について相談、それらに各界著名人が答えるという形式。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%94%9F%E6%A1%88%E5%86%85
⇒京大の学術紀要に載った論文の抄録に、この「身の上相談」欄が、’articles about consultations for personal problems in the women’ s section of the Yomiuri Shimbun Newspaper’
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/139572
と英訳されてること一つとっても、「身の上相談」に該当する英語が存在しない・・恐らく欧米には存在しない・・ことが推察できます。(太田)
欧米ではとても考えられません。
日本人の身の上相談は、日本の世界文化への大きな貢献ですよ。
外国ではできませんから。・・・
⇒よって、クラークのこの指摘の前段は正しい可能性が大ですが、確かに、前述したように、人格が人間(じんかん)でどんどん変わっていくのが日本人であるとすれば、具体的人間関係を開示した上でどう人格を変えるべきかを他人に聞いたって良いわけですし、匿名で、人生経験豊富な識者に聞いたって良いわけです。
他方、指摘の後段は、無意味なこと、無理なこと、が、人間主義社会以外の社会に普及することなどあり得ない以上、不可能でしょうね。(太田)
日本の小説は読んでても、いったい筋がどこにあるのか、わからない<一方で、>・・・ムードとか雰囲気とか<>・・・ディテールだけは細かく書き込んである。・・・
われわれの小説とかドラマは、ちゃんとした筋をもっていなくてはなりません。
これが原則です。」(103~104)
⇒ここは、クラークが、話を単純化し過ぎです。↓
「芥川対谷崎論争のそもそもの発端は、1927年(昭和2年)2月に催された『新潮』座談会における芥川の発言である。この座談会で、芥川は谷崎の作品「日本に於けるクリップン事件」その他を批評して「話の筋というものが芸術的なものかどうか、非常に疑問だ」、「筋の面白さが作品そのものの芸術的価値を強めるということはない」などの発言をした。
するとこれを読んだ谷崎が反論、当時『改造』誌上に連載していた「饒舌録」の第二回(3月号)に「筋の面白さを除外するのは、小説という形式がもつ特権を捨ててしまふことである」と斬り返した。これを受け、芥川は同じ『改造』4月号に(同誌の記者の薦めもあったと思われる)「文芸的な、余りに文芸的な——併せて谷崎潤一郎君に答ふ」の題で谷崎への再反論を掲げるとともに、自身の文学・芸術論を展開した。作中で芥川は「話らしい話のない」「最も純粋な」小説の名手として、海外ではジュール・ルナール、国内では志賀直哉を挙げた(彼は「私の好きな作家」の中でただ一言、「志賀氏。」とだけ述べている)。
以後さらに連載は続き、谷崎の再々反論、芥川の再々々反論があったが、同年7月の芥川の自殺によって、『改造』誌を舞台に昭和初頭の文壇の注目を集めた両大家の侃々諤々の論争は幕切れとなった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E8%8A%B8%E7%9A%84%E3%81%AA%E3%80%81%E4%BD%99%E3%82%8A%E3%81%AB%E6%96%87%E8%8A%B8%E7%9A%84%E3%81%AA
ここから分かるように、日本・・昭和初期の日本ですが・・にも「ちゃんとした筋をもってい<る>」小説/ドラマはあるし、欧米にも「ちゃんとした筋をもってい<ない>」小説/ドラマがあるからです。
それなりに売れた小説/ドラマの総数中にそういうものがどれくらいの割合で含まれているか、というデータに基づいて、社会ごとの違いを明らかにする必要がありそうです。(太田)
(続く)