太田述正コラム#14584(2024.11.15)
<G・クラーク『ユニークな日本人』を読む(その35)>(2025.2.10公開)

 「・・・問題なのは、中根千枝<(注36)(コラム#7400、12370)>さんの『タテ社会の人間関係』<(注37)>が英語に翻訳されて外務省の手で外国で配られていることです。

 (注36)1926~2021年。「津田塾専門学校外国語科卒業。東京大学文学部東洋史学科卒、同大学院修了。・・・女性初の東大教授。女性初の日本学士院会員。また学術系としては女性初の文化勲章受章者となった。・・・
 生涯独身を貫いた<。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%A0%B9%E5%8D%83%E6%9E%9D
 (注37)1967年。’Japanese Society’として英訳された。(上掲)
 「日本社会の人間関係は基本的には「タテ」の上下関係であるということ、また、個人はひとつの集団に所属が余儀なくされること、「ヨコ」の関係とは「タテ」の関係にもとづいての派生的関係にしかすぎない、等が詳細に分析されている。」
https://koten.sk46.com/sakuhin/tate.html
 「社会集団を構成する要因には二つの異なる原理がある。学歴や地位、工場労働者などの「資格」と、会社、一定の地域などの「場」だ。インドのカーストは、資格の典型例とされる。どちらが集団を構成する第一条件になるのかで、社会集団のありようや人間関係は大きく異なる。中根さんはインドでは資格が優先され、日本では場が優先されるため、集団の構造が異なると論じた。
 場を優先する社会集団では、「われわれ」というグループ意識が強調され、同様なグループとの対抗意識が強まる。ムラ意識が強いのだ。しかし、異なる資格を持つ人が混在することから、「資格」を優先する集団に比べてその構造は不安定で、集団意識を常に高揚させ、感情的な結びつきを維持する必要がある。その際に重要なのが、仲間同士の接触だ。このため、接触時間の短い新入りはヒエラルキーの底辺に位置し、接触時間の長さ、つまり年功序列で地位が決まる。序列が集団の構成原理となるので、個人と個人を結ぶ関係はタテになる。これがタテ社会の構造だ。」
https://www.yomiuri.co.jp/column/henshu/20211220-OYT8T50016/ ★

⇒思いつきと勘違いで書かれた本であり、私が日本人による日本文化論に見切りをつけ始めるきっかけになった代物です。
 中根自身は「タテ社会を本の名前としたのは講談社の編集者で、タテを上意下達や権力構造と考えるのは誤解だと述べている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%A0%B9%E5%8D%83%E6%9E%9D 前掲
が、タイトルが著者の了解なしに付けられることなどありえないこと一つとっても見苦しい言い訳ですし、何よりも、「中根<は、>・・・日本人論などをまったく読まなかったようだ<が、>結果的には<現在、誤りであることが明らかになっている(太田)ところの、>集団モデル<、>に準拠した論考となっ<てしまっている>」(★)点において決定的に誤っていた、と言うべきでしょう。(太田)

 「これが日本人の中心である」と。
 われわれがそれを見ますと、もう完全に逆効果です。
 われわれにとって”タテ”は独裁という意味なんです。

⇒逆に、こんなクラークの言は批判ではなく、揚げ足取りに近い、と言うべきでしょう。
 正式の英訳本のタイトルには「タテ(Vertical)」という言葉は入っていません(★)しね・・。(太田)

 もともと欧米人は「日本人は封建的である」という先入観をもっている。
 中根さんの本を読むと「そのとおりであった」ということになる。」(116~117)

(続く)