太田述正コラム#14590(2024.11.18)
<G・クラーク『ユニークな日本人』を読む(その38)>(2025.2.13公開)


[アングロサクソン文明の誕生を巡って(続x5)]

 誤解がないように補足しておくが、それがイギリスにおいて経験論科学が生誕、発展したことの必要条件だったとまでは言わないけれど、古典ギリシャにおける、ギリシャ合理論科学の生誕、発展、と、経験論科学の萌芽の出現、と、それらへのアクセスが(地理的意味での欧州の勢力の東漸以前の)支那や日本とは違って可能であったこと、とが、プラス要因であったことは間違いないし、それこそが必要条件だったのだが、プロト欧州文明/欧州文明と共通しているところの、戦争の継続的生起、に加えて、それとあいまって、といくか、これこそが最重要なのだが、支配階層/階級となったところの、ゲルマン的弥生性が維持されたこと、が、科学的探究を促したこと、もまた、忘れてはならない。

 五 スポーツ(含む、スポーツ的戦争)

 「ケルト社会でも部族による戦争は当たり前の風景だったが、それは、領域の組織的征服を目的としていたわけではないが、略奪や人狩りを主目的としたスポーツ的なものであったと叙事文学には記述されているし、歴史文献からは、戦争は、政治的統制を目指したり競争相手達へのいやがらせだったり、経済的に裨益するためであったりするものが多いが、領域の征服を目的とするものもなかったわけではないことが窺える。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Celts
 ということ↑から、ケルト化したバスク人たるブリトン人も同じだったと思われるのであって、大ブリテン島に渡来したゲルマン人(アングル人/サクソン人/ジュート人)も、支配することになったブリトン人の影響を受けて、一つには、ゲルマン神話由来の戦争の自己目的化を取りやめ、彼我の人的・物的損害を抑えつつ最大の利得が得られる戦争のみを遂行するよう心掛けることになり、もう一つには、かかる戦争のための訓練、及び、余暇の楽しみとして、戦争や戦闘を模した種々のスポーツを生み育てることになった、と考えられるところ、やがてこれらがアングロサクソン文明の特色の一つとなった(注40)、とも。

 (注40)「イギリス(英国)はスポーツの発祥地として知られ、多くのスポーツがここから世界中に広まっています。・・・
 サッカー(フットボール)・・・ラグビー・・・クリケット・・・テニス・・・ゴルフ<(但し、発祥そのものはスコットランド)>」
https://eikoku-seikatsu.com/popular-sports-in-uk/
 ・・・水泳・・・ローイング<(ボート競技)>・・・バドミントン<(但し、発祥そのものは英領インド)>・・・フィールドホッケー・・・近代ボクシング・・・近代競馬・・・ラウンダーズ・・・」
https://world-note.com/sports-in-the-uk/

 他方、プロト欧州文明/欧州文明では、戦争がえてして制御不能な形で規模が拡大したり長期化したりした・・11世紀から15世紀にかけて続いたところの、いわゆる教皇派と皇帝派の間での、間歇的戦争を伴ったところの確執、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E7%9A%87%E6%B4%BE%E3%81%A8%E7%9A%87%E5%B8%9D%E6%B4%BE
16世紀後半から17世紀前半にかけてのオランダ独立戦争(八十年戦争)、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%8D%81%E5%B9%B4%E6%88%A6%E4%BA%89
17世紀前半の三十年戦争、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%B9%B4%E6%88%A6%E4%BA%89
18世紀末から19世紀前半にかけてのフランス革命戦争/ナポレオン戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E9%9D%A9%E5%91%BD%E6%88%A6%E4%BA%89
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3%E6%88%A6%E4%BA%89
等、と枚挙に暇がない・・し、ゲルマン人が支配することになったところの、ローマ人はもとよりだが、ケルト人もローマ化していたことから、スポーツが生み育てられることもなかった。(注41)

 (注41)「古代ギリシャでは、・・・広範囲にわたって、レスリング、競走、ボクシング、やり投げ、円盤投げ、戦車競走など多くのスポーツが行われていた<が、>・・・実用を重んじたローマ人は、伝統的にギリシャ風のスポーツ大会に価値を認めなかった。・・・
 古代ローマにおいてはスペクテータースポーツが発達し、コロッセウム等の円形闘技場が建設された。支配者たちは、民衆に「パンとサーカス」として訳される「パネム・エト・キルケシセス」(穀物とキルクス競技)を提供して、政権を維持しようとした。民族的祭典であるキルクス競技では、特に戦車競走が人気があった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

(続く)

(続く)