太田述正コラム#14598(2024.11.23)
<浜口恵俊『間人主義の社会 日本』を読む(その4)>(2025.2.18公開)
「・・・村上泰亮・公文俊平・佐藤誠三郎の共同著作『文明としてのイエ社会』<(注5)>(昭54<=1979年>)・・・は、全人類史的背景のもとで雄大でユニークな近代化論を展開しているが、その中で注目すべき主張を行っている。
(注5)「著者たちは、「血縁なき血縁原則」というイエ社会の編制原理を日本近代化の基本的な規定要因に措定し<が、>・・・このアプローチは、すでに心理人類学者のF・L・K・シュー(許烺光[。1909年~])によって提起されたものであり、著者たちのオリジナルではない。
シューは、日本の原組織イエモト(イエ・同族を経て形成された組織原型)そのものが、日本の近代化を促進した原動力だと主張している・・・。
著者たちのいう「超血縁性」原理は、シューの「縁約の原理(kin-tract principle)」とほぼ等しい・・・。
本書での分析は、日本の近代化過程をせいぜい中国のそれと比較したにとどまるが、著者たちのスタンスでは、人類史的な広大な視野の中に位置づけられている。
しかもそのダイナミクスを、社会システム論ないし社会動学の視角から解明しようとする意図をもつ。
具体的には、人類の多系的進化を前提にして、日本史の中に見いだされる二つの発展サイクル、すなわち、弥生期に始まり、7世紀の律令国家をピークとして解体的土着化が進み、16世紀の荘園・公領体制の消滅まで持続するクラン型ウジ社会の波道と、11世紀の東国の開発領主のイエに発し、室町・戦国・徳川時代の大名のイエやその連合体を中核として展開され、近代統一国家に至る組織型イエ社会の波動とを区分し、後者のサイクルにおいて日本型近代化の特色を発見しようと試みた。
だが本書の相当の部分は、集団競争史観の立場から2つのタイプの社会動態の交代と、その中でのイエ社会の発展の史実を確証する作業によって占められ、イエ型集団の組織原則がどのように作用して日本の近代化が展開されたのか、という肝腎の分析ポイントがどこかに消えてしまった。・・・
「……われわれは、日本近代化がイエ型組織原則の拡大適用によって円滑に達成されたというつもりはない」・・・とまで断言されると、何のための社会動学的手法の導入であったのかと反問したくなる。」(<浜口恵俊>「村上泰亮・公文俊平・佐藤誠三郎の共同著作『文明としてのイエ社会』再読」
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https://kotobank.jp/word/%E3%81%97%E3%82%86%E3%83%BCf.l.k.-1335249 ([]内)
すなわち、近代化過程は、西洋の場合のように「個人主義」に基づかなくても十分に達成可能だ、と言う。
集団主義的なルートを経た日本の近代化は、その歴史的証拠となる。
著者たちは、日本近代化の原動力を、鎌倉期に確立されたイエ社会に求め、その構造特性を詳しく分析した。」(13)
⇒私が「「日本型」経済体制論」を発表したのは1980年ですが、その核心のアイディアは、私自身が『文明としてのイエ社会』を読むより前に形成されていたところ、それが出てすぐ読んだ感想は、壮大な失敗作、であり、むしろ私のアイディアに、より自信を持った記憶があります。
どこが失敗かと言えば、日本の組織原理は、ウジであれイエであれ、それらにおしなべて貫徹している(と私には見えていた)にもかかわらず、著者達がウジだのイエだのといった枝葉を見て根幹を見ていないと思ったことが第一であり、第二は、「注5」で紹介した浜口の村上らに対する批判と同じく、彼らがイエでもって日本の近代化を説明できていない、という思いです。
今にして思えば、第二については、彼らが、社会の発展的変化を近代化(産業化)・・これまた枝葉・・に絞ってしまったのがそもそも拙かったのであり、まずは、社会の発展的変化(合理化、脱呪術化、生産力の向上、科学技術の発展、等)の主たる原因・・根幹・・を考えなければならなかったのです。
私見では、それは戦争であるわけですが・・。(太田)
(続く)