太田述正コラム#14600(2024.11.24)
<浜口恵俊『間人主義の社会 日本』を読む(その5)>(2025.2.19公開)


[佐藤誠三郎・公文俊平両氏とのご縁]

 既に取り上げたこともあろうかと思うが、この際、表記に改めて触れておきたい。
 佐藤氏(1932~1999年)は、都立日比谷高校卒、東大文(国史)卒、法に学士入学し卒業、同助手、立大助教授、東大教養学部助教授、教授、慶大総合政策学部教授、英チョーサー・カレッジ・カンタベリー初代学長、埼玉大教授、政策研究大副学長、(中曽根康弘設立の)世界平和研究所所長代理、等を歴任。
 私の東大法同期の、北岡伸一(後に面識)、下斗米伸夫(後に面識)、舛添要一(後に面識)、の各君とは学生時代に接点があったらしい
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E8%AA%A0%E4%B8%89%E9%83%8E
が、私が佐藤氏と接点ができたのは、氏が長尾龍一氏(1938年~)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B0%BE%E9%BE%8D%E4%B8%80
と連れ立ってスタンフォード大を確か1976年に訪問された際、ご縁があって、私が、自分の黄色いムスタングでご両氏のアッシー君を務めた時のことだ。
 だから、『文明としてのイエ社会』が出た時には、懐かしい思いがしてすぐ買って読んだ。
 公文氏(1935年~)は、土佐中学校・高等学校卒、東大経済学部卒、同大院社会科学研究科理論経済学専門課程修士、同大教養学部助教授、インディアナ大Ph.D、東大教養学部教授、国際大教授、多摩大教授、等を歴任しており、浜口恵俊との共著『日本的集団主義』(1982年)もある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%96%87%E4%BF%8A%E5%B9%B3
 氏とは、彼が、私の「「日本型」経済体制論」を、それが上梓されてからほどなく、日本経済新聞の「やさしい経済学」欄でべた褒めしてくれたことで、私としてはご縁ができたと勝手に思っている。
 その後2~3年して、当時の防衛庁での学識者懇談会に出席した氏を、裏方をしていた私が、氏の帰り際に「「日本型」経済体制論」の太田です、と名乗ったところ、改めて褒めてもらい、実際に面識ができた。

 私は、氏が、私の「「日本型」経済体制論」をあれほど褒めたのは、自分達の『文明としてのイエ社会』に飽き足らぬ思いを抱いていたからだ、と、勝手ながら想像している。

 「・・・「個人主義」は、一、自己中心主義、二、自己依拠主義、三、対人関係の手段視、によって特徴づけられる。
 これに対し、人と人との間に位置づけて初めて”自分”という存在を意識する「間人」にあっては、それらと対照的な三つのポイントでとらえられる対人関係観が顕著である。
 すなわち次のような「間人主義」の三属性が見いだされる。
 一、相互依存主義–社会生活はひとりでは営めない以上、相互の扶助が人間の本態だ、とする理念。
 二、相互信頼主義–自分の行動に相手もきっとうまく応えてくれるはずだ、とする互いの信頼感。
 三、対人関係の本質視–相互信頼の上に成り立つ関係は、それ自体が値打ちあるものと見なされ、「間柄」の持続が無条件で望まれる・・・。」(14)

⇒「社会」生活が一人では営めない、という命題はトートロジーであってナンセンスであるところ、そもそも「社会」生活ならぬ生活を一人で行うことは、8年間たった一人で生き抜いた横井庄一氏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E4%BA%95%E5%BA%84%E4%B8%80
・・小野田郎氏の場合は、様々な形で現地社会に「寄生」していた面がある・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%94%B0%E5%AF%9B%E9%83%8E
等の例から、不可能ではありません。
 また、相互信頼や対人関係の本質視は、イギリス個人主義社会においても見られることですし、同社会でだって対人関係の手段視は白眼視されます。
 その上で、それが対比される相手は個人主義に限りませんが、私の言う人間主義の中核的な諸点は、第一に、それが、日本(や「東洋」?)独特の対人関係などではなく、かつては普遍的な対人関係であって今なお本来的な対人関係である点、第二に、常に他者も自分も共に裨益するよう心掛ける点、そして、第三に、その他者に、人のみならず生きとし生けるもの全て、ひいては自然、まで含まれる点、なのであって、浜口の間人主義は人間主義の一部分、一側面に過ぎないのです。(太田)

(続く)