太田述正コラム#14614(2024.12.1)
<浜口恵俊『間人主義の社会 日本』を読む(その12)>(2025.2.26公開)

 「・・・<日本では、>地縁による近所づき合いでは約3分の1の人が、また血縁的結合としての親せきづき合いでは半数の人たちが、「なにかにつけ相談したり、助け合えるようなつき合い」という、生活や人格の全面に及ぶ関係の在り方を志向している。
 この点は地縁や血縁といった自然的連帯の本性からいって別におかしくはない。
 けれども、本来は契約的連帯として存在するはずの、職場の同僚とのつき合い(それ自体は「社縁」による結びつきである)において、6割の人たちが、お互いに信頼し合い、かつ助け合っていくことを望んでいる事実は、大いに注目されてよい。
 仕事のうえだけの関係・・・でよいとする者がもっと多数いてもよいはずだのに、わずか10%ほどであり、逆に、仕事を離れての交際・・・を求める者と、さらに深いつき合い・・・を希望する者とを合わせると、85%以上にもなる。・・・
 <ちなみに、親せきづき合い<では、それは>・・・91%<であり、ちょっとしか違わない。>・・・
 <また、>全面的つき合い<に関しては、>職場の同僚とのつき合い<では、>・・・59%<であるのに対し、>・・・親せきづき合い<では、何と、>・・・51%<に過ぎない!>・・・

⇒日本人は、親せきよりも職場の同僚との関係の方が密であるわけです。
 ただ、こういう話も、日本以外のデータも踏まえてきちんと論じられるべきでしょう。(太田)

 <データは、>日本放送協会世論調査所編『日本人の意識』昭50<より。>・・・

⇒日本に関する最新のデータを知りたいところです。(太田)

 それは、・・・日本人<が>、自己を、完全に他から独立した主体である「個人」として意識するよりも、「人間(じんかん)」(和辻哲郎)としての”ひと”、あるいは「人と人との間」(木村敏)に位置づけられた”自分”を設定する傾向が強い<からである>。

⇒繰り返しますが、この和辻説理解は間違っています。(太田)

 そのような人間像は、「個人」に対して、「間人」と呼ばれる。

⇒「間人」は浜口が創った単語なのですから、「そのような人間像を、私は、「個人」に対して、「間人」と呼びたい。」でしょう。
 念のためですが、「京都府京丹後市丹後町の・・・大字<に>・・・間人(たいざ)<がある。>・・・聖徳太子の生母・間人皇后(はしうどこうごう)が蘇我氏と物部氏との争乱を避けて丹後の当地に身を寄せ、のちに当地を去るに当たって自らの名をこの地に贈ったものの、住民は「はしうど」と呼び捨てにすることを畏れ多く思い、皇后がこの地から退座(たいざ)したのにちなみ間人を「たいざ」と読み替えた、との伝承が残る<が、>間人皇后が丹後に避難したとする記述は記紀に<は>なくいところ、>・・・死者を大陸に向けて埋葬する風習が長らく残っていた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%93%E4%BA%BA
ということであり、とにかく、「たいざ」ではなく「かんじん」と読む「間人」という単語は本来存在しないのです。(太田)

 「間柄」は、このような「間人」間のつながりを指す概念である。
 より正確に言えば、「間柄」の中に融合化された人間存在が「間人」だ。
 この「間人」にとっては、対人関係はけっして自己の存立にとっての手段ではない。
 それは、ある意味では自己自身であって、本質的な値打ちをもつものと見なされる。・・・
 日本人<は>、ある程度「契約の原理」に従って「社会関係」を結びながら、運用上は、利得的な立場からではなく、「間人主義」的な価値を適用して、その円滑化をはかっている<のだ>。・・・
 シュー<は、>・・・疑似血縁組織としてのイエモトは、すべてに許容的な親族原理(kinship principle)と、権利・義務の明確な契約原理(dontract principle)との折衷である「縁約の原理(kin-tract principle)」によって構成運用される、というのである・・・。」(28~31)

(続く)