太田述正コラム#14789(2025.2.27)
<皆さんとディスカッション(続x6180)/映画評論274:フューリアス 双剣の戦士>
<u1FA8B3Q>(「たった一人の反乱(避難所)」より)
中共は、共産主義を完全に実現しているのですか?
⇒誰に聞いたって答えはもちろんノーでしょうが、そんなことより、あなたがここでイメージしている「共産主義」は何か、を知りたいなあ。(太田)
<山本>
日本は飛鳥時代から江戸時代まで肉食禁止でしたが食料自給率を上げるのには合理的。
イスラム教の豚肉禁止は砂漠地帯では合理的。
https://www.youtube.com/watch?v=hh_VSw89uqo
ヒンズー教の牛肉禁止はインド地域では合理的。
https://www.youtube.com/watch?v=8Vfjnr6YZkI
逆にこれらの地域以外では不合理。
<太田」>
マーヴィン・ハリス『食と文化の謎』が種本なんですね。
和辻哲郎の『風土』より、相当マシなようで・・。
<太田>
安倍問題/防衛費増。↓
なし。
ウクライナ問題/ガザ戦争。↓
なし。
妄想瘋癲老人米国。↓
なし。
それでは、その他の国内記事の紹介です。↓
だそうでありんす。↓
Pokémon boss believes series can last another 50 to 100 years・・・
https://www.bbc.com/news/articles/c5y0v3gd5e5o
日・文カルト問題。↓
<とにかく、ライライ。↓>
「韓国政府が導入した臨時休日、日本旅行をあおる「毒」にと・・・韓国・イーデイリー・・・韓国ネット「日本に行くのは当然」・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b949171-s39-c20-d0195.html
再考証は終わってるで、私によって。ウェッヘン。↓
「・・・ユダヤ教・キリスト教におけるエデンの園、ギリシャ・ローマのアルカディア、北欧のグラルドル、オーストラリア・アボリジニのドリームタイム、インドのサティヤ・ユガなどはどれも、歴史的に時代が特定できるものではなく、むしろどの文化にも分け隔てなく、何1つ憂いのない過去に対する憧れが存在する・・・
人間本来の生活は今よりも生きやすいものだったと明らかになりつつある。ペニシリンも、歯の治療法も、タクシーもなかったが、感染症も、歯周病も、密なスケジュールもほぼ存在しなかった。
とりわけ、人間が最も近い霊長類から枝分かれした時代(数百万年前)から最初の複雑な社会の成立(数千年前)までの期間は、政治的にも、物質的にも、人間関係という意味でも、社会はかなり平等だったようだ。・・・
https://gendai.media/articles/-/146035?utm_source=yahoonews&utm_medium=related&utm_campaign=link&utm_content=related
「・・・およそ5000年前、最初の文明が発達し、それとともに最初の都市が出現し、それらが集まっていくつかの帝国ができた。同じころ、どの帝国でも共通の技術が発展し、社会も同様に進化した。・・・
20世紀の考古学は、これらの発展をヴィア・ゴードン・チャイルドにちなんで「チャイルドの基準」と名付けた。・・・
哲学分野では、紀元前800年から紀元前200年ごろの時代を、劇的な変化と未曽有の発展を遂げた期間として強調することが多い。カール・ヤスパースはこの時代を「枢軸時代」と名づけた。この時期に、(かなり)のちに生まれる啓蒙主義と近代化の土台となる語彙や人道的な自己理解が発生したと考えられているからだ。・・・
現実には、このような頭脳は、それぞれの社会に実在したモラルに対してほとんど何の変化も引き起こせなかった。その証拠に、極端な階級制や物質的不平等の上に築かれた封建社会の基盤について再<考証>が始まったのは、枢軸時代が終わってから2000年も過ぎたあとなのだ。そしてこの再<考証>は今もまだ終わっていない。」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d163fb6e31cd0360b2a6a8104667b34a61651786
中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓
<違うのだよ。↓>
「・・・欧米に逃げ出したがる富豪たちや欧米と組んで自治を求めるチベットの亡命政権、取るに足らない少数派だがイスラム教を信仰するウイグル人、さらには欧米流の民主主義という危険思想にかぶれた香港の若者たちが、中央にとっては皆倭寇なのだ。確かに香港の一国二制度を露骨に反故にして、「台湾統一」という建前を強引に推し進める習近平の姿を見ると、いつか来た道のように見える。 私のような国際政治学者は、国家という確乎たる実体があることを前提に、世界を見てしまう癖がある。ちょうど経済学者が市場が正常に機能することを前提に経済を見るようなものだろうか。だが、中国の内部には常に強い遠心力が潜在している。あれほど巨大なのに、外部の勢力と組んで自分たちの権力を脅かす「倭寇」「漢奸」「買辨」を、中央政府が病的なほど恐れるのは、そう考えると了解できる。・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/677d31ecea3e5492cc10466be2da9d8db38b2d94
<石高制の時代じゃあないんだから、日本政府が脳死しちまってるってだけで、実はどーでもよか、なのよ。↓>
「日本でコメが9割値上がり、国民の怒りを引き起こす・・・環球時報・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b949253-s25-c30-d0193.html
<片面的日中交流人士モノ。↓>
「<サッカー>谷川萌々子の超絶ゴラッソが中国でも話題=「あり得ない」「すごすぎる」・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b949189-s25-c50-d0052.html
<太田>
–MSIパソコン–
<太田>
届いたので、ケーブルやケーブル端子を換えた上で御社パソコンの電源を入れようとしたのですが、電源が入りません。
この製品、スイッチなんてないはずですよね。
<MSI>
・・・コンセントからのケーブルをPCに挿す部分のすぐ下に、黒い電源スイッチがありますがそちらは確認されたでしょうか。
<太田>
お騒がせしましたが、おかげさまで無事起動できました。
御社パソコンを買って最初に届いたときは、スイッチの存在を知らず、従ってそれに手を触れることなく電源オンにできたので、スイッチはついていないとばかり思い込んでいました。
さて、肝心の3ディスプレイ体制ですが、御社パソコンと左スピーカーとをVGA-VGAケーブルで繋いでいたのを、右スピーカーの方をこのVGA-VGAケーブルで繋ぎ変えることとし、また、自作パソコンと左スピーカーとをHDMI-HDMIケーブルで繋いでいたのを、パソコン側だけを抜いて御社パソコンに繋ぎ変えてみた結果は、御社パソコンを終了させたのを挟んで、続いて2回、全てのディスプレイが機能してくれたので、大いに希望が持てます。
仮にこの状態で安定した場合ですが、左ディスプレイは、古いもので、端子はDVI,VGA,HDMIであるところ、HDMI端子は自作パソコン専用にすることとすれば、この左ディスプレイと御社パソコンとを専用で繋ぐためには、DVI-HDMIケーブルかVGA-HDMIケーブルを買わなければなりませんが、一体どちらのオプションの方がお勧めでしょうか。
それとも、(自作パソコンの方がメインパソコンですが、)HDMI端子とHDMI-HDMIケーブルは御社パソコン専用にする方が無難ですかね。
–映画評論274:フューリアス 双剣の戦士–
今回の映画は、『フューリアス 双剣の戦士』(Furious)は2017年のロシア映画で、バトゥのリャザン襲撃を描いている
https://eiga.com/movie/88245/
ところ、ロシアのクリミア半島編入後の時期に、バトゥらモンゴル人達の「後裔」たる、そして、クリミアを最後の根拠地とした、タタール人達、を敵に回すわけにもいかない以上、どんな映画になっているのか興味があった。
ところで、この映画がらみの史実等は次の通りだ。↓
「スタラヤ・リャザンは1237年に、バトゥの率いるモンゴル帝国軍によって破壊された。スタラヤ・リャザンは陥落し、リャザン公やその家族をはじめ、多くの住民が殺害された。この包囲戦を元に、『バトゥのリャザン襲撃の物語』という単独の作品が書かれている(成立は包囲戦から数十年後、14世紀半ば以前と推測される)。また、モンゴル帝国との戦いにおいて戦死した、リャザン公国のヴォエヴォダ・エヴパーチー・コロヴラートは、半伝説的なボガトィリ(ロシアの民話・伝承中の英雄)として語られている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%82%B6%E3%83%B3_(%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B7)
「バトゥのリャザン襲撃の物語・・・は、モンゴル帝国軍による1237年のリャザン公国への侵攻(モンゴルのルーシ侵攻の一部)を題材とした、中世ロシアの文学作品である。内容には、歴史学的見地から史実と認められる部分と、誤りあるいは創作とみなされる部分がある。・・・
1237年、ルーシの地に侵入したバトゥ(モンゴルのルーシ侵攻軍総司令官。チンギス・カンの孫。)の軍は、リャザン付近、ヴォロネジ川岸に陣を張ると、リャザンに十分の一税を差し出すよう迫った。・・・
ヴォロネジ川の戦い<に勝利した>バトゥは・・・リャザンへと迫った。リャザンは五日間バトゥの猛攻を耐え抜くが、六日目の朝(12月21日)ついに侵入を許し、住民はことごとく殺された(リャザン包囲戦)。バトゥはウラジーミル、スーズダリを次の目標としてリャザンを去った。
この時、リャザンの士エヴパーチー・コロヴラートは・・・チェルニゴフにいたが、リャザン襲撃の報を聞き、リャザンに戻った。リャザンの惨状を見たコロヴラートは、生き残った兵を率いてバトゥの後を追った。コロヴラートら1700人の兵はスーズダリの地でバトゥ軍に追いつくと、戦いを仕掛けた。コロヴラートの獅子奮迅の働きは、バトゥ並びにモンゴル帝国軍を恐れさせるが、破城用の大槌によって、ついにコロヴラートは打ち殺された。バトゥはコロヴラートの勇敢さを讃え、遺体を生き残りのコロヴラートの従者らに渡すと、従者らを放免した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%88%E3%82%A5%E3%81%AE%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%82%B6%E3%83%B3%E8%A5%B2%E6%92%83%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E
で、この映画は、ほぼ全編にわたり、バトゥを悪者として描きつつ、最終場面で、結構、いいところもある人物として描く、という苦心が見られ、苦笑させられた。
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太田述正コラム#14790(2025.2.27)
<橋爪大三郎・峯村健司『あぶない中国共産党』を読む(その15)>
→非公開