太田述正コラム#14624(2024.12.6)
<浜口恵俊『間人主義の社会 日本』を読む(その17)>(2025.3.3公開)
「・・・日本の家庭では、親子の結びつきが、夫=妻の結合よりも重要視されてきた。
この点、西洋人の家族とは対照的である。<(注25)>・・・
(注25)「サンケイリビング新聞社が運営するミセス向けの情報サイト、「えるこみ」によると、<日本人の>主婦6085人に<夫と手をつないで歩くか>アンケートをとった結果は以下のとおりだそうです。
結婚1-4年目 5-14年目 15-24年目 25-44年目
つなぐ 65.4% 35.4% 27.5% 30.9%
つながない 34.6% 64.6% 72.5% 69.1%
上の数字を見ると、どうも結婚5年目くらいで「つながない」派がどーんと増えてそれまでと逆転するようです。
比較として<米国>のデータも調べてみたかったのですがどうしても見つかりませんでした。やはり配偶者と手をつなぐことがあまりにも当たり前で、アンケートをとって調べるような対象ではないのだと思います。」
https://takeiteasyinamerica.com/%e5%a4%ab%e5%a9%a6%e9%87%8d%e8%a6%96%e3%81%ae%e3%82%a2%e3%83%a1%e3%83%aa%e3%82%ab%e3%80%81%e8%a6%aa%e5%ad%90%e9%87%8d%e8%a6%96%e3%81%ae%e6%97%a5%e6%9c%ac-%e3%80%80%e5%89%8d%e7%b7%a8/
「<私の米国人の>夫が「夫婦で出かけたい」というのは、<米国>の「子供が生まれても夫婦の 関係は大事にすべき」という<米国>の文化、私が「娘とかたときも離れず一緒にいたい」というのは「子供が生まれたら家族(母親)は子供中心になるもの」 という日本の文化をそのまま反映していました。
議論といえば、娘が生まれてから「添い寝すべきか、否か」についてもずいぶん夫と意見がぶつかりあいました。」
https://takeiteasyinamerica.com/6611/
一般に日本人の対人関係の基本属性として、つぎの4点が挙げられよう。
(一)非利得性(非手段視)・・・
(二)個別主義的な限定–西洋の社会関係は、それぞれ独立した個どうしの人為的な接合、すなわち<非連続の連続化>として特徴づけられる。
これに対し日本人の二者間の関係は、個人の認識の範囲をはるかに越えて、最初から無限の広がりをもって存在する巨大な人的ネットワークの一部が、何かの「縁」を媒介にして、当人どうしの間で個別主義的に切りとられたものである。
いわば<連続の非連続化>によって成り立つ関係である。
そこでは、普遍主義的な公正さは必ずしも尊重されない。
⇒「個別主義的な限定」では意味不明なので、既述されていることながら、説明部分も転載しました。(太田)
(三)相互依存性・・・
(四)情宜性(心情性)–「間柄」でもって社会関係が成り立ってゆくためには、お互いの間に深い信頼がなくてはならない。
そこで、相互の信頼に基づいて関係が設定されると、明文化された「契約」などは不必要となり、ただ「黙約」(久枝浩平の用語)だけが存する。
⇒揚げ足取りと言われそうですが、「黙約」は一般用語
https://kotobank.jp/word/%E9%BB%99%E7%B4%84-645414
なので、「久枝浩平の用語」たりえません。(太田)
西洋人が交わすような契約書は、相手に対する不信感の表明だ、と考えてしまう。
日本人の「間柄」では、役割関係としての機能合理性よりも、”親密さ”を求め合う情誼性が、心情的につねに優先するのである。」(52~53)
⇒「情宜性(心情性)」も、なお意味が曖昧なところがあるので、説明部分も転載しましたが、付言すれば、私は対人関係重視(間人主義)ではなく対万物関係重視(人間主義)の立場に立っているので、人間以外の生物の中には「相互の信頼」が成立しうるものもあるけれど、そうではないものの方が多く、しかも、自然に至っては成立しうるものは皆無と言っていいので、「情宜性(心情性)」は、私の人間主義に関しては、その基本属性たりえないことになります。(太田)
(続く)