太田述正コラム#14630(2024.12.9)
<浜口恵俊『間人主義の社会 日本』を読む(その20)>(2025.3.6公開)
「・・・ベンダサン<(注33)>によれば、「日本人が無宗教だなどというのはうそで、日本人とは日本教という宗教の信徒で、それは人間を基準とする宗教であるがゆえに、人間学はあるが神学はない一つの宗教なのである」(『日本人とユダヤ人』<(注34)>)。・・・
(注33)「イザヤ・ベンダサン (Isaiah Ben-Dasan、公称1918年生まれ) は、山本七平の筆名。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%A4%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%B5%E3%83%B3
山本七平(1921~1991年)。クリスチャン<、>・・・青山学院専門部卒、甲種幹部候補生、陸軍少尉、山本書店創業、「1970年<、>イザヤ・ベンダサン著『日本人とユダヤ人』を山本書店より発売する。・・・1979年<、>大平内閣の諮問機関「文化の時代」研究グループの議長を務める 。1984年<、>中曽根内閣の諮問機関「臨時教育審議会」の第一部会専門委員を務める 。・・・
余りにも非論理的な精神力万能主義の為に旧日本軍が負けた・・・と・・・考察<した。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%B8%83%E5%B9%B3
(注34)https://www.mm-labo.com/culture/literature/review/nihonjintoyudayajin.html
⇒山本七平は、先の大戦についても日本人の縄文的弥生性についても、従って日本の戦後についても、全く分かっていなかったと言っていいでしょう。
だからこそ、彼は、諮問機関に二度にわたって加わることで、事実上、自民党政権の恒久化に力を貸してしまったのです。(太田)
そのような「日本教」の教義は、「言外の言」「理外の理」「法外の法」として存在するから、正確には文章化されえない。
しかし、日本人がたえず口にする「人間性」「人間的」「人間味あふれた」といった言葉から暗に示されるような一つの律法があるはずだ。
それは、「人間相互の信頼」、つまり「人間とは、こうすれば、相手も必ずこうするものだ」という確信だ、と彼は言う。
このような相互信頼がつねに不文律として存在することは確かであり、それが日本人の社会生活の全側面を規定すると考えるかぎり、そこに「人間性」を信奉する「日本教」を想定することは十分容認されよう。」(71)
⇒山本の「日本教」の問題点は、(毎回同じ指摘で恐縮ですが、)人間主義とは違って、人間以外の生物や自然を捨象していることが第一点であり、第二点は、それが宗教的なものではなく、況や律法的なものに従っているのでもなく、日本人は、人間の本来の姿、自然な姿、のままに言動を行っているのに過ぎないこと、です。
なお、山本は、『「空気」の研究』(1975年)の中で、「日本社会を支配しているのは法律や条令ではなく場の空気であるとする。外国では罰則や義務やルールが人々を統制しているが、日本では空気が人々を統制している。日本では空気に抗することは罪であり、これに反すると最も軽くて村八分の刑に処される。これは軍人と非軍人、戦前と戦後に関係なく存在している。・・・組織の意思決定は論理的か空気的に行われており、明らかに空気的に行われる方が強い」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%8C%E7%A9%BA%E6%B0%97%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6
としていますが、「日本教」と「空気」との関係を説明していなかったように思います。
後者は前者の部分集合で、日本教が機能不全を起こした状況が空気の支配、ということかもしれませんが・・。(太田)
(続く)