太田述正コラム#14632(2024.12.10)
<浜口恵俊『間人主義の社会 日本』を読む(その21)>(2025.3.7公開)
「・・・”生きがい<(注35)>”ということばは、外国語にはなく、日本語に独自な語だといわれている。
(注35)「長寿地域を意味する「ブルーゾーン」の概念を広めたアメリカの研究者・作家であるダン・ベットナーが、日本・沖縄の長寿の理由の1つとして「生き甲斐」(ikigai)に言及したことで、2000年代以降の欧米でも広く知られる概念となった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E3%81%8D%E7%94%B2%E6%96%90
Dan Buettner(1960年~)。’In April 2015, Buettner published The Blue Zones Solution: Eating and Living Like the World’s Healthiest People, which listed Ikaria (in Greece), Okinawa (Japan), Sardinia (Italy), Loma Linda (California), and Costa Rica as the places with top longevity.’
https://en.wikipedia.org/wiki/Dan_Buettner
なぜ欧米語にはなくて、日本語だけにあるのか。
しかも科学的な術語としてではなくて、日常語として頻用されるのはどうしてなのか。・・・
⇒外国語全般が突然欧米語に変わっているのがおかしいですよね。
生きがい=生き甲斐=生きることの喜び・張り合い
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E3%81%8D%E7%94%B2%E6%96%90
であるところ、2語からなる複合語であるわけです。
漢語では「人生目的」という言葉がありますが、
https://translate.google.co.jp/?hl=ja&sl=ja&tl=zh-TW&text=%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%8C%E3%81%84&op=translate
これも「人生」「目的」という2語からなる複合語ですから、日本語と大同小異です。
ですから、支那人にも生きがい感覚があっても不思議ではありません。
他方、英語では、purpose of life、purpose in life、reason for living、という3つの表現があり、また、前2者は「目的」で最後のは「理由」、
https://ejje.weblio.jp/content/%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%8C%E3%81%84
なので、ニュアンスが異なる、ことから、欧米語を英語で代表できるとするならば、ですが、欧米に関しては、「注35」に出て来るように、ベットナーが’ikigai’と日本語をそのまま使ったことからしても、浜口の言う通りかもしれません。(太田)
神を絶対的に信奉し、ただ神意にそってのみ生きようとする文化にあっては、あえて生きがいなど問う必要はないが、日本人のように、神々に現世利益ばかりをもとめ、神が人間に奉仕するようなばあいには、いったいなんのために生きるのかが、あらためて問われなければならなくなる、というのである(見田宗介<(コラム#14487)>『現代の生きがい』<(注36)>)。」(87~88)
(注36)「1970『現代の生きがい―変わる日本人の人生観』日本経済新聞社
・精神のパンとしての〈生きがい〉は、絶対的な価値を与えてくれる神/共同体なき時代、生存そのものから解放された時代になり初めて問われるようになる。
・『時間の比較社会学』の主要モチーフ、近代合理性の帰結としての〈死の恐怖〉や「未来に向けた現在の生の道具化」がすでに問題提起されている。、
今日という日を、未来のある目的のための単なる手段と考えて、この現在の生そのもののなかに喜びを見出さないものは、ついにその全人生をむなしく過してしまうだろう。人生はいつも、今日という日の連続であって、明日という日は永遠に来ないのだから(p181)
・ただし〈死の恐怖〉をのりこえる方法は、「あたかも蛇が自分のしっぽを食うようなかたち」で自己完結的な「幸福」とは異なる。」
https://oguma.sfc.keio.ac.jp/kenkyuukai1-report/2011a/2011komine.pdf
⇒ヘーゲルやマルクスの研究者だった哲学者の見田石介(せきすけ。1906~1975年。甘粕正彦は従兄弟))
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%8B%E7%94%B0%E7%9F%B3%E4%BB%8B
を父に持つ見田宗介は、「注36」のような短い引用文だけで判断するのは本来控えなければならないけれど、父譲りの対欧米コンプレックスがあったのか、キリスト教徒でもなさそうなのに、一神教的神観とは無縁の日本人の人生観を貶めている感があります。(太田)
(続く)