太田述正コラム#14638(2024.12.13)
<浜口恵俊『間人主義の社会 日本』を読む(その24)>(2025.3.10公開)
「・・・日本人の・・・特定の目的を達成したり、目標となる者を獲得するための競争よりも、他の競争者に負けまいとするだけの競争、すなわち「相対的競争」は、個人ベースでよりも、団体競争の形をとりやすい。・・・
夏の高校野球での郷土チームや、地元プロ球団にたいするあの熱狂ぶり<や、>・・・NHK恒例の年末紅白歌合戦の視聴率のとび抜けた高さも、日本人の団体競争への強い関心を示している(作田啓一「日本人の原組織」、飯島宗一<(注42)>・鯖田豊之<(注43)(コラム#89、6898、)編『日本人とは何か』昭48)。・・・
(注42)そういち(1922~2004年)。病理学者。名大医卒、同大博士(医)、同大助教授、広島大医教授、同大学長、名大医教授、同大学長、広島大/名大名誉教授。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E5%B3%B6%E5%AE%97%E4%B8%80
(注43)1926~2001年。京大文(史学)卒、島根大助教授、京都府立医科大教授、同大名誉教授。「『肉食の思想< 欧羅巴精神の再発見>』<(1966年)>が話題となり、保守派評論家として知られた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AF%96%E7%94%B0%E8%B1%8A%E4%B9%8B
「ヨーロッパは牧畜に適した風土であり、稲作よりも牧畜をするほうが土地を有効に活用できた。一方で日本は稲作に適した土地であり、牧畜には適していなかった。このような違いが肉食率の違いに現れた。・・・
動物愛護と肉食の矛盾を解決する方法として、人間と動物を明確に分ける思想が生まれた<。>・・・
<このような>人間と動物を断絶させる論理が、宗教の違い、人種の違い、身分の違いによって人間を断絶する論理にも発展し、ヨーロッパにおける、聖職者をトップとし、その下に貴族、その下に市民といった、身分社会を生み出したのだと論じている。
またヨーロッパの教会の荘厳さや、貴族の豪華絢爛な生活スタイルは、このような身分の違いをはっきりさせるために、現れたものである。マルクス主義が生まれた背景には、貴族と市民の確固たる断絶があったことが背景にある。・・・
パンは米や麦飯に比べて、食べられる状態になるまでの手数が多い。その一方でパンは、米のように粒状で穀物を接種するよりも、消化吸収が良いという。パンのような粉食がヨーロッパで普及したのは、穀物生産力が高くない土地で、効率的にエネルギーを接種する方法を選んだのではないか<。>・・・
農家、加工業者、販売者などあらゆる業者の存在と、それらの職業の人々とうまくやっていかなければ生きていけないという社会状況は、ヨーロッパの市民に社会意識を根付かせた。言い換えれば、パン食によって、食品工業が発展し、これにより市民に社会の存在を意識させたのである。
またパンの原料である小麦を生産するにも社会とのつながり欠かせなかったという。穀物の生産性が低いヨーロッパでは、三圃制を採用せざるをえなかった。三圃制のような複雑な土地利用は、個々の農家がバラバラに行うのではなく、近隣の農家との協力が必要不可欠である。食料を安定的に生産するため、地域住民との協力が欠かせなかった。
一方で、日本の場合、村落共同体のようなものはあったが、個々の農家の独立性が強かった。ゆえに日本では、「先祖伝来の田畑」といったような、思想が生まれ、先祖を敬う思想が生まれた。ヨーロッパのように地域との協調関係が絶対である場所では、先祖云々よりも、今生きている村の仲間を大切にするような、思想が育まれた。そしてキリスト教の人間中心主義のなかには、過去よりも、このような現在の関係を重視する思想が含まれるという。
パン食はヨーロッパで強い社会意識を醸成させた。この社会意識の強烈さについて、本書では「他人が自分と同じでないことに我慢できない、一種のおせっかい精神である」と述べている。
一見、他人に寛容な自由の国というイメージが強いヨーロッパであるが、その歴史は他宗教の排除や人種差別、貴族と市民を断絶するなど、多様を認めない歴史で埋め尽くされている。また現在でも、アメリカやヨーロッパでキリスト教に起因した法律や、政治と宗教の繋がりが残るのも、この名残であるとする。」(『肉食の思想』の要約)
https://syokubun.com/nikusyokuno-sisou/
⇒「ヨーロッパ中世の荘園制下の農村で・・・三圃制農業<が>アルプス以北で普及したが、特にイギリスで発展した。」
https://www.y-history.net/appendix/wh0603_1-002.html
とされているようではあれど、イギリス「中世」は封建制ではなく、従って荘園制下にもなかった(コラム#省略)にもかかわらず、三圃制農業が盛んに行われたことをどう説明するかは、今後の課題にさせてもらいたいですね。(太田)
「日本では、企業の業績を年間の利益高によってではなく、他企業に比べどれだけシェアを拡大したかによって判断する傾向がある」(・・・ヴォ―ゲル<による原著の>・・・<邦>訳『ジャパン アズ ナンバーワン』昭54)・・・<。>・・・
しかしながら、そのような「相対的競争」を行う会社どうしが、連帯的に振舞うところに大きな日本的特色がある。・・・
日本の企業間競争は、いわば”共存の原理”にのっとっている。
こうしたグループ競争は、今西錦司が主張している「棲みわけ」であるにすぎず、ダーウィン進化論での生存競争(適者生存)からは程遠いものかもしれない。・・・
これが日本的グループ競争の実態であろう。
適当な競争がシステム全体の繁栄をもたらす好例だと言える。
そこでは競争が順機能的に働いている。」(107~109)
⇒日本の社会組織は、多傘分散しているけれど、「頂点」は中央政府で一つしか存在せず、競争は、それより下層の特定産業の同一階層の複数の傘の間で行われる、ということです。(太田)
(続く)