太田述正コラム#14644(2024.12.16)
<2024.12.14東京オフ会次第(続々)>(2025.3.13公開)
O:何度も恐縮ながら、最近の私のコラムが「ゆとりある筆致で読み易い」件について、その理由と思われることを更にもう一つ。
私は日本を独立国家にすることを目指してきたところ、その必要条件として、日本の中央政府を脳死させないことがあったわけだが、ついに脳死してしまった以上、日本を独立国家にする主体がなくなってしまい、もともと微力ではあれ、私自身がどんな努力をしても、もはやどうしようもなくなった、と判断した瞬間から、私の余生が始まったのであって、私は、世界情勢を引き続き眺めていくということ、と共に、私がかねてから抱いてきた様々な疑問を自分なりに解決し、答えを出していくという、純粋な趣味の世界に遊び始めて現在にいたっており、自ずから、太田コラムが「ゆとりある筆致で読み易い」ものになっても不思議ではなかろう。
で、「世界情勢を引き続き眺めてい」る、方についてだが、民主主義が(兵庫県よりも早く)機能し始めた米国が、前から民主主義を機能させていたところの、中南米、化しつつあるのを目の当たりにしつつあることは痛快至極だ。
中南米は、極度に単純化して一括りにして言えば、かなり前から、大統領制の下、愚かな民衆が潜在的独裁者を大統領に選出し、その大統領が独裁化し、それを軍部やゲリラが打倒し、やがて大統領制を復活させ、愚かな民衆が再び新しい潜在的独裁者を大統領に選出し、そして・・、という賽の河原のようなサイクルを繰り返してきた歴史を有しているところ、米国の中南米化、というのは、米国も早晩、このサイクルに絡めとられるだろう、という意味だ。
E:昭和天皇は陸軍は嫌いだったが海軍は好きだったのか。
O:昭和天皇は、軍隊それ自体が嫌いで、その日本での廃止を企図していたけれど、同天皇は、政治家として大変な力量を持っており、海軍の味方のフリをして陸軍攻撃をまずやったわけだ。
その力量は、そもそも、宮中某重大事件の時、ほぼたった一人で、母親の貞明皇后を筆頭とする反対勢力と戦ってこれを打ち破ったこと、や、ついに暗殺を免れたこと、等からも明らかだろう。
A:いつ暗殺を免れたというのか?
O:(摂政時代の1923年の虎ノ門事件で負傷すらしなかった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%8E%E3%83%8E%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6
のは幸運としか言いようがないが、)例えば、杉山元がマッチポンプ的にやらせた二・二六事件の際、杉山に昭和天皇を殺害するオプションがあっても不思議ではないのであって、恐らく、貞明皇后がそれだけはやらないように、彼に指示していたのだろう(が、昭和天皇側も、貞明皇后には警戒していて、二人の間柄が破綻しないように細心の注意を払っていたのだろう)。
(コラム#14644でも昭和天皇の豪胆さを紹介したところだが、虎ノ門事件の際に御料車に同乗していた東宮侍従長が犯人の散弾銃で負傷したというのに、「事件後側近に「空砲だと思った」と平然と語ったとされている」(上掲)ところだ。)
何せ、紫式部までもがご先祖様ときているわけだが、日本の歴代の偉人達の殆ど全員の血を天皇家は受け継いでおり、それだけで周りの人々に与える圧は大変なものであって、歴代天皇は自分達のかかる「資産」を十二分に自覚しつつ、その活用を図ってきたわけだ。
(安土桃山時代に限っても、織田信長、徳川家康、前田利家、明智光秀、細川忠興、らを天皇家は祖先に持つ。
https://mag.japaaan.com/archives/183382 )