太田述正コラム#14646(2024.12.17)
<浜口恵俊『間人主義の社会 日本』を読む(その25)>(2025.3.14公開)

 「日本人の「相対的競争」の第二の形態は、模倣競争である。・・・
 人間社会では、階層的な上下の区別があって、人はいつも自分より地位が上の者をうらやみ、その人の行動を模倣しようとする。・・・
 もともと日本人には、公正な競争を排除したり、「競争」事態に入ることを忌避したりする傾向が、体質的に備わっているようにも思える。
 事前にそれを排除したり、回避するような」メカニズムが働いて、結果的には、全体システムの統括者もしくは最有力勢力による社会的独占が出現する。
 いわゆる学閥による人事の支配は、そうした独占状況の一つの例である。・・・

⇒具体的データ、と、その国際比較を行わない限り、何の意味もない記述です。(太田)

 日本の組織における「相対的競争」は、さらに、「忠誠競争」(石田雄)<(注44)>としても現れる。・・・

 (注44)「<戦前の日本における>競争の質的<変化>を最も簡単に要約すれば、「開かれた競争」から「閉ざされた競争」へといえるだろう。「開かれた競争」とは独立した個人を中心として、「一身独立して一国独立す」(福沢)というように競争を展開していく型であり、「閉ざされた競争」とは、まず列強に対する日本の特殊利益があり、次にその日本という閉鎖的な社会の中での閉鎖的集団の忠誠競争となるという型である」(石田[1970:・・・『日本の政治文化――同調と競争』・・・115-116])
 「あるいはこの変化を普遍的基準による競争から特殊主義的な集団本位の競争として特徴づけることもできる。「人の一身も一国も、天の道理に基て不覊自由なるものなれば、若し此一国の自由を妨げんとする者あらば世界万国を的とするも恐るゝに足らず、此一身の自由を妨げんとする者あらば政府の官吏も憚るに足らず」といい(『学問のすすめ』初編)、「道のためには英吉利、亜米利加の軍艦をも恐れ」ず、「理のためにはアフリカの黒奴にも恐入」る(同前)という精神にもとづくものが前者である。これに対して、万邦無比の国体の精華の特殊性を強調しその特殊な国家を前提として競争を展開するのが特殊主義的集団本位の競争である。
 日本という特殊主義的な閉ざされた集団内での忠誠競争は、国体と名づけられる定義しがたい内容をめぐるものであったから、その競争には基準を求めることはできなかった。国家の中でどの集団がより多く忠誠であるかは、専らその時の状況によって変わる国家目的によって決定される。ところがその国家目的を確定する手続きが明らかでないから、結局無方向の忠誠競争の「なりゆき」によって決められることとなる。
 このような閉鎖的集団の中の忠誠競争は、基準をもたない他人指向的な(あるいは集団指向的な)「かけ足型」の忠誠となる。一人がかけ出せば全部がかけ出さざるをえない。その意味では多量のエネルギーを獲得することができる。しかし、どの方向に向いてかけ出すのが好ましいかを問う暇はない。あるいはすでにある方向を向いて走り出しているとき、その方向を疑うものは不忠誠とされる」(<同上>116-117])
http://tanemura.la.coocan.jp/re2_index/I/ishida_takeshi.html

 日本の組織成員は、表面上はにこやかに忠誠度を競いながらも、事実上は、他を打ちのめして忠誠チャンピオンの座に就こうとする、熾烈なゼロ和ゲームを展開しているのである。
 しかしそれが完全なゼロ和ゲームとならないのは、日本人の競争が、本来的な「競争」ではなく、相対的な「抗争」であるにとどまるからであろう。
 企業間のグループ競争が、業界の連帯的枠組みの内でしか行<わ>れないのと、それは軌を一にしている。・・・」(110~111、114~115)

⇒石田が丸山眞男の受け売りで・・とあえて言わせてもらうが・・福澤諭吉を180度誤解していることはさておき、石田が、忠誠競争は、戦前の日本における「万邦無比の国体の精華の特殊性を強調しその特殊な国家を前提と」するものであったと主張しているのに対し、浜口は、戦後の日本でも忠誠競争が行われていると主張している以上、彼は、その戦後における「前提」を明らかにすべきなのにしていません!
 (明らかにしようとしても、彼にはできなかったでしょうが・・。)
 私の考えは、プロト日本文明と日本文明に共通する日本社会の組織原理は、エージェンシー関係の重層構造(多傘分散システム)なのであって、日本の戦時体制は、この組織原理を産業社会に最も適合的なものへと再構築したものに他ならず、この戦時体制が戦後も、そのまま、比較的最近まで維持された、ということなのです。(太田)

(続く)