太田述正コラム#14648(2024.12.18)
<2024.12.14東京オフ会次第(続x3)>(2025.3.15公開)

1 始めに

 本日、こんな記事を見つけたこともあり、↓

 ・・・the remains found in a shaft at the Charterhouse Warren Farm in southwest England・・・
 The bones belong to at least 37 men, women and children who were slaughtered and possibly eaten in a ceremonial feast after their massacre.・・・
 ・・・apparently killed and buried sometime between 2210 and 2010 B.C.・・・
https://www.nytimes.com/2024/12/17/science/bronze-age-skeleton-cannibals.html

先般のオフ会の際に用いた「2024.12.14オフ会図表集」・・実態はほぼ写真集・・の紹介とその中身の簡単な解説を行うことにしました。
 もちろん、テキストファイルで写真等は表示できませんが、URLをお示しするのでご自分でご覧になってください。
 (当然のことながら、「日本のユニークさと普遍性–世界史の観点から(メモ2)」(コラム#14639)も参照していただく必要があります。)
 当日、殆ど使わなかったことが心残りになっていたこともあり・・。
 
2 「2024.12.14オフ会図表集」解説。

 (1)狩猟採集時代のイギリスの狩猟採集社会の住民
https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=WtRIQcHH&id=D011DDB5E2F593A82A712F279C9CD14ABCB80118&thid=OIP.WtRIQcHH8iDPGRLLsE4izwHaGH&mediaurl=https%3A%2F%2Fmaash.jp%2Fwp-content%2Fuploads%2F2018%2F02%2Fcheder.png&exph=924&expw=1120&q=%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%B3%E4%BA%BA&simid=607994729541886196&FORM=IRPRST&ck=C57F201E8CEBF515FA8AEF95F414AD3E&selectedIndex=18&itb=0&qpvt=%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%B3%E4%BA%BA&cw=1401&ch=1531&ajaxhist=0&ajaxserp=0
 この復顔された人物、色黒であることが印象的ですが、微笑ませているのが、結果的に、この人物をいかにも人間主義者らしくしていますね。
 彼らはその後のイギリスの住人達と遺伝子的に断絶しているので、どうでもいいと言えばどうでもいいのですが・・。

 (2)農業革命後の近東発の農業民
https://www.bing.com/images/search?q=%e3%83%96%e3%83%aa%e3%83%88%e3%83%b3%e4%ba%ba&view=detailv2&id=319216B7C5D6214B9AB73091D3C215C7B2352CB0&selectedindex=2&thid=OIP.n1fLyLlrp_CwoqZM01KHAAHaE7&ck=5C735CB6F82B0370CA0BC109ADA5B4B2&ccid=n1fLyLlr&exph=533&expw=800&idpbck=1&idpp=serp&FORM=IQFRBA&ajaxhist=0&ajaxserp=0
 この復顔された人物、弥生人らしく、しかめっ面に見えるのがいいですねえ。
 彼らは、「(1)」とは違って完全に駆逐されたわけではないけれど、殆ど駆逐されてしまったので、ほぼ無視してもいいわけですが・・。

 (3)石のストーンヘンジを作った、ステップ地帯発の欧亜語族たる牧畜民
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%B3%E3%82%B8#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Stonehenge2007_07_30.jpg
 骨はたくさん残っている筈なのに、どうして、ネット上でその復顔を見いだすことができなかったのか不思議でなりません。
 で、止むなく、彼らの代表的遺跡たる石のストーンヘンジの写真を載せた次第です。
 念のためですが、これは、「(2)」人々が作った木のストーンヘンジの、同じ場所に作られた後継施設です。
 なお、冒頭に掲げた記事に登場する人々はこの時代の人々であり、彼らの弥生性が、イギリスにやってきた人々の中で、際立って高かったことを示すもの、と、言えるのかもしれません。

 (4)バスク地方発のバスク人
https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=0tGkO%2FTD&id=DDCBD38D05B8F276E78D0B4843523C014CFA50F1&thid=OIP.0tGkO_TD8-NhoGGRZoNbrAHaLw&mediaurl=https%3A%2F%2Fs.hdnux.com%2Fphotos%2F40%2F74%2F64%2F8637734%2F5%2F850x0.jpg&exph=1349&expw=850&q=basque+country+map&simid=608044894758652403&FORM=IRPRST&ck=C359F3F2EB1921501C4B1C61AC114850&selectedIndex=105&itb=0&cw=1401&ch=1531&ajaxhist=0&ajaxserp=0 
 まず、地図を載せたのは、バスク地方とイギリスとが意外に近いことを直観的にお分かりいただくためです。
 で、次に載せたのは、比較的最近のバスク人指導者の写真です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%AF%E5%9C%B0%E6%96%B9#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Agirre_Lekube_lehendakaria.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%83%AC
 その上で、(バスク人と銘打ってあるわけではありませんが、バスク人説を踏まえれば、年代的に)往時の在イギリスバスク人の可能性が高い人物の復顔です。
https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=V%2Fhsdve4&id=5174FF589C6C81E2DD8D2269F79622DEB90AF058&thid=OIP.V_hsdve4hsrQESk2LW2cPAHaJ4&mediaurl=https%3A%2F%2Fcdn.mos.cms.futurecdn.net%2FAQhkEQYhtzH5YJFG2J5kkN-1200-80.jpg&exph=1500&expw=1125&q=%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%B3%E4%BA%BA&simid=608035780849858412&FORM=IRPRST&ck=21D512C11EC330BD87D2E867EDC1629C&selectedIndex=112&itb=0&cw=1401&ch=1531&ajaxhist=0&ajaxserp=0
 たまたまかもしれませんが、すぐ上のバスク人の人物とこの在イギリスバスク人(?)の面立ちは実に良く似ていますよね。

(続く)