太田述正コラム#14650(2024.12.19)
<2024.12.14東京オフ会次第(続x4)>(2025.3.16公開)
<US>
≫(3)石のストーンヘンジを作った、ステップ地帯発の欧亜語族たる牧畜民・・・
骨はたくさん残っている筈なのに、どうして、ネット上でその復顔を見いだすことができなかったのか不思議でなりません。≪(コラム#14648。太田)
新石器時代のイギリス人ですが、リンク先はいかがでしょうか?↓
https://news.nicovideo.jp/watch/nw5167240
https://www.liputan6.com/global/read/793527/penampakan-manusia-purba-stonehenge-berumur-5500-tahun-ganteng
蛇足ですが、英語記事での同写真です。↓
https://www.newsweek.com/2014/06/20/meet-flintstones-265268.html
<太田>
見つけていただきありがとうございます。
ただ、現在のイギリスにどこでもいそうな容貌の男性なので、ちょっと拍子抜けです。
(5)アングロサクソンの渡来と定着
https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=JUEbKszt&id=5F3AA67D34FE950CA3DE5BE41BB01B53B348A43A&thid=OIP.JUEbKsztVpRAUfW7F0biRwHaER&mediaurl=https%3A%2F%2Fblog-imgs-66.fc2.com%2Fo%2Fy%2Fa%2Foyakochoco%2Fnakano-3.jpg&exph=289&expw=500&q=%E5%8E%9F%E7%BD%AA%E3%81%AE%E9%80%A3%E5%90%88%E7%8E%8B%E5%9B%BD%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9+%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%B8%A1%E6%9D%A5&simid=608006686713053895&FORM=IRPRST&ck=C42D1DA12DDEED8F801EB45BF7DE1AC8&selectedIndex=51&itb=0&cw=939&ch=1531&ajaxhist=0&ajaxserp=0
渡来してきたのは狭義のアングロサクソン、ブリトン人系の人々も併せると広義のアングロサクソン、と呼び分けようと思いますが、どちらにせよ、要はほぼほぼ現在のイギリス人のことですから、写真をご紹介するまでもないと判断しました。
ちなみに、狭義のアングロサクソンたる3民族のアングル、ジュート、サクソン、のうち、その故地にその名前が残っているのは、ジュートのユトランド半島、サクソンのザクセンですが、このザクセン地方に、1692年にハノーファー選帝侯領が成立し、1714年から選帝侯が英国王を兼ねるようになり、1814年にハノーファー王国となってもその状態は変わらず、1837年になって、ヴィクトリア女王の英国女王就任に伴いようやくこの同君連合が解消される
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E7%8E%8B%E5%9B%BD
という歴史から、偶然がしからしめた部分が大きいとはいえ、イギリスとザクセンとのえもいえぬ縁を感じさせます。
(6)ミノア文明
https://en.wikipedia.org/wiki/Minoan_civilization
クノッソス「宮殿」の絵図を載せましたが、少なくとも宮殿に隔壁がなかったことは分かりますよね。
しかも、これ、宮殿なんぞではなかったという説が有力なので「」に入れた次第です。
1988年にこの遺跡を訪問したことがあるだけに、ミノア文明の人間主義性につい最近まで気が付かなかったのはお恥ずかしい次第です。
(7)チャタル・ヒュユク
https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=G7igFn%2F7&id=D232D78F9CFEFDAE9699980926BA9767AB804B3D&thid=OIP.G7igFn_7ibPa5QR5c-rUrAHaDx&mediaurl=https%3A%2F%2Fassets.st-note.com%2Fproduction%2Fuploads%2Fimages%2F71890324%2Frectangle_large_type_2_f47254ddea58e9acfe2cb3655c0f86f5.jpg%3Ffit%3Dbounds%26quality%3D85%26width%3D1280&exph=653&expw=1280&q=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%A6%E3%82%AF+%E5%BE%A9%E5%85%83%E5%9B%B3&simid=608045534727264366&FORM=IRPRST&ck=1F63BB92E553B6E22845E4F4D582B670&selectedIndex=28&itb=0&qpvt=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%A6%E3%82%AF+%E5%BE%A9%E5%85%83%E5%9B%B3&cw=939&ch=1531&ajaxhist=0&ajaxserp=0
https://www.reddit.com/r/lego/comments/9e832r/moc_neolithic_city_based_on_%C3%A7atalh%C3%B6y%C3%BCk/
名称くらいしか記憶になかったところの、アナトリア半島内陸の南側で発見された表記の古代「都市」とお近づきになれたのは幸運でした。
二種類の復元図を載せたのは、実写にちかいものと細部がよく分かるものの両方が必要だと思ったからです。
後者を眺めながら、「メモ」で紹介したこれ↓
https://note.com/mitimasu/n/n41e09ab1040a
をお読みになれば、チャタル・ヒュユクの人間主義者たる住民達が外敵からの防御など全く考えていなかったということを納得されるはずです。
(続く)