太田述正コラム#14654(2024.12.21)
<浜口恵俊『間人主義の社会 日本』を読む(その26)>(2025.3.18公開)

 「日本は「人間関係社会」のまま近代化に成功したわけだが、クラークは、その理由を、日本が戦争や侵略に巻き込まれなかったという歴史上の事実によって説明した。

⇒日本は、「人間関係社会」≒「人間主義社会」、のままであったならば、近代化どころか、その存続すら不可能だったでしょう。
 日本は、人間主義社会を人間主義的社会にすることによって、すなわち、弥生性を身に着けることによって、より正確に言えば、社会の上澄みの弥生的縄文性を縄文的弥生性へと変貌させることによって、内戦状態を招来しつつも、侵略を跳ね返すことができる武力を擁し続けることによって独立を維持することができたのです。(太田)

 このクラーク説を別の角度からとらえれば、要するに日本は、大陸の周辺に位置づけられた「島国」であり、大陸からの直接侵略に対しては、海という自然の防壁があり、それでいて優秀な文明を吸収することは比較的容易であった、ということにほかならない。
 日本人は、「島国」であったために、人間関係中心の価値観を強く保持し、そのような民族的性格に基づいて近代化をなし遂げたのである。

⇒海は、核時代の現在ならともかく、自然の防壁としては決定的なものではありませんでした(コラム#省略)し、日本は、「優秀」な文化・・技術・・こそ吸収したけれど、文明は世界で最も「優秀」である自国の文明を維持し続けたのです。(太田)

 だとすれば、「島国根性」<(注45)>は、むしろ、そうした日本独自の近代化の原動力だった、ということになる。

 (注45)β:「 周囲を海に囲まれた島国に住んでいるため、視野がせまく閉鎖的でこせこせした性質、見解。」
https://kotobank.jp/word/%E5%B3%B6%E5%9B%BD%E6%A0%B9%E6%80%A7-523656
 α:「明治27年,歴史学者久米邦武は雑誌「国民之友」に4回にわたり「島人根性」論文を掲載。」
https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=202002248093585076
 「久米邦武が<米国>からイギリスに渡りまして、イギリスで友人を訪ねたんです。ところが、訪ねてみましたらその友人がおりませんで、下宿のおばさんが、彼は今コンチネントに行っていると言ったというんです。コンチネントというのはヨーロッパ大陸のことでございます。なるほどイギリスというのはフランスやオランダのことをコンチネントと言うのか。そこで、久米邦武がイギリスで、ロンドンの港、マンチェスターの工業地帯などを見まして、毎日のように出入りしていく船を眺めながら、なるほどイギリスは島国である、島国だから七つの海を渡ってこんなにもたくさんの貿易が行われているんだ。振り返ってみれば日本もまた島国である。とするならば、イギリスのように外に向かって毎日船が出入りして、おおらかにほかの民族だの文物だのを取り入れる、そういう精神を持って国づくりをしていかなければいけない。それを久米邦武は島国精神と呼んだわけでございます。これは記録に残っている一番古い言葉でございまして、これを後に島国根性という全く逆の意味に取り違えたのは、・・・その後のことでございます。」(加藤秀俊「第107回国会 国民生活に関する調査会 第2号」より)
https://tonmanaangler.hatenablog.com/entry/20080209/1202559405

 「島国根性」のメリットは、そこにあると考えてよい。」(120~121)

⇒浜口は、「注45」の、α、βの伝で行けば、「島国根性」に関するγ説を唱えたわけですが、みんな、まずはα説に回帰して欲しいものです。
 そのことが、日英の島国であるという外形的な類似の想起が、日英両文明の類似性に気付く第一歩になることを期待して・・。(太田)

(続く)