太田述正コラム#14656(2024.12.22)
<浜口恵俊『間人主義の社会 日本』を読む(その27)>(2025.3.19公開)

 「・・・日本の近代化過程が、「人間関係社会」や「イエ社会」の内在的要因、すなわち「島国根性」によって推進されたことは事実だとしても、中国や欧米の諸文明からの理念や制度や文物の受入れによって促進されたこともまた、否定できない事実である。

⇒「否定できない事実」なぞでは全くありません。
 私見では、近代化の基本的要因は戦争(戦争抑止を含む)であって、近代化=軍事技術・制度の革新、と言っても良いくらいだからです。(コラム#省略)
 よって、日本におけるかかる革新が、支那からの騎馬遊牧民の軍事技術・制度の受け入れ、や、欧米からの近代的軍事技術・制度「の受け入れによって促進されたこと<は>・・・否定できない事実で」す、と、言い換える必要があります。(太田)

 日本の近代化は、ある意味では、「中国化」や「西洋化(欧米化)」と同義であった。

⇒ですから、あくまでも、表見的にはそう言えないわけでもない、程度の話です。(太田)

 とくに「西洋化」としての近代においては、近代産業を発展させるために先進的な欧米の科学技術を学び、また西欧の制度に倣って政治・行政・教育などのシステムを確立することに力が注がれた。・・・

⇒明治維新以後の日本においては、欧米の、科学はさておき、技術・政治・行政・教育のほぼ全ては軍事技術・制度なのである、との認識の下、かかる技術・制度に支えられた欧米の軍事力に対抗できる軍事力を整備「することに力が注がれた」のです。(太田)

 日本人を特色づける「集団主義」は、必ずしも「個人主義」の対立項としてのそれはない。
 
⇒日本社会は集団主義社会ではない(コラム#省略)ので、前段は間違いですが、後段は間違ってはいません。
 (太田)

 すなわち、成員の組織への全面的没入や隷属とは言いきれない側面をもっている。
 日本的集団主義というのは、各成員が互いに仕事のうえで職分をこえて協力し合い、そのことを通じて組織目標の達成をはかるとともに、同時に自己の欲求をも充たし、集団としての福祉を確保しようとする姿勢なのである。

⇒「日本的集団主義」中の「集団主義」という言葉も使うべきではありませんが、このくだりやそれに続く下掲のくだりは概ね間違っていません。(太田)

 そこでは、むしろ個人と集団との相利共生(symbiosis)<(注46)>が目指され、また組織成員間の協調の場が重視される。

 (注46)symbiosis=共生=共棲。共生には、相利共生 (mutualism)、片利共生(commensalism)、中立(neutralism)、寄生(parasitism)/捕食-被食関係、片害共生(amensalism)、競争(competition)、がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E7%94%9F

⇒「注46」を踏まえれば、「相利共生(symbiosis)」と書くのは間違いになります。(太田)

 それは、福祉組織の確立を求める「協同団体主義」(corporativism)<(注47)>だと再規定されなくてはならないであろう。・・・」(123、127)

 (注47)「コーポラティズム(・・・Corporatism・・・)は農業、労働、軍事、ビジネス、科学、ギルド組合などの企業集団が共通の利害に基づいて契約や政策を話し合い(団体交渉)、政策決定や利益代表を行う政治システムである。・・・
 日本では時期や指す内容にも応じて、「協同主義」「協調主義」「統合主義」、あるいは「協調組合主義」などと訳されている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%9D%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0

⇒「注47」を踏まえれば、「「協同団体主義」(corporativism)」ではなく、例えば、「「協同主義」(corporatism)」でなければなりませんでしたし、コーポラティズムには、国家コーポラティズムやネオ・コーポラティズム的な色が付いていることから、必ずしも価値中立的な言葉ではなく、使用しない方がよかったと思います。(太田)

(続く)