太田述正コラム#14658(2024.12.23)
<浜口恵俊『間人主義の社会 日本』を読む(その28)>(2025.3.20公開)
「日本人を含む東アジアの人たちは、身近な誰かとの”親密な”関係を保つことによって、他者との相互包摂的なかかわりのなかで、自らの行動主体性を確保するのがふつうである。
⇒こういった主張は、データ抜きで行ってはいけません。
また、そもそも、日本人と日本人以外の東アジアの人たちを一括りにしているのは、単なる思い込みがしからしめているのではないでしょうか。(★)(太田)
それは、他者との組織化された行為連関を維持しうるような「主体システム」を形成する。
連帯的「主体」とでもいうべきそれは、社会システムの側から見れば、オーダーが一段階高い「主体システム」だと評しえよう。
このようなタイプの「人間モデル」が、「関与的<(注48)>主体(referential<(注49)> subject)」である。・・・
(注48)「英和・和英辞典で「関与的」に一致する見出し語は見つかりませんでしたが、下記にお探しの言葉があるかもしれません。・・・<以下、略。>」
https://ejje.weblio.jp/content/%E9%96%A2%E4%B8%8E%E7%9A%84
(注49)「1参考の,参照の; 参考用の. 2参照付きの.」
https://ejje.weblio.jp/content/referential
⇒「関与的」を「referential」と英訳するのは無理があります。(太田)
これに対し、西洋人やアラブ人にあっては、他者とのかかわりの前に、自己自身の固有の行動主体性を樹立しようとする傾向が大である。
⇒★中の、「日本人と日本人以外の東アジアの人たちを一括りにする」を「アングロサクソン人と西欧人とアラブ人を一括りにする」に置き換えた上で、★と同じ批判が成り立ちそうです。(太田)
各個人のパーソナルで不可侵な独自性を、ゆるがぬ核としてまず第一に設定するわけである。
そしてそれぞれに確立された、いわば唯我的「主体」が、相互作用(利得の交換)を行い、その過程において、それらの複合システムとしての集団や全体社会が構築されてくるとする。
このような「主体システム」が規定される場合の「人間モデル」が、「単独的主体(individual subject)」である。
それは、自由で独立した「行為者主体(actor subject)」として振舞おうとする傾向が強く、前述の「関与的主体」と対置されることになる。・・・
<また、>西洋人の「個人」モデルでは、自己は「自我」<(注50)>として意識される。
(注50)self; ego
https://ejje.weblio.jp/content/%E8%87%AA%E6%88%91
これに対し、東洋人を特徴づける「間人」モデルでは、自らの存在を対人連関のなかで対象化するから、自他相即的な自意識をもつにいたる。
そうした自己意識(厳密にいえば自他間意識)を、日本語では「自分」<(注51)>という言葉で表現している。」(138~139、141)
(注51)self; oneself
https://ejje.weblio.jp/content/%E8%87%AA%E5%88%86
⇒「西洋人」を「アングロサクソン」、「東洋人」を「日本人」、に、それぞれ置き換えれば、ですが、同意です。、
なお、こここそ、浜口は、「自我」と「自分」に異なった英語を割り当てるか、「自分」に対応する英単語を創造するか、すべきでした。(太田)
(続く)