太田述正コラム#14662(2024.12.25)
<浜口恵俊『間人主義の社会 日本』を読む(その30)>(2025.3.22公開)
「結論的にいえば、日本人が「状況的」行為をドミナントな志向に措定するのは、多神教的・汎神論的な宗教観念を有するがゆえである。
⇒既述した理由から、「・汎神論的」はトル必要があります。
なお、日本において、戦国時代においてのみ、一神教的な天道(てんどう、てんとう)思想(注54)が発生していることは留意しておく必要があります。
(注54)「神仏習合に加えさらに儒教(とりわけ朱子学)の思想が強く混ざり合い、最終的に「天運」「天命」があらゆる物事の根源にあるとする、中世日本独有の思想体系<。>・・・個人の内面と行動が超自然的な天道に観られ運命が左右され、その行いがひどければ滅びるという・・・発想である。・・・
代表的な思想者の一人は他でもない歴史家の太田牛一<。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%81%93
但し、太田牛一(1527~1613年)は、黄檗宗の佛日寺に墓所があるので、黄檗宗信徒であったはずだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E7%89%9B%E4%B8%80
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%9B%E6%97%A5%E5%AF%BA
また逆に、その宗教行動が多神教的・汎神論的性格を示すのは、日本文化における「状況的」行為の相対的優位の顕現化だと考えられる。
「状況的」行為ということと、多神教的・汎神論的傾向との間には、相即不離の連関があるのではなかろうか。・・・
⇒ここも、「・汎神論的傾向」はトル必要があります。(太田)
棚瀬襄爾<(注55)>によれば、宗教というものは、危機的状況における個人の超合理的順応を試みる一種の文化であるが、その順応に、対外的対応と対内的対応の二種があるという。
(注55)たなせじょうじ(1910~1964年)。三高、東大文(宗教)卒、同大修士、龍谷大等を経て、京大助教授、同大博士(文学)。民族宗教学者、アジア地域研究者。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%9A%E7%80%AC%E8%A5%84%E7%88%BE
前者は、対応が外に向かってなされる場合で、人間の欲望はそのまま肯定されて、自己を変化させることを要しないタイプである。
後者は、反対に対応が内に向けられ、人間の素朴な欲望は否定せられ、人間改造が試みられる型の順応である。
日本人の神道をプロトタイプとする宗教行動においては、前者の対外的対応の形態が多く見受けられる。・・・
たとえば、個人の危機的状況・・・または祈願的状況・・・における「祈り」もしくは「願かけ」行為は、日本人にポピュラーな事柄であり、多くの社寺において頻繁にみられる。
これらの行為は、いずれも行為者の要求性向そのものの肯定の上に成り立っているといわねばならない。
また他の形態の対外的対応、たとえば呪術的・神霊崇拝的信仰(口よせ・縁起かつぎ・お<札>・お守り等)や運命論的吉凶観(「おみくじ」や手相骨相・姓名・日柄・方角等に関する易など)も、個人の世俗的幸福を願うところにその基盤をもっているといえよう。」(197~200)
⇒日本人の大半は、自分が私の言う人間主義者であるという潜在的自覚を抱いていても不思議ではないのであって、そうだとすれば、対内的対応をとろうとすることは基本的にありえないわけです。
日本人における、「神道をプロトタイプとする宗教行動」は、単に、自分の願いを他人にも認識してもらうために表明する行動でしかなく、また、「他の形態の対外的対応」は、自分が他人に人生相談に乗ってもらう行動の簡易型ないしゲーム化でしかない、というのが私の見方です。
例えば、平安時代真っ盛りの時代に生きた藤原道長ですら、加持祈祷の効力なんぞホンネでは信じていなかった(コラム#14625)ことを思い出してください。(太田)
(続く)