太田述正コラム#14680(2025.1.3)
<木村敏『人と人との間』を読む(その7)>(2025.3.31公開)

 「このヘルダーの思想を継続して、これをハイデッガー的な立場から解釈学的に理解しようと試みたのが、和辻哲郎である<(注7)>・・・。・・・

 (注7)「『風土』において和辻は,同書の主題である〈風土〉の問題に先駆的に着目した思想家としてヘルダーを挙げ,同書の第5章「風土学の歴史的考察」において「ヘルデルの精神風土学」という一節を設けて『イデーン<(人類歴史哲学考)>』を紹介し,論じている。15年後の『近代歴史哲学の先駆者』においてもヘルダーを取り上げ,和辻はヘルダーの歴史哲学に,ヴィコ(1668~1744)と並ぶ高い評価を与え,結尾の一章で『イデーン』を中心和辻哲郎『近代歴史哲学の先駆者』とヘルダーとしたヘルダーの紹介・検討をおこなっている。『イデーン』の歴史哲学は「人間存在の歴史的風土的構造」の把握に基づいた,「地球上のあらゆる民族の存在の権利を公平に承認する」立場の表明であり(VI, 397),「十六世紀以来の[<欧州>の]視圏の拡大に伴なう歴史的自覚」(ebd.,382)の結晶とされるのである(4)。また『倫理学』下巻(1949)においても,これと同様の観点からヘルダーへの言及がなされている(XI, 41 u. 137ff.)」
https://hosei.ecats-library.jp/da/repository/00024093/bungaku_82_p1.pdf

⇒いかなる風土群を研究対象にするか、その上で、それぞれをどのように特徴付けるか、は異なろうと、「風土」なる概念、と、「風土」研究の方法論、とを、和辻は全面的にヘルダーに負っているらしい以上、しかも、「人間(じんかん)」という日本特有の言葉を「発見」しつつも、この言葉が日本文明中の縄文性を指し表していることに気付かないまま終わった和辻に、私は、オリジナリティがゼロではないか、と、完全な幻滅を抱くに至った、と、申し上げておきます。(太田)
 
 私はさきに、日本的な自覚構造においては、自己は自己の根拠を自己自身の外部に見出している、と言った。
 このことは、差当っては「対人関係」の場で言われたことであったけれども、自己と自然との間の出会いについても、これとまったく同じ構造が見出せると思うのである。・・・
 原初的な事実そのままの純粋経験においては、自己はまだ自己として意識されておらず、自然はまだ(対象的)自然として意識されていない。・・・
 まずはじめに「出会い」があり、「かかわり」があり、「間(あいだ)」がある。
 このような「間」から、自己が自然に相対立するものとして自覚されて来るような場合に、われわれはこの「間」の「間柄」を「風土」という語で言い表すことができる。
 風土とは、人間が自己をそこから見出してくるところの、自己にとっては外部的な、自己と自然との出会いの場所である。
 自己と自然とが一であることによって、自己と自然が二となり、自己と自然が二であることにおいて自己と自然が一である–このような根源的事実の言表については、これはまったく禅的東洋的思考の独壇場だということができる。・・・
 道元が「正法眼蔵渓聲山色」の中に引いている問答を<意訳すると、>・・・自己を自然に帰するのも、自然を自己に帰するのも、所詮は一つのことなのであって、自己がおのずから自己である、という要点さえつかまえておけば、どちらをどちらに帰するかなどという問題にかかずらわることはない、<となる。>・・・」(83~87)

⇒道元のこの考え方が、果たして「禅的東洋的思考」なのか、それとも日本人独特の「縄文人的発想」なのか、私としては、木村とは違って、後者ではないか、と、見たいところです。
 さはさりながら、木村が、人間(じんかん)概念を事実上人と自然との関係にまで拡張した点については、高く評価したいと思います。
 問題は、和辻にとって「人間」概念が現在の世界における普遍的なものであったのと同様、木村のこの「拡張人間」概念もまた現在の世界における普遍的なものであったらしいことです。(太田)

(続く)