太田述正コラム#14688(2025.1.7)
<木村敏『人と人との間』を読む(その11)>(2025.4.4公開)
「・・・酔っ払いの例と狂人の例について考えてみるとき、私にはどうしても、日本人の生まれつきの体質そのものが、なにかしら壊れやすさ、脆さのようなものを持っているのだとしか思えない。
酔っても狂っても行動を乱さないのを連続的で合理的だと名づけるならば、私は日本人の体質そのもの、日本人の血そのものが非連続的で非合理的なのだと思う。
これを西洋人の眼から見れば、形態が無くなって、無形態(アモルフ)だということになるのだろう。」(122)
⇒木村の勘の鈍さは相当なものです。
酔っ払いの話に関しては、「日本人の多くはお酒に弱いにも関わらず、なぜか酒場が好きな人が多いですよね。」
https://hosigo.com/kiji/writer-miki/europe04.html
で終わりです。(注16)
(注16)「コーカソイド(白人)やネグロイド(黒人)は、ほぼ100パーセントが活性型のALDH2を持っており、低活性型や非活性型はいない。一方、非活性型はモンゴロイド(黄色人種)だけに見られ、特に日本人に多い。日本人は37~38パーセントが低活性型、6~7パーセントが非活性型だと考えられる。つまり日本人のおよそ半数がお酒に弱いということになるのだ。」
https://www.lettuceclub.net/news/article/174048/
「女性は男性に比べて、同じ量のアルコールを飲んでも血中アルコール濃度が高くなりやすく、酔いやすい傾向があります。
一般的に、女性は男性に比べて体も肝臓も小さく、アルコールの分解が遅いため、少量のお酒でもアルコールの影響を受けやすく、肝臓に負担をかけてしまいます。分解速度は個人差もありますが、平均すると1時間で分解できるアルコールの量は、男性が約8gに対して、女性は約6g。つまり、女性は男性よりも遅いスピードでアルコールを分解することになります。
また、女性は男性よりも一般的に体脂肪が多く、体内の水分量が少ないため、血中のアルコール濃度が高くなる傾向があります。」
https://domani.shogakukan.co.jp/837933
また、狂人の話に関しては、木村の専門であるだけに、釈迦に説法の感があるけれど、「メンタルヘルス障害の有病率(prevalence)を過去12月(年間有病率)と12カ月と限定せず過去に患ったことがあるかの人口比(生涯有病率)で見てみると日本は年間有病率でイタリアに次ぐ低さ(人口比8.8%)であり、生涯有病率では最低水準(18.0%)である。日本は先進国で最も高い自殺率水準であるので・・・、自殺の引き金となるメンタルヘルス障害の有病率も高いと考えられているかも知れないが実は逆なのである。自殺率では日本の半分の米国のメンタルヘルス有病率が対象10カ国の中では最も高く、ニュージーランドが米国に続いている。確かにメンタルヘルス障害が破滅的な行動に結びつく可能性は高いと思われるが、それが自殺というかたちを取るか、肥満、アルコール・薬物依存、賭事、犯罪、他殺・傷害、無謀運転、社会騒乱、戦争等、何に結びつくかは各国の宗教、伝統、習慣など精神風土の違いや社会状況、歴史的経緯によっていると考えられる。・・・重度患者の受診率についてはデータのない国もあるので、中度の患者の受診率で各国を比較すると、ベルギーの受診率が50.0%と最も高く、日本は16.7%で最低である。心の病気に関しては日本の場合は病院に行かない割合が非常に高いのである。日本の場合は、メンタルヘルス疾患の患者が多いのが問題なのではなくて、むしろ、病気にかかっても医者に見てもらわない、見てもらいにくいのが問題なのである。」
https://honkawa2.sakura.ne.jp/2140.html
ということから分かるように、木村の診断を受ける日本人の精神病患者は、社会が面倒を見切れないので医者のところに行かざるを得なくなったところの、しかも、症状を外に向けずに自分自身に向けて自殺してしまわなかったところの、すなわち、症状をもっぱら外に向ける、重症者、が多いために、ドイツで木村の診断を受けた人々に比して、一般に、より、「非連続的で非合理的」な態度を示した、というだけのことだと思われるのです。
誤解を招かないように付け加えますが、様々な個人がいるように、民族/国民にも平均的な違いが存在することを、私は否定しているわけではもちろんありません。
ですから、同じコントロールされた条件下にある人同士であっても、酔っ払いや狂人で、日本人はドイツ人に比べて、より「非連続的で非合理的な」言動を行う傾向があったとしても、私は驚きません。
更に、こういった違いが、それぞれが置かれた風土の違いによって増幅されたり減縮されたりすることがあったとしても、私は驚きません。
しかし、そんなものだけで、全人類に共通するところの、人間主義性といった本性、が、明確に異なった形で発現するようになる、とは、私は考えないのです。(太田)
(続く)