太田述正コラム#14690(2025.1.8)
<木村敏『人と人との間』を読む(その12)>(2025.4.5公開)

 「・・・一人称、二人称の代名詞について日本語と西洋各国語を比較してみると、そこに<は>大きな相違<が>ある・・・。
 西洋各国語は、それぞれただ一つの一人称代名詞しか持っていない。・・・

⇒「日本語の人称体系は単純に言えば、「自分を指し示す」自称(一人称)、「話し相手を指し示す」対称(二人称)、そして「第三者を指し示す」他称(三人称)の三分類でまとめることが出来る。これらの三分類と基本的性質から、「私、僕」は自称代名詞、「あなた、君」は対称代名詞、「彼、彼女」は他称代名詞という区別がなされてきて、これらを一括したものが「人称代名詞」と呼ばれてきた」(竹内直也「現代日本語における対称<(二人称)>代名詞の特異性–」より)
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ところ、木村が、一人称と二人称だけに着目している点が画竜点睛を欠いています。
 というのも、日本語は、「(a)他の人称を表せない。(b)固定化・特定化できない。(c)対持性が他の人称詞・人称代名詞とくらべて強い。(d)本質は指し示すだけという指示的性質を持っている。」という、二人称だけが有している要素において、その特異性が際立っている(上掲)ところ、そのことは、一人称とだけでなく、一人称及び三人称、と、二人称とを比較することで一層明確になるからです。
 換言すれば、日本語の特異性は、その二人称において、とりわけ際立っている、ということです。
(これだけでは、良く分からないと思います。原文にあたってください。)(太田)
 
 これに対して日本語においては、僕、おれ、おのれ、わし、おいら、てまえ、自分、わたし、わたくし、あたし、うち等々、一人称代名詞のかなり使用頻度の高いものだけでも十指に余る。
 しかも、これらの代名詞は、日常の自然な会話においてはむしろ省略されることの方が多いし、省略された場合にこれに代って会話の主体を明示しうるような動詞、助動詞の人称変化も存在しない。・・・
 二人称代名詞を取ってみても、西洋各国語には原則として二種類(<但し、>現代英語ではユーの一種類)である。・・・
 これに対して、日本語の二人称代名詞は、一人称代名詞と同様に数も多く、また自然な日常会話においては、一人称よりもさらに省略されがちである。
 そもそも、・・・日本人は一般に二人称代名詞を使いたがらない傾向があり、これは特に目上の相手に対して著しい。・・・
<要するに、>日本語においては、そして日本的なものの見方、考え方においては、自分が誰であるのか、相手が誰であるのかは、自分と相手との間の人間的関係の側から決定されてくる。
 個人が個人としてアイデンティファイされる前に、まず人間関係がある。」(133~135、142)

⇒この限りにおいては、木村の言う通りです。(太田)

(続く)