太田述正コラム#14692(2025.1.9)
<木村敏『人と人との間』を読む(その13)>(2025.4.6公開)

 「・・・だから、日本語において、話の相手はけっしてまずもって「自己ならざるもの」としての二人称代名詞を冠されることがない。
 自己が自己として立てられる必要のないところで、自己ならざるものが自己ならざるものとして立てられる必要はまったく生じてこない。
 なんらかの特別な事情から特定の二人称代名詞がえらばれる場合にも、そこにはけっして「自己ならざるもの」という意味は含まれていない。
 同一の単語、たとえば「てまえ」とか「われ」とかが、一人称と二人称の代名詞を同時に表現しうるという事実は、このことを雄弁に物語っている。
 「君」は「ぼく」に対し、「あなた」は「私」に対し、「お前」は「おれ」に対して(この対応も、必ずしも一義的に定まったものではないが)、いわば共通の「間」から同時に析出してきたふたごの兄弟のようなもの、あるいは互いに他の分身のようなものである。
 自己がまずアイとして自己中心的に設定され、その語に非自己がユーと呼ばれるのではない、自己は相手あっての自己であり、いわば相手の影である。
 このような一人称および二人称代名詞の用法には、きわめて日本的な自己および相手のとらえ方が反映している。
 それを一言で言うならば、個別的な自我および他我、あるいは私と汝に対する両者の間柄の優位といってよい。・・・
 森有正<(注17)>氏は・・・論文(「経験と思想(1-3)」、思想1971年10月)の中で、「『日本人』においては『汝』に対立するものは『我』ではない……対立するものも亦相手にとっての『汝』なのだ……親子の場合をとってみると……子は自分の中に存在の根拠をもつ『我』ではなく、当面『汝』である親の『汝』として自分を経験しているのである……凡ては『我と汝』ではなく、『汝と汝』との関係の中に推移するのである」と書いている。

 (注17)1911~1976年。「明治時代の政治家森有礼の孫に当たる。父の森明は有礼の三男で、有馬頼寧の異父弟、キリスト教学者、牧師。母は伯爵徳川篤守の娘。祖母寛子は岩倉具視の五女。・・・
 生後間もない1913年に洗礼を受けてクリスチャンとなり、6歳からフランス人教師のもとでフランス語、後にラテン語を学んだ。暁星小学校・暁星中学校から東京高等学校 (旧制)を経て1938年に東京帝国大学文学部哲学科を卒業(卒論は『パスカル研究』)、同大学院を経て東京帝国大学の特研生、副手、助手を歴任。傍ら東京女子大学や慶應義塾大学予科などで講師を務め、フランス思想・哲学史を講義した。旧制一高教授を経て、1948年東京大学文学部仏文科助教授に就任する。
 第二次世界大戦後、海外留学が再開され、その第一陣として1950年フランスに留学する。デカルト、パスカルの研究をするが、そのままパリに留まり、1952年に東京大学を退職しパリ大学東洋語学校で日本語、日本文化を教えた。・・・
 パイプオルガンを演奏しレコードも出している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%9C%89%E6%AD%A3

 しかし、すべてが「汝と汝」だということは、裏を返せばすべてが「我と我」だということに等しいともいえる。
 もちろんこの場合、「我」とは「汝の汝」という意味においてである。

⇒ここまでは、異存ありません。(太田)

 このことは、日本語の一人称複数代名詞である「われわれ」、「私たち」、「ぼくら」が、時によって当面の話相手である「汝」をも含めて、自分と相手との全体に対して用いられるのに、その際にも一人称の単数代名詞そのままの複数形を使うことにも現われているのではないだろうか。
 この点においても日本語は、独立した一人称複数の代名詞をもっている西洋の言葉とはかなり違っているようである。・・・」(143~144)

⇒ここはおかしい。
 (「独立した一人称複数の代名詞をもっている」は意味不明であるところ、)この点では、「西洋の言葉」だって日本語と同じだからです。(太田)

(続く)