太田述正コラム#14694(2025.1.10)
<木村敏『人と人との間』を読む(その14)>(2025.4.7公開)

 「日本語でいう「甘え」とは、一体化を求める依存欲求を表わす言葉ではなくて、いわばすでに相手に受入れられ、一体化が成立している状態において、もしくはそのような許容が成立しているという自分本位の前提の上に立って、勝手気儘なほしいままの振舞をすることを意味している。
 それは、なにをしても許される、という馴れ馴れしい気持ちの上から、したい放題の振舞をすることである。
 だから土居<健郎>氏も言うように、「親子の間に甘えが存するのは至極当然なことであるが、それ以外の関係で相互の間に甘えが働く場合には、すべて親子関係に準ずるか、あるいはそれと何らかのかかわりを持つ場合と考えられる」(『「甘え」の構造』・・・)のであるが、これはまさに右の理由に基づくものであって、甘えを依存欲求と解さなくても説明がつく。

 (注18)「李御寧は、土居が「甘え」という語は日本語にしかないとしたのを、『「縮み」志向の日本人』で批判し、朝鮮語にも「甘え」に当たるものはあるとした。土居はその後、西洋にも「甘え」はあるという方向へ動いたが、結果として議論の独自性は失われた[要出典]。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%8C%E7%94%98%E3%81%88%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0
 英語。「「甘える」の英語訳とその使い分け<:>・・・「to depend on」は依存する、「to be spoiled」は甘やかされる、「to seek attention」は注意を引こうとする行動を指します。」
https://eikaiwa.weblio.jp/column/phrases/how-to-say-in-english/amaeru-english
 ドイツ語。「甘える<≒>sich anschmiegen≒schmeicheln≒jmdm. schmeicheln」
https://ja.glosbe.com/ja/de/%E7%94%98%E3%81%88%E3%82%8B
 フランス語。「甘える<=>se faire cajoler [dorloter] par」
https://kotobank.jp/jafrword/%E7%94%98%E3%81%88%E3%82%8B
 韓国語。「甘える<=>달콤한(dalkomhan)」
https://translate.google.co.jp/?hl=ja&sl=ja&tl=ko&text=%E7%94%98%E3%81%88%E3%82%8B&op=translate

⇒「注18」を踏まえれば、「甘え」という語は、ゲルマン語派にはないが、ロマンス諸語
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E8%AA%9E%E6%97%8F
にはほぼあり、韓国語にはある、と、取り敢えず言えそうであり、「甘え」概念を日本文化論の重要説明概念とする考え方は成り立ちえなさそうであることが分かります。
 そうであるとすれば、「甘え」概念と私の言う人間主義とは関係がない、ということになるでしょう。(太田)

 さて、このような「甘え」の態度は、私の見解では・・・日本の風土性ときわめて密接な関係をもつ。
 ・・・日本的な風土の中では人間は自然と密着し、自然の中に身を入れて、内側から自然の動向に適応していく以外に生きる道はない。
 日本の風土の中で、人間が安心して生きているときには、人間はいわば自然に対して甘えているのである。
 自然によって罰せられることがないだろうという馴れ馴れしい信頼感を前提とした場合にのみ、人間はそこで自由に振舞うことができる。」(149~150)

⇒よって、「甘え」の話は、人間主義の一環として説明することができるところの、日本人の自然観、の話とは切り離すべきだ、ということになるでしょうね。(太田)

(続く)