太田述正コラム#3207(2009.4.11)
<皆さんとディスカッション(続x453)>
<さるべーじ>
 日本が独立したことによるデメリット<(コラム#3205)>を考えてみました。
 それは、有権者が今以上に政治を考えなければいけなくなることです。(笑)
<太田>
 前回書かなかったけれど、メリットだってもっと色々あります。
 例えば、以前から申し上げていることですが、米国の間違った行動を、対等の友人としてたしなめることができるようになり、結果として世界が裨益することがあげられます。
<ΒΑΑΒ>(「たった一人の反乱」より)
≫どうやら日米関係と英米関係は、比べようもない、という印象ですね。≪(コラム#3136。太田)
バカか太田は? そんな事世界中の中学生でも認識しとるw。 
<太田>
 私がコラム#1621をアップした頃はボクちゃん、まだ小学生だったのかな?
 1939年まで、英国は米国の第一の潜在敵国だったってこのコラムに書いたんだけどね。
 にもかかわらず、日米関係と英米関係は、比べようもないほど差がついちゃったねって言ってるんだよ。
 ボクちゃんが知らないこと、世の中にはたくさんあるんだよ。
 勉強だよ勉強!
<平ちゃん>
<コラム#3138>「琉球新報記者による取材」<を読み>ました。
≫私は日本は米国と合邦するか「独立」するかはっきりさせるべきだと主張してきている。さもなきゃガバナンスを回復できず、構造的腐敗だって解消できないからだ。このアナロジーで行けば、沖縄も日本を選ぶか独立を選ぶかを決めなければならない。≪(太田)
 日本の米国に対する「属国」的な関係と沖縄と日本との関係は全く違うようにも思え、アナロジーとして問題の解決方法を援用することは乱暴ということはないのでしょうか?
 一般的には日本と沖縄の差異ばかりが強調される傾向にあるように感じられますが、実際には、日本(大和)と沖縄は古代から関係も深く、また人種的にも民族的にも深い繋がりがあるようにも考えるのですが(コラム#2122のコメント欄にも同趣旨の内容がありましたが)、太田先生は、日本(大和)と沖縄との古代からの関係、人種的、民族的な関係についてはどのようなお考えをお持ちなのでしょうか?
<太田>
 「古代から関係も深く、また人種的にも民族的にも深い繋がりがある」ドイツとオーストリアは、ナチスドイツによって併合されていた時期を除き、別の国であり続けていますし、英本国と人種的にも民族的にもほとんどイコールであった13の英領北米植民地は、英国から独立戦争を経て独立し、以後、全く別個の国として歩んできています。
 沖縄は、全く別個の国ないし薩摩藩の属国としての長い歴史を持っており、日本に「併合」されてから、まだ1世紀半弱ほどしか経過していません。
 ここは一つ、沖縄の人にもご意見を聞かせて欲しいところです。
<唯我独尊>
≫本土とはやや異なるアイデンティティを沖縄は持っている沖縄の人々は基地問題、安保問題について検討し、可及的速やかに成案を得ておく必要がある。≪(コラム#3138。太田)
 その地域で生活している人々の性格は、気候風土(生活のし易さ)と歴史(統治のされ方と外敵の侵攻)などによる長い長い年月によって醸成されてきたものだと考えています。
 その地域が豊かで、かつ外敵の侵入が少なかったならば人々は穏和で、闘争を好まない性向を示すようになるでしょう。
 このことは沖縄に限らず日本全土の人々にも概ね符号するように思えるのです。
 このような見方が的外れでなければ、沖縄の人々だけではなく、日本人全体を説得することは極めて困難のようです。
 現段階では大多数の人々が、漫然とした満足感で生活できていること、あらゆる面倒を回避(争いを避けることではない)したいこと、極めて重要な幾つかの問題を身近に感じない(感じることができない)ことなどによって、太田氏らの考え(運動)は理解していただけないでしょう。
 しかし「なにかの機会」に受け入れられ、太田氏の行動が日本の多くの人々を覚醒させることができると信じています。
<太田>
 後段については、おおむね同感というか、そうあって欲しいと私も思いますが、前段については、若干疑問があります。
 「豊かで、かつ外敵の侵入が少な」いということであれば、イギリスもそうです。
 イギリスは豊か(コラム#54)であり、しかも、(スコットランドのことを捨象すれば、)11世紀以降、イギリスは、基本的に外敵の侵入を免れているけれど、「闘争を好」みます。
 他方、沖縄は、1609年に薩摩藩に「侵入」され、奄美諸島を奪われた上に、同藩の付庸国(属国)となるも、支那貿易を通じて相対的繁栄を維持した
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E7%8E%8B%E5%9B%BD
けれど、「闘争を好」みません。
<植田信>(2009.3.10)(http://www.uedam.com/ota91.html)(以下同じ)
 –アメリカは日本に独立してほしいと要請している–
 太田氏プログからもう一つ追加です。
 これは面白いです。
 そして、ペリー・ペリー・グッドです。
(引用始め)
 「・・・一つ質問をさせてください。
 コラム#3129に、
>朝鮮戦争勃発以来、一貫して日本に「独立」を促してきたのが米国であり、。。。。
とありましたが、その論拠と申しますか、典拠を教えて戴ければ幸いです。
 というのは、日本の独立を自民党と同様以上に阻害しているのがアメリカであると私は考えているからでもあります。・・・
<太田>
 ・・・
 ご質問については、コラム#3005をご参照下さい。
 なお、拙著『防衛庁再生宣言』以来、言い続けてきたことですが、米国は、北米駐留英本国軍駐留経費のほんの一部の負担を本国から求められただけで、本国議会に代表を送っていない(送ることができない)以上は、本国のためのかかる税負担には一切応じられないとして独立戦争を始め、独立を勝ち取った国です。
 つまり、独立=ガバナンスの確保、を至上命題とする国があなたが現在在留しておられる米国なのである、ということを忘れないでいただきたいと思います。
 日本に米軍駐留経費の大きな部分を負担させている米国にしてみれば、日本に再軍備を求めるということは、駐留経費の負担などしてもらわなくてよいから日本に独立して欲しい、つまりはガバナンスの回復をして欲しい、という思いからなのですよ。」
(引用終わり)
 特に最後のところ、熟読して、その意味をたっぷりと脳にしみこませましょう。
(引用始め) 
 「日本に米軍駐留経費の大きな部分を負担させている米国にしてみれば、日本に再軍備を求めるということは、駐留経費の負担などしてもらわなくてよいから日本に独立して欲しい、つまりはガバナンスの回復をして欲しい、という思いからなのですよ。」
(引用終わり)
http://blog.ohtan.net/archives/51341416.html
 これはアメリカに限らず、日本人の福沢諭吉が「一身独立して一国独立する」と言ったそのままの発想です。
 なんで戦後の日本人は、独立が重要なことだと思わなくなってしまったのでしょうか。 やはり、戦前の日本軍のツケでしょうか。
 つまり、まだ戦後日本人は「他国を侵略している」という亡霊の中で生きているからなのか。
 この亡霊を追い払うには、独立なんてとんでもない、他国に従属しているほうがずっと精神に安定が得られると。
<太田>
 吉田ドクトリンの呪縛ですよ。
<植田信>
 –絶好調の太田節–
 先月の太田氏のプログを拝見してみました。
 ・・・
 よっ、太田節が絶好調でした。
(引用始め)
 「<少数株主>
 よく麻生総理、マスコミをはじめ、沢山の人が民主党などには政権担当能力がないというけれど、政権担当能力とはどういう事でしょうか教えてください。
<太田>
 太田コラムの読者であれば、自民党が自分達には政権担当能力がある、と言っているけれど、その実態は、宗主国米国に外交・安全保障の基本を丸投げし、あとの雑事は官僚機構に丸投げしているだけだ、ということがお分かりの方が大部分でしょう。
 こんなこと議論するのもばかばかしいと思います。」
(引用終わり)
 まったくその通り。
 ばかばかしい限りです。
 以上、ディスカス412です。
 http://blog.ohtan.net/archives/51338602.html
 この発想を拡張すれば、民主党がなんのかんのと言ったところで、まったく無意味です。
 戦後の日本は政党には関係なく、政治が動いている、と。
 だから自民党であれ、民主党であれ、どこが政権を担っても同じ、と。
 久しぶりの大田節、絶好調で何よりです。
 今引用したプログの一つ前に第七艦隊の話題がありました。
(引用始め)
 「<michisuzu>
 小沢さんの第7艦隊発言をここぞとばかり批判して得点にしようとした自民党のお歴々は国民が全く興味を示さないのにがっくりでしょうね。
 国民の方は米軍にこれ以上、お金をつぎ込むことには否定的なのに気が付いていないのでしょうね。
 自分たち(自民党)が日本を守ってきたって言いたいのかなあ?
<太田>
 michisuzuちゃん、「国民の方は米軍にこれ以上、お金をつぎ込むことには否定的」を裏付ける何らかの典拠をつける労をどうして惜しむの?
 そうすりゃいい投稿になるのに。
 よっぽど勉強嫌いなんだね。」
(引用終わり)
 投稿者を弁護すれば、ま、時間がないんでしょうねえ。
 忙しい、というのが日本人の美徳だから。
 ついでに北のテポドン2号。
 <3月10日の>晩の木村太郎キャスターの番組では、アメリカ軍が過去に例のない厳戒態勢を列島周囲に取っているとのことです。
 で自衛隊はどう出るか。
 元防衛庁官僚の太田氏のコメントです。
(引用始め)
 「ようやく、北朝鮮によるミサイル発射問題でまともな報道が出ました。
 「・・・自衛隊法はミサイル等が日本の領土・領海に落下する場合は破壊できると定めており、政府は「ミサイル等」にはロケットや人工衛星も含むとしている。迎撃の中心はスタンダード・ミサイル3(SM3)を搭載した海上自衛隊のイージス艦<が>・・撃ち漏らせば、全国6か所に配備された地対空誘導弾パトリオット・ ミサイル3(PAC3)が迎撃する。
 ただ、北朝鮮は今回、日本の領土や領海をはるかに飛び越える長距離弾道ミサイルの発射準備をしているという観測がある。日本に落下する恐れがない場合は迎撃する法的根拠もない。
 技術的にも、日本のMDは射程1000キロ程度の中距離弾道ミサイルが対象で、迎撃可能な最高高度も300キロ程度と見られる。米本土などを狙って1000キロ近い高空を飛ぶ長距離弾道ミサイルの迎撃は困難だ。・・・」
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090310-OYT1T00130.htm?from=main5
(引用終わり)
 http://blog.ohtan.net/
 考えてみれば、アメリカの保育器の中で生きているのが戦後の日本人ですから、テポドンごとき、日本人が心配することもないでしょう。
 ぜーんぶ、アメリカ様が面倒を見てくれます。
 あとは、ワシントンから送られてくる保育料の請求書にサインすればいいだけです。
 経済大国だから、わけもないことでしょう、サインすることくらい。
 サイン・ゴーと最終的に判断するしかないのが戦後の吉田体制です。サインするのが官僚であろうと、自民党であろうと。
 太田節の絶好調ぶりを味わうと、どうも身体の血行がよくなります。
 こんな日本人がいるのだなあ、と。
 いまさらながら、ですが。
http://gattodiarcobaleno.blog22.fc2.com/
<太田>
 どうもどうも。
 michisuzuちゃんも、みんなに愛されて幸せだね。
<植田信>
 –中国は一党独裁制がベストであると宣言–
 ・・・
(引用始め)
 「中共の全人代の呉邦國委員長が、中共は自由民主主義化はしない、と明確に宣言しました。
 ・・・
 <以下、略>」
(引用終わり)
 http://blog.ohtan.net/
 もちろん、そうでしょう。
 自国の政治システムをそのようにはっきりと肯定できる中国は、いかにそのシステムが遅れていようと、見事な心意気です。
 ・・・
(引用始め)
 「オバマ新政権の対日政策が次第にその輪郭を現し始めています。
 ・・・
 <中略>
 ・・・
 日本に最小限度のものしか与えず、徹底的に日本を利用しつくす、というオバマの対日政策はこのような恐ろしいもの
http://blog.ohtan.net/archives/51338285.html
なのですよ。
 それが嫌なら日本は「独立」しなさい、というわけです。
 要は、吉田ドクトリンの破棄をオバマは迫っているわけで、属国として米国に尽くすか、「独立」して自分で外交・安全保障の基本を遂行するか、という選択を日本が突きつけられている、ということです。」
(引用終わり)
 http://blog.ohtan.net/archives/51338285.html
 ペリー・ペリー・グッド。
 私に何も言うことはありません。
 あえて何かを言わなくてはならないとしたら、「オバマの対日政策はこのような恐ろしいもの」のところです。
 恐ろしい、というより、アメリカのなんという寛大さか、というところです。
 ま、それだけアメリカもユーラシア大陸の東側の玄関口である日本列島を必需しているということでしょう。
 日本人は列島の地理的要因に、歴史を通して常に恩恵を受けています。
 ペリー以前も、以後も。
<太田>
 ペリーの頃は、米国にとって、その捕鯨船等が給水等を受ける基地として、日本はないよりはマシな程度の存在でした。
 ところが、1899年の米西戦争の結果、米国はフィリピンを領有することとなり、米国は極東に関心を持たざるを得なくなりました。
 また、戦後は、対ソ冷戦の観点から、極東におけるソ連圏の拡大を阻止する拠点として、かつまた、対ソ戦の際の反攻拠点として日本は重要になりました。
 ところが、現在では、日本は、中共や北朝鮮に近すぎて、潜在敵国である中共や北朝鮮に対する抑止力としての米軍を日本に前方展開させておく意義は薄れつつあります。(北朝鮮だけで、ノドン200~300発が在日米軍基地を狙っていることを思い出して下さい。)
 米国と日本の安保が同心円を描かなくなりつつある現在、もはや吉田ドクトリンを継続するわけには行かなくなっているのです。
<植田信>
 –太田氏の「小沢発言」コメント–
(引用始め)
 「小沢発言(コラム#3117)が反響を呼んでいます。
 「米国のケビン・メア駐沖縄総領事は・・・民主党の小沢一郎代表が日本に駐留する米軍は将来的に海軍関係だけで十分との認識を示したことに関し「極東における安全保障の環境は甘くない。空軍や海兵隊などの必要性を分かっていない」と批判し、陸・空軍や海兵隊も含めた即応態勢維持の必要性を強調した。 また総領事は、米国務省で対日政策実務を統括する日本部長への就任が「先週、正式に決まった」と明らかにした。・・・」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009022501001019.html
 下僚はそう言わざるをえないでしょうね。
 ・・・
 <以下、略>」
(引用終わり)
http://blog.ohtan.net/archives/51337887.html
 日本が自分で自国防衛に対してはっきりと姿勢を示さない限り、アメリカとしては、絞れるだけ絞るということでしょう。日本経済のマネーを。
 で、日本人が自分で防衛すると決めれば、それを尊重する、と。
 しかし、アメリカの発想は当たり前ではないか、と私には思えますが、戦後の日本人が戦前後遺症でどこか調子が外れてしまっているんでしょうねえ。
<太田>
 ここは、まさにおっしゃるとおりです。
<植田信>
 –戦後の日本国の安全保障のアメリカ丸投げは、不比等戦略の現代バージョンである–
 久しぶりに太田氏のサイトに訪問して、吉田ドクトリンの健在ぶりを堪能しました。
 アメリカは朝鮮戦争以来、ずっと日本に軍事的に独立してほしいと願っている。
 なのに日本側が拒否して、アメリカ依存を続けたがっている。
 結果として、アメリカ軍の日本駐留、憲法九条が続く。
 これが戦後日本の基本的姿です。
 この中で、小沢第七艦隊発言が出てきたり、田母神論文が出てきたり、と。
 朝鮮戦争以来、というわけですから、マッカーサーが日本国の最高司令官だった時代です。
 1950年に勃発。
 ということは、来年で60年になります。
 この間、日本の国家安全保障の基本的体制はずっと変わっていません。
 太田氏は、この事実をご自分の防衛庁官僚としての体験を通して日本人の全体に示してくれました。
 さて、そこで、太田氏と同じことを繰り返すことも能がないかな、と思い、ーいや、それが事実である以上、繰り返すことも大切です、ー私はちょっと仮説を思いつきました。
 戦後の吉田ドクトリンは不比等戦略の現代バージョンである、というものです。
 不比等が創出した日本・律令国家は、軍事的な国家安全保障問題を度外視した国家であり、戦後の日本は、したがって不比等がデザインした通りの国家になっている、というものです。
 日本国の独立とは、天皇が存在して、国民はすべて天皇の臣民になること、です。
 これですべて。
 まさに吉田茂が、天皇が存在することで国体は護持された、とみなしたことと一致します。
 だから、不比等戦略から見れば、今の日本は、独立しているということになります。
 だから、えっ、日本が属国? なんで? となるでしょう。
 とはいえ、日本にも武士の時代がありました。
 この人たちは軍事を職業にした人たちです。この人たちが健在だった時代は、日本も軍事的独立を当たり前のことと考えていました。戦前の日本です。
 これが、アメリカ占領軍によって日本軍が解体されて以来、まるで明治維新直後に武士階級が消滅したように、戦後の日本から「軍人」なるものが消えました。
 存在するのは「自衛隊」です。
 こう考えると、なぜ今も日本は軍事的にアメリカに依存して平気なのか、と説明がつきます。
 軍事的独立は、不比等戦略の中では日本国の「独立」の要件にカウントされていないためである、と。
 話が長くなるので、とりあえずこのくらいで。
<太田>
 「不比等戦略」ってのが気になったので、植田さんのサイトにあたってみました。
 「・・・大宝律令も養老律令も不比等が主導しています。・・・
 日本の律令法の最大の特徴は、天皇に属する大権をことごとく太政官に集中させていることです。・・・
 唐・律令と不比等・律令の<もう一つの>決定的違いが、神祇職が和製・律令法にあることです。
 これは、中臣氏の存在なしには考えられないだろうと思います。
 そして中臣氏をそこまで権力の中枢に押し込んだのは、倭国伝統の氏族制度の祖先崇拝の信仰である・・・」
http://www.uedam.com/kako93.html
 
→日本における、権威(天皇)と権力(官僚)の分離の起源に関する説として興味深いものがあります。しかし、日本において、権力が官僚に集中しており、その起源も不比等にある、という点に関しては首肯できません。(太田)
 「日本人の理性は、自分で自分の政体を構築できない・・・。
 常に外来のものを規範として設定して、その上で、自分たちの社会にふさわしいように、コセコセと、微妙な訂正を加えていく、と。
 こういうふうにしか制度を構築できないのが、日本人の律令理性である、と定義しましょう。
 自分では、基本的原理を構築できない理性である、と。」
http://8706.teacup.com/uedam/bbs?OF=20&BD=17&CH=5
→不比等を始めとする中臣氏が日本人ではないなんて聞いたことありませんよ?
 「日本人は、外国の制度を翻案して自分の制度を構築する能力に長けているが、日本人は、一旦構築した制度を、実態や時代の変化に応じて、微妙な訂正を加えていく能力も優れている。また日本人は、微妙な訂正を加える際には、上位法を改正するという(弥生的な)方法より、下位法や運用を手直しするという(縄文的な)方法を好む」
ということではないでしょうか。
 律令制度がすぐ名存実亡状態になったのも、明治憲法や(その改正規定によって生まれた!)日本国憲法に規範性がないのは少しも不思議ではない、ということです。(太田)
 
 「・・・不比等戦略の核心は、日本国の定義を・・・国=官僚・・・<と>したことです。
 だから、日本国の「公共」を官僚が独占しました。
 これが官僚主導を構成する思想的土台であり、根源です。
 で、もちろん、戦後の日本はデモクラシー社会ですから、不比等戦略とクラッシュしています。
 それでいてなぜ今も官僚主導が続くのか、といえば、残念ながら戦後の日本をデモクラシー社会にしたのは、アメリカ占領軍だったためです。
 戦前には形式的に議会制度がありましたが、国民主権の憲法はありませんでした。
 国民主権の思想を憲法に成文化したのがアメリカ軍でした。
 日本人は、どちらを自分の本来の思想と見なすか。
 官僚=国家=公共性
 市民=国民主権=市民社会が公共性そのもの。
 現実は、まだまだ不比等戦略のほうが圧倒的に優勢です。
 しかし、猪瀬<直樹>氏のゲリラ戦や、中川<秀直>氏の「ステルス権力機構」の体験により、日本人も次第にこの国がいかなる権力構造で動いているのか、理解を始めました。・・・」
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/7090
→身も蓋もない言い方で恐縮ですが、猪瀬は信州大・明治大院卒、中川は慶應大卒であり、慶應大・日本大学院(卒?)の小沢一郎同様、彼らには、東大卒、特に東大法卒に対するコンプレックスがあるために、実態以上に官僚機構を強力なものと見ているような気がします。
 だからこそ、彼らは、ドンキホーテのように、官僚機構という風車に向かって突進を繰り返すのではないかと・・。
 私は、日本において、官僚に権力が集中したことなど一度もない、と考えています。
 むしろ日本は、アングロサクソンやモンゴルと並ぶ民主主義的伝統、すなわち自治の伝統を持つと考えているのです。
 官僚による統治は、庶民の自治機構に依存し、これを活用する形で行われてきたのです。
 また、既に江戸時代から、官僚(武士)に養子制度を通じて庶民が「就任」することができましたし、明治以降は、試験を通じて庶民が官僚に就任することができるようになって現在に至っているのです。
 このような伝統があって、自由民権運動があり、大正デモクラシーがあり、それが戦後民主主義へとつながっている、というのが私の考えです。
 米国による日本の占領統治が日本に民主主義をもたらしたのでは決してありません。
 もとより、日本の歴史、とりわけ日本の戦後史を、できるだけ簡単な原理で説明しようとする試みとして、植田さんの不比等戦略説は貴重であると思います。
 私の縄文モード/弥生モード説・・仮説にとどまっている・・も同様の試みですが、今後とも植田さんらとの建設的対話を続け、私の仮説をより良いものにしていきたいと思っています。(太田)
<太田>
 記事を紹介しているヒマとスペースがなくなりました。
 本日の分も明日のディスカッションに譲ります。
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太田述正コラム#3208(2009.4.11)
<イスラエルはイランの核施設を攻撃する(その2)>
→非公開