太田述正コラム#2874(2008.10.26)
<20世紀初頭の欧州史(その2)>(2009.5.2公開)
–英国の異質性(その1)–
<ドイツのウィルヘルム2世の人生は、>英国のエドワード7世の送った人生と何と異なっていたことか。確かに彼は甥<のウィルヘルム>同様のスピード狂であり、1906年という早い時点で、(当時制限時速は20マイルだったが、)ブライトン道路で60マイル超のスピードを出したことが自慢だった。しかし、「衝動的なウィルヘルム(William the Sudden)」とは違って、彼は慎重だった。<英国の>新聞だってそうだった。<当時の新聞王であった(太田)>ノースクリフ卿(Alfred Charles William Harmsworth, 1st Viscount Northcliffe。1865~1922年)は、直接国王の侍従に、「何を印刷に回して良く、何は省くべきかご指示いただければ大変うれしく思います」と尋ねている。・・・
ブロムは英国のことが良く分かっていない。英国は当時なお、ビクトリア朝主義に染め上げられていたことを良く知らないのではないか。婦人参政権論者達はグランディ夫人(Mrs Grundy。昔風の女性(太田))に敬意を表し、「女性に投票権を」と同時に「男性は浮気をするな」も要求した。ボーイスカウト達は、バリー作の『ピーターパン』とキップリングの『ジャングルブック』に育てられ、子供時代の愉快な冒険と確実性とを二つながら楽しんだ。リバプールの船会社の事務員で後にベルギーのコンゴで犯した過ちの糾弾者となったE.D.モレル(E.D.Morel。1973~1924年。ジャーナリストで政治家(太田))は、英国の帝国建設者達の抱いていた使命感を賞賛した。外国人達がどんなに犯罪的にそれをねじ曲げようと、英国人達は、常に唇をきっと結んでルールに則って物事を行っていたのだ。
(2)オーストリア=ハンガリー帝国の果たした役割の巨大さ
オーストリア=ハンガリー帝国は、第一次世界大戦前の時代における革新的発酵に多大な貢献を行った。フロイト(Sigmund Freud。1856~1939年)は、うなぎの性器の生理学的解明からその研究を出発させたが、道徳のルーツが性的抑圧にあることを明らかにすることによってそれまでの道徳観を掘り崩した。小説家のロベルト・ムージル(Robert Musil。1880~1942年)は、フロイトと同じく人間の理性が行動を司る能力について懐疑的であり、当時の文化の解体について解剖を行った。画家のグスタフ・クリムト(Gustav Klimt。1862~1918年)は、ブルジョワ社会の先祖返り的情熱を暴露することに努め、同社会に対して継続的に叛乱を行った。「すべての芸術はエロだ」と彼は宣言し、白く透明な着物を纏った無垢だが誘惑的な9歳のマダ・プリマヴェシ(Mada Primavesi)を扇情的に描くことによってこの格言が正しいことを示そうとした。・・・
(3)女性の果たした役割の巨大さ
ブロムのこの本は、ある部分、女性への賞賛でもある。・・・
<この時代、>男性は女性に似通ってきたし、女性は男性に似通ってきた。女性は、政治的前進、芸術、そして科学においても・・マリ・キュリー(Maria Sktodowska-Curie。1867~1934年)がノーベル賞をとったことに象徴されているように・・新しい世紀のパイオニアだった。20世紀の変化を推進したものは「機械と女性、スピードとセックス」だったのだ。
20世紀初期の欧州における顕著で巨大な変容の大部分は性の役割、すなわち両性の間の関係に関するものだった。女性は独立を勝ち取りつつあった。彼女達は教育を受け、自分達自身でカネを稼ぎ始めていた。どんどん彼女たちは選挙権を追求した。
男性は、これらの潮流に対抗して伝統的な武道的価値にすがろうとした。決闘が行われ、軍隊の制服が欧州の主要都市の街中でしばしば見られるようになった。しかし、女性解放への潮流は押しとどめることはできなかった。
–英国の異質性(その2)–
英国とドイツのフェミニスト活動には違いがあった。英国の女性参政権運動家達は<男性と同様の>普通の市民になることを欲していた。彼女達は完全な法的平等を欲していたのだ。しかし、彼女達は社会的秩序の変容を目指してはいなかった。
これに対し、ドイツのフェミニスト達は、より革新的だった。彼女達が選挙権を求めたのは社会の根底的変化を勝ち取る手段としてだった。結婚と性、自由恋愛、ホモ、家族計画と堕胎といったありとあらゆるものが書かれ、演説され、議論された。・・・
3 終わりに
ウィルヘルム2世の衝動性は、当時の欧州を、いや、私に言わせればいつの時代の欧州をも象徴しています。
欧州史は、革命とその反動、そして戦争に彩られた段階的発展の歴史ですが、英国史、就中イギリス史は、イギリス的生活様式(English way of life)の堅持であり、その平和で漸進的な(ユダヤ人、黒人、女性、そしてカトリック教徒等への)普遍化の歴史であるという決定的な違いがあるのです。
このことを、何となく感知していただけたでしょうか。
それにしても、オーストリア=ハンガリー帝国の崩壊は、人類にとっての大損失だったと改めて思います。
(完)
20世紀初頭の欧州史(その2)
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