太田述正コラム#3178(2009.3.27)
<シルヴィア・プラスをめぐって(続)>(2009.5.11公開)
1 始めに
 ニューヨークタイムスで、鬱病の遺伝、ひいては生まれ(nature)と育ち(nurture)の問題(コラム#2765、2798)についてのコラムを見つけたので、「シルヴィア・プラスをめぐって」シリーズの続篇として、その内容をかいつまんでご紹介します。
 本来、私は単一の典拠に拠ってコラムを書くことは避けているのですが、、以前も複数の論文を引用した単一典拠に基づくコラムを書いたことがあり、今回もお許しいただきたいと思います。
2 鬱病・生まれ・育ち
 「・・・ある種「環境的」(ないし「育ち」による)効果が実際には遺伝的性向に起因する場合がある。
 このパラドックスのように見える話は、いわゆる「遺伝子対環境」という問題設定そのものが誤っていることを示している。・・・
 ・・・<要するに、>遺伝的素質が<環境的>諸事情との相互作用によってユニークな個性を生み出すのだ。・・・
 ある有名な論文が、<次のようなことを明らかにした。>
 セロトニンに係る遺伝子に関し、高リスク型の遺伝子を2対持っている人は離婚や暴行といったストレスのかかることが起きると鬱病を発症するけれど、環境が穏やかな場合は発症しない。>
 これに対し、低リスク型の遺伝子を2対持っている人は、環境的ストレスに晒されても鬱病に罹りにくい。高リスク型と低リスク型を1つずつを持っている人は、ご想像の通りその中間だ。・・・
 また、別の研究では、ある女性の一卵性双生児たる姉妹が鬱病に罹っている場合、その女性が暴行を受けたり、失業したり、離婚したり、あるいはひどい病気に罹ったり、借金に苦しんだりする可能性が、二卵性双生児たる姉妹が鬱病に罹っている場合に比べて顕著に高いことが明らかになっている。
 (このことを司る遺伝子はまだ発見されていない。)
 これらの悪しき出来事は、この女性が鬱病に罹っていたために起こったわけではない。
 なぜなら、このような相関関係は、研究の時点で鬱病に罹っている<一卵性双生児や二卵性双生児たる姉妹>を除外しても成り立ったからだ。
 つまり、鬱病に係る遺伝子は、ストレスのかかる環境的出来事に対する感度を高めると同時に、このような<ストレスのかかる環境的>出来事を生起し易くすると考えてよかろう。・・・
 ・・・<面白いのは、>知力から心配症に至る多くの心理的性向は、人が成長すればするほど遺伝性が増大する<ことだ>。
 そんなばかなことが、と思うだろう。
 というのも、遺伝子は赤ん坊と子供の時の大脳の発達にとって最も重要なはずだからだ。
 しかし、子供は大人より、自分の環境をコントロールする力がない。
 人は成長すると、自分自身の環境をもっと自分で決定することができるようになり、自分自身の生来の人格的性向を強化する環境を選択できるようになる。
 よく年をとるにつれて両親に似てくると言われるが、確かにそういう面はあるのだ。・・・
 <だからと言って、すべては親のせいだ、ということにはならない。>
 ・・・<なぜなら、>人生が遺伝によって決定される割合はわずか4分の1に過ぎず、4分の3はそうではないのだから。・・・」
http://judson.blogs.nytimes.com/2009/03/24/guest-column-mugged-by-our-genes/?ref=opinion
(3月27日アクセス)
3 終わりに
 ニューヨークタイムスの科学記事は、テーマの選択はいつもおおむね適切ですが、まとめ方や文章に難があって分かりにくいことがしばしばあります。
 この記事(2人の記者の共同執筆)もそうです。
 そうは言っても、彼らが典拠とした何本もの論文に直接あたるのは余りにも煩雑です。
 ただ、以上の抄訳をお読みになっただけでも、思わず目を見張った読者もいらっしゃるのではないでしょうか。
 人間とは何かが科学によって次第に明かされつつあることはすばらしいことですが、それは同時に怖いことでもあるな、とつくづく思います。
 亡くなった父と母に想いをはせつつ・・。