太田述正コラム#3274(2009.5.14)
<日進月歩の人間科学(続x4)(その2)>(2009.6.22公開)
3 幸福とは何ぞや?
ここは、
http://www.theatlantic.com/doc/200906/happiness
(5月13日アクセス)に拠りました。
「良い人生を送るための愛、仕事、そして心理的適応の組み合わせの<最適>公式は果たして存在するのだろうか。
・・・1937年から・・・72年間にわたって、ハーバード大学の研究者達は、に同大学に入学し・・・てから一年経っ・・・た・・・(1942、43、44年に卒業することとなる)・・・268名・・・の・・・健康でしっかりした(well-adjusted)・・・男性達を戦争、キャリア、結婚と離婚<にどう対処したか>、<どのように>父親としてそして祖父として<生きたか>、そして老齢<期をどう過ごしたか>を、ずっと追いかけることを通じて、この問題を追求してきた。・・・
この研究は、精神的肉体的幸福(well-being)の研究としては、史上最も長く、最も詳細なものの一つだ。・・・
<観察対象者のうち>4人は米上院議員選挙に立候補し、1人は米大統領の閣僚となり、1人は米大統領になった・・・<、>ケネディ<だ。>また、1人は売れっ子の小説家になった(ただし、1943年卒のノーマン・メイラーではない)。・・・
<他方で、>早くも1948年には、20人が重篤な精神病的症状を呈したし、50歳になるまでには、3分の1近くが・・・精神疾患に少なくとも1度は罹っていた。・・・
<観察対象者達は、>匿名扱いを受けてきた。
しかし、中には自分で名乗り出た者もいた。
例えば、ワシントン・ポストで長く編集長を務め・・・たベン・ブラッドリーがそうだ。
<私がケネディについて言及しているのは、特別に許されたからだ。彼自身、決して「正常」とは言えない人物だったことはご承知の通りだ。>
しかし、<このケネディの挿話>こそ大事な点なのだ。
この研究は、<いくつかの細かい点について、調査を長期にわたって継続するというものだったが、>人生は余りに大きく、紆余曲折に富んでおり、微妙なことや矛盾に充ち満ちており、「成功した人生」といった単純な概念があてはまるような代物ではなかったのだ。・・・
・・・<これは、>あるクリスマスイブに、父親が息子のうちの一人の靴下に高級金時計を入れ、もう一人の靴下には馬糞の固まりを入れた喩え話に要約することができる・・・。
翌朝、最初の息子は父親の所に来てむっつりとした顔でこう言った。「父さん、この時計どうしたらいいか分かんないよ。あんまりにもやわな感じだ。きっと僕壊しちゃうよ」と。
もう一人の息子は父親の所に走ってやってきて、「サンタが僕に子馬をくれたよ。どこにいるか見つけたいなあ」と言った。・・・
つまり、最も重要なことは、<観察対象者達>がどれだけトラブルに見舞われたかではなく、これらのトラブルに彼らがどのように、実際に対応したかなのだ。
<専門用語で言えば、いかなる適応(adaptation)をしたのか、あるいは防御機構(defense mechanism)をどのように働かしたのか、が重要なのだ。>・・・
一番ひどいのは、最も不健康であるところの、パラノイア、幻覚、誇大妄想狂といった「精神病的」適応だ。このような適応の結果は、当人にとっては現実が耐えられるものになるかもしれないが、他人から見れば、こいつは頭がおかしくなったということなのだ。
ややマシなのが、「未成熟な」適応であり、逸脱行動(acting out)、受動的攻撃、心気症(hypochondria)、投射(projection)、幻想等の形をとる。これらは、精神病的適応ほど当人を孤立化させはしないが緊密な人間関係を阻害する。
「神経症的(neurotic)」防御は、「正常な」人々に共通に見られる。それは、知的化(intellectualization)(人生の生の事柄の公的な思想の対象への突然変異)、解離(dissociation)(激しい、往々にして短い、無感情化)、そして抑圧(repression)といった形をとる。
抑圧は・・・「一見して説明不可能なナイーブさ、記憶の減退、または特定の感覚器官からの入力の知覚不能」を伴うことがある。
最も健康な、あるいは「成熟した」適応は、利他的行為、ユーモア、先取り(anticipation)(先を見通し将来生起するであろう不快なことに対する心の準備をする)、我慢(suppression)(より良い時に対処するために、衝動や紛争に対する関心を先送りする意識的決定をする)、そして昇華(sublimation)(気持ちのはけ口を見つける。例えば、攻撃<衝動>をスポーツで発散させたり、性欲を求愛で発散させる)といった形をとる。・・・
精神疾患とされることの多くは、・・・単に、我々の「非賢明な」防御機構の行使の結果なのだ。
我々が防御機構を上手に使った場合は、我々は精神的に健康で、良心的で、面白く、創造的で、利他的であると見なされる。
他方、我々が防御機構を下手に使った場合は、精神科医が我々を病気であると診断し、隣人達は我々を不愉快な人物とみなし、社会は我々に非道徳的であるとのレッテルを貼る。
以上は、長期的視点によって形成された物の見方なのだ。
施療師達は特定の時における問題を処理するのに対し、<この研究者達は、>生物学者のように、人生の全体を意味のあるものとして見ようとする、いや、それより更に大所高所から、あたかも人類学者か自然学者がある時代<の全体像>を把握しようと努めるように見ようとするのだ。・・・
実際、「精神病的」適応の多くは幼児においてはありふれたことだし、「未成熟な」適応は子供時代の後期の本質的特徴とさえ言えるが、それは成熟するとともに消滅して行くのだ。
<観察対象者達は、>青年期においては、成熟した防御機構より未成熟な防御機構を2倍も用いる傾向があった。しかし、中年になると成熟した防御機構を用いるのが未成熟のそれの4倍になり、この趨勢は老年になるまで続いた。
50歳から75歳になった頃、彼らにおいては、利他主義とユーモアが優位を占め、あらゆる未成熟な防御機構はほとんど用いられなくなった。
つまり、人生のある瞬間だけを見たのでは、甚だしく誤解をする可能性があるということだ。・・・
(続く)
日進月歩の人間科学(続x4)(その2)
- 公開日: