太田述正コラム#3276(2009.5.15)
<日進月歩の人間科学(続x4)(その3)>(2009.6.23公開)
<研究者達は、>成熟した適応は現実の人生における錬金術なのであって、それがいかに、感情的危機、痛み、そして喪失(deprivation)を人脈、成就、そして創造の金脈へと変えるかを指し示してくれる。
このようなメカニズムは、牡蠣が苛つく一粒の砂に対処することで真珠を作り出すという非自発的だが優雅な事実に喩えることができる・・・。人間だって、苛つく事柄に直面した時に、無意識的ながらしばしば創造的行動をとることがあるのだ。・・・
<このように、>成熟した適応を活用するのは大事なことの一つだ。
もう一つ大事なことは、<自分への>教育<投資>、安定した結婚生活、禁煙、過度なアルコールの不摂取、適度な運動、そして健康的な体重だ。
このうちの5つか6つの要素が50歳の時に良好であった106名のハーバード男達の半分は、80歳になった時に・・・「幸福で健康」であり、わずか7.5%しか「不幸で病気」ではなかった。
一方、50歳の時に、この健康要素うちの3つ以下しか良好でなかった者で、80歳になった時に「幸福で健康」だった者は皆無だった。・・・
50歳の時のコレステロール値などは、老年期における健康と何の関係もなかった。
大学時代や初期成人期における良好な心理的社会的な調整状況は社会生活を容易にするものの、その重要性は時とともに減衰する。
子供時代の気質の予想的重要性も時とともに減衰する。内気で心配性の子供は、若い成人期においてはうまくいかないものだが、70歳になもなると、外向的な子供であった者と同程度に「幸福で健康」になる。・・・
大学時代のきちんとした運動は、後半生における身体的健康よりも精神的健康と高い相関がある。
また、鬱病は、身体的健康を大きく阻害することが分かった。50歳までに鬱病に罹ったことがある男性は、63歳になるまでに70%以上が死ぬか慢性病に罹った。
よりマクロ的に見ると、悲観主義者達は楽観主義者達に比べて、身体面で苦しむ。これは恐らく、悲観主義者達は他人と交わることが少なく、自分自身の面倒も見ないからだろう。
<観察対象者達の>80%以上は、第二次世界大戦に従軍した。・・・
激しい戦闘を経験して生き残った男達は、より多く慢性病に罹り戦闘をほとんど或いは全く経験しなかった者より早く死んだ・・・。
そして、「トラウマのひどさ」は、PTSDに罹る最も良い予測指標だった。(・・・これは、<PTSD>はもともと存在していた問題の顕現に過ぎないとする主張に対する反駁ということになる。)
<初期の面接でセンシティブで文化的で内省的な人格性向とされた者は民主党支持者に、プラグマティックできちんとしている(organized)人格性向とされた者は共和党支持者になった。>・・・
良い<人間関係、とりわけ良い>兄弟姉妹関係を持っていることは大変良いことのようだ。65歳になった時に元気だった者の93%は、若いときに兄弟か姉妹と緊密な関係を持っていた。・・・
<要するに、>人生において、唯一大事なことは、他の人々との人間関係であると言っても過言ではない。・・・
・・・プラスの感情(positive emotions)の方がマイナス(negative)の感情より危うい。・・・<というのは、>恐怖と悲しみは、苦難の時に我々を攻撃から守り資源を惹き付けることから、短期的には利得を与えるのに対し、満足(gratitude)と喜びは、長期的にはより良い健康とより深い人間関係をもたらすものの、短期的には我々を危険に晒すからだ。なぜか? マイナスの感情は我々を他の人々から切り離すのに対し、プラスの感情は<なまじ我々を他の人々とより緊密な関係を築かせることから、>誰にとってもお馴染みの、拒絶と失意を味わわされる<より多い>機会が招来されるからだ。・・・
<我々が過去の事実を歪曲するすることがあるのは、>防御的な機能なのだ。
写真を見せて行った実験によれば、年をとった人々は、若い人々に比べて・・・不快であったことは・・・心地よかったことに比べて余り覚えていない傾向がある。・・・
1946年には、第二次世界大戦に従軍した<観察対象者達の>34%は敵の銃爆撃に晒され、25%は敵を殺したと答えた。
ところが、1988年には、前者は40%に高まり、後者は約14%へと下がった。
「よく知られているように、年が経つにつれて、古き戦争はより冒険的なものに、そしてより危険なものになるのだ。」・・・」
4 終わりに
ご紹介した二つの研究の中間的結論を一言で言えば、試練にどう対処するかで、おおむね、ミクロ的には知力も、そしてマクロ的には人生も決まっていく、ということです。
当たり前だと思われましたか、それとも驚かれましたか?
ただし、確定的な結論が出たわけではありません。
つまり、nature 対 nurture論争は、まだまだ決着が付いたわけではないのです。
それはさておき、私自身が最も印象深かったのは、米国では、多人数の観察対象者を、超長期にわたって継続的に対象にしている研究がいくつも行われていることです。
同様の研究は、日本ではあまり聞いたことがありませんね。
日本人が人間科学の分野でもっと活躍することを祈念しつつ、このシリーズをとりあえず終えたいと思います。
(完)
日進月歩の人間科学(続x4)(その3)
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