太田述正コラム#3289(2009.5.22)
<歌舞伎観劇記(その1)>(2009.6.30公開)
1 始めに
一緒に行くはずだった人が行けなくなった歌舞伎通の読者からお誘いがあり、久しぶりに歌舞伎座に赴いて、昼の部を堪能してきました。
もっとも、早朝起きて、ウェブから本日の記事類のダウンロードを済ましたため、寝不足気味で、途中、猛烈な睡魔に襲われましたが・・。
以下、この読者との仮想対話・・一部実際の対話も含まれている・・の形で、観劇記をご披露したいと思います。
歌舞伎通の方にとっては、常識の部類に属する話も含まれているでしょうが、ご容赦願います。
2 観劇記
(1)演目
一、歌舞伎十八番の内 暫(しばらく)
鎌倉権五郎 海老蔵
・・・
清原武衡 左團次
二、寿猩々(ことぶきしょうじょう)
猩々 富十郎
酒売り 魁 春
手習子(てならいこ)
娘お駒 芝 翫
三、盲長屋梅加賀鳶
加賀鳶(かがとび)
本郷木戸前勢揃いより
赤門捕物まで
天神町梅吉/竹垣道玄 菊五郎
・・・
春木町巳之助 三津五郎
魁勇次 松 緑
昼ッ子尾之吉 菊之助
虎屋竹五郎 海老蔵
・・・
四、戻駕色相肩(もどりかごいろにあいかた)
浪花の次郎作 松 緑
禿たより 尾上右 近
吾妻の与四郎 菊之助
http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2009/05/post_39-ProgramAndCast.html
(5月19日アクセス。以下、特に断っていない限り同じ)
(2)読者との仮想対話
<太田>
自分でちょっと調べてみたのですが、「・・・現在の日本舞踊の起源には、諸説が色々ありますが、一番有力なのが、今から約400年前に巫女たちがお守りを売る客寄せの為に始めた「念仏踊り」だと言われています。この中でもとりわけ評判になったのが、出雲の阿国と呼ばれる女性です。阿国は歌舞伎の創始者としても有名ですが、もともとは、歌舞伎と日本舞踊は同じものを指していたようです・・・」
http://iroha-japan.net/iroha/C03_show/10_nihonbuyo.html
ということのようですね。
だから、歌舞伎において、本日の演目のように劇と舞踊が代わる代わるに演じられるってわけですか。
<読者>
そのとおりです。
<太田>
ところで、劇の方については、「歌舞伎は通し狂言として上演されることが稀で、通常は各演目の中から人気のある場面(段・場・幕など)のみが単独で上演される・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E
ことから、言葉遣いが現代語と少し違っていたりすることともあいまって、筋を追うのがむつかしいことも少なくないものの、解説を受信機からイヤホンで聞きながら鑑賞すれば、結構楽しめますね。
しかし、正直言って、舞踊の方は退屈ですねえ。
<読者>
先ほど引用されたこととちょっとダブりますが、「<歌舞伎の起源については、阿国が、>1603年(慶長8年)春に北野天満宮に舞台をかけて興行を行った。男装して茶屋遊びに通う伊達男を演じるもので、京都で大変な人気を集めた。同年5月には御所でも「かぶき踊り」を演じた。<更に、>阿国は四条河原などで勧進興行を行った。・・・
阿国一座が評判になるとこれを真似た芝居が遊女によって盛んに演じられるようになり、遊女歌舞伎となった。・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E9%98%BF%E5%9B%BD
「・・・阿国が評判になると多くの模倣者が現れ、遊女が演じる遊女歌舞伎(女歌舞伎)や、前髪を剃り落としていない少年俳優たちが演じる若衆歌舞伎がおこなわれていたが、風紀を乱すとの理由から前者は1629年に禁止され、後者も売色の目的を兼ねる歌舞伎集団が横行したことなどから1652年に禁止され、現代に連なる野郎歌舞伎となった。
そのため、歌舞伎においては男性役も女性役も、すべて男優が演じる。
それは江戸時代の文化の爛熟のなかで洗練されて完成し、独特の美の世界を形成するに至っている。・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E 上掲
という経緯があるのです。
欧州のクラシック・バレーだって日本舞踊だって、男女のからみが舞踊の主要テーマであるところ、このような歌舞伎発祥の経緯に照らし、日本舞踊の場合には、「女性美の手本になったもの<が>、封建社会が創り出した理想の女性、遊女であ<ったことから、>・・・かぶきの女方舞踊のもつ遊蕩気分、狭斜趣味といたものが、近代の日本舞踊の進展に大きな障害となった・・<。このことが、>・・・日本舞踊の改革に手を染めた先覚、坪内逍遥を慨嘆させた・・・」
http://www.ne.jp/asahi/cyber/japanesque/buyoo_kotoba.htm
というのです。
あなたが「退屈」するのは、坪内逍遙の慨嘆に通じるものがある、と拝察します。
<太田>
坪内ほど、私の見る目は肥えているわけではありませんが、少なくとも、私の「退屈」の原因は、「女性役も、すべて男優が演じ」ているからではないことは確かそうですね。
<読者>
おっしゃるとおりだと思います。
現時点における歌舞伎の最高の女形である坂東玉三郎は、「・・・女形というのは肉体を使って女という作品を生み出す事だろうと考えられます。歌舞伎の様式にのっとってディテールを積み上げ、女であるその役の理想を描き出していく中で、舞台の上では現実より女らしい女・・・という・・・良い意味での錯覚・・・が生み出せるのかもしれません。」
http://www.ne.jp/asahi/cyber/japanesque/buyoo_kotoba.htm 上掲
と言っており、この限りにおいては、誰しも玉三郎の指摘に異は唱えられないのではないでしょうか。
<太田>
話は変わりますが、政治家の世襲が問題にされている昨今、歌舞伎俳優の世襲がいまだに余り問題になっていないのはどうしてなのでしょうか。
<読者>
それについては、世襲の現状についての説明が、2002年にアップされたブログでなされていたので、ちょっと長いですが、ご紹介しておきましょう。
「・・・現在では、伝統芸能(と天皇家)の世界にのみ純粋な形で残っている「世襲制」ですが、江戸時代の日本では、天皇、将軍、大名、武士からはじまって商家、医師、絵師、職人、庄屋、本百姓、そして被差別部落のボスである弾左衛門に至るまで、「家業」を有するあらゆる階層が「世襲」によって「家名」を継承していたわけです。いわゆる「家制度」ですね。
ところが、注意しなければいけないのは、江戸時代の「世襲」は必ずしも「血統第一主義」によって行われていたのではなく、実際には実力主義による継承の方が優先されていたことです。(天皇・将軍などの場合は、形骸化した「権威」そのものの保持が自己目的化して以降は、基本的に「血統第一主義」的な世襲になっていきますけれど。)
つまり、実子が「不器量」(<容貌の問題ではなく「無能力」という意味です)であった場合は、ちゃんとした能力を持った者を養子として迎えて「家名」を継がせることがむしろ当然とされていたわけです。
「血統より器量(能力)」が江戸時代の世襲制の実態であり、「家」システムの本質だったわけです。
前近代社会における「家」なるものの実態は、現在の血縁によるファミリーというより、より「企業」に近いものだったと言うべきでしょう。
ところが、近代になって、逆に、「家」制度が民法的に近代化された結果、こうした経営主体としての「家」システムが縮小されて、血統主義、純血主義になってしまった。
さらに、それが戦後になると、伝統芸能の世界でも、一夫一婦制的な核家族化が進行して(かつては妾や私生児を持つことなど常識だったのに)、現在は歌舞伎の世界でも、能狂言の世界でも、史上かつてないほどの「血統主義」による世襲になってしまった。その結果、伝統芸能の世界で、近年になって、血統による世襲の諸問題=お家騒動が噴出している。
だから、繰り返すと、いま伝統芸能の世襲制が問題になっているとすれば、それは、「伝統的な世襲制」の問題ではなくて、きわめて「現在的な核家族的血統主義」の問題なのだと考えた方が正しいと思います。
「商業主義」的にかなり現在的に機能している歌舞伎の世界では、上述のように「御曹司」も、立場に甘えてうかうかしていると、すぐにその立場を失いますから(決して「甘えて」いたわけではないけれど、松嶋屋当主「片岡仁左衛門」の家名が、松竹会長の意向で、長男の片岡我當ではなく、三男の片岡孝夫に継承されたことはその好例)、ほとんどの場合、同世代の若者たちよりもはるかに勤勉で努力家ばかりのように見受けられます。・・・
あと、「世襲」システムを充分に機能させるためには、「教育」システムも必要です。いわゆる「帝王学」です。
能役者の場合は、「子方」という子どもに割り当てられる役があって、それが大抵、天皇とか源義経とか、貴種(高貴な身分)の役です。家元はじめ家格の高い家柄に生まれた子どもほど、優先的にこうした役を割り当てられます。いきおい、舞台経験が豊富になりますし、堂々とした雰囲気も身についてきます。(狂言でも、歌舞伎でも、こうした「教育」システムは、非常に綿密にプログラムされています。)・・・」
http://mitleid.cool.ne.jp/seshu.htm
<太田>
本日の演目でも、市川團十郎の御曹司の市川海老蔵が、冒頭の「暫」で、主役を演じ、更に「盲長屋梅加賀鳶」で脇役を演じ、まるで海老蔵ショーのような趣がありますが、彼の出現のおかげで、「血統による世襲の諸問題」の「噴出」にもかかわらず、歌舞伎の世襲制度の耐用命数は相当延びた、と言えそうですね。
<読者>
市川宗家は、代々声が悪いのが唯一の欠点だったのですが、海老蔵(31歳)は、声も良い、というわけで、まさに三拍子揃った素晴らしい役者だと思います。
(続く)
歌舞伎観劇記(その1)
- 公開日:
たしか一昨年、市川親子のパリ公演の様子をNHKが放送してましたね。門外漢のぼくですが、思わず海老蔵にブラボーと喝采をおくりました(胸のうちで)。彼が演ずる勧進帳の弁慶がステージ上で見栄をきり、観客すべてに(正面、そして左右に)ゆっくり頭を下げ、客席の中へと退いて行くさまは、ぼくの中枢神経を刺激して止まないものがありました。あそこには演ずると云うことのエッセンスが凝縮してあるのだとでも、自分を納得させるしかありませんでした。