太田述正コラム#3321(2009.6.7)
<改めて民主主義について(その1)>(2009.7.7公開)
1 始めに
ガーディアンが、民主主義(Democracy)に関する何冊かの本を紹介する記事
http://www.guardian.co.uk/books/2009/jun/07/life-death-democracy-john-keane
(6月7日アクセス。以下同じ)
を電子版に載せ、その中で、ケンブリッジ大学の政治理論の教授のジョン・ダン(John Dunn)が2005年に上梓した ‘Setting the People Free: The Story of Democracy’ について、「この100年以上の間に出た、民主主義史に関する最初のまともな本」であると褒めてあったので、いささか時期遅れながら、この本の書評やダン自身の解説をもとに、その中身のさわりをご紹介したいと思います。
2 民主主義について
「・・・ダンは、20世紀において、民主主義はほとんど普遍的な目標となったけれど、それを最も純粋な形で試したのは、これまでアテネ人達だけだ、と主張する。・・・」(ガーディアン上掲)
「・・・<民主主義という>言葉が意味するところは、・・・人民が権力を握り、支配をするということだ。これが<古典ギリシャの>アテネでそれが意味したところなのだ。・・・
・・・それは、2,500年前のギリシャの中の極めて狭い地域における困難な状況を打開するための即興的対策として始まり、短期間光り輝くごとくにうまくいったけれど、その後ほとんどすべての場所で消え失せてしまった。
この本は、どのようにしてそれ<(=民主主義)>が近代的な政治的選択肢として復活したのか、そして、どうして他の名前<・・共和制(republic)(太田)・・>の下で、米国の独立と米共和国の建国の際に復活したのかを教えてくれる。・・・
それはまた、それからすぐ後に、本来の名前で、ただしはるかに誤謬に満ちた形で、フランス革命の闘争のただ中においても復活した。・・・
・・・2,000年以上にわたって、民主主義は、支配の体制を示す名詞として用いられ続けた。
18世紀末に至ってようやく、民主主義は、民主主義者(democrat)というその担い手を表す名詞と、それへの忠誠心を表す(民主的(democratic)という)形容詞と、(民主化する(democratize)という)動詞を産み出した。・・・
マケドニア王国の軍隊がアテネにおける民主主義の実験を終わらせた時、民主主義について下された結論は、圧倒的に否定的なものだった。
例えば、17世紀の君主主義者たるトマス・ホッブス(Thomas Hobbes<。1588~1679年>)は、かなりの長さの反民主主義的主張を記している。・・・
トマス・ペイン(Thomas Paine<。1737~1809年>)は、著書『人間の権利(The Rights of Man)」において、フランス革命を、アレキサンダー・ハミルトン(Alexander Hamilton<。1755~1804年>)の造語であるところの、人民によって民主主義のために選ばれた代表達による間接支配の体制である、「代表民主主義」、の勝利として擁護した。・・・
ペインにとっては、「この新しく創造されたものは、単純な民主主義のすべての長所を生かしつつ、その悪名高い短所の全部とは言えないけれど大部分を回避した<政体な>」のだった。・・・
・・・政治的忠誠の対象として、かつ、政治の総体を組織する概念として、民主主義を復活させたのは、何と言っても、ジャコバン派の恐怖政治のスヴェンガリ(Svengali)<(1894年の小説に登場する悪辣な催眠術師(太田))>たるマキシミリヤン・ロベスピエール(Maximilien Robespierre<。1758~94年>)だった。
ロベスピエールにとっては、「民主主義は、その精神(soul)が気高いもの(virtue)であるだけでなく、・・・「民主主義は、正統的支配のためにはとらざるをえない」<政体>なのだ・・・。
ジャコバン派の恐怖政治の後、19世紀初頭までには、ベンジャミン・コンスタン(Benjamin Constant<。1767~1830年。スイス生まれのフランスの作家にして政治家>)が書いて主張したところの、近代代表民主主義の方が古の参加型民主主義より優れているという議論が、急速に信奉者を増やした。・・・
・・・今日では、我々が民主主義で意味するところのものは、我々が我々自身を統治するということではない。・・・
それは、我々の国家と政府が、我々の生活を組織化するためにかくも多くのことを行うととともに、我々から正統性を抽出し、かつ、その<国家/政府>一つ一つがそうであり続けるように強いることが相当の確率でできるということなのだ。・・・
「政府の形態としての民主主義と、社会的、文化的、経済的、かつ政治的プロセスとしての民主化とは、極めて異なったリズムを持っている。また、この二つは、極めて異なった種類の圧力(causal pressures)に晒される。」・・・
ダンは、西欧全域で200年前に普通選挙制度を採用したとすれば、今日において望ましいどころか満足のいくようなものではないと評されるような政治的結果しか生み出さなかったであろう、という重要な所見を述べている。・・・
・・・民主主義を生来的に非民主主義的な政治文化に導入すると非民主主義的利害関係者に有利な政治的結果が招来されてしまう、というのだ。・・・
法王ピオ(Pius)7世は、1797年、まだ枢機卿だった時、キリスト教的民主主義の序文とも言うべきものを発表した。民主主義的政府は福音に忠実であることと矛盾しない、と述べたのだ・・。・・・」
http://www.cato.org/pubs/journal/cj26n1/cj26n1-13.pdf
(続く)
改めて民主主義について(その1)
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