太田述正コラム#3323(2009.6.8)
<改めて民主主義について(その2)>(2009.7.8公開)
→何だか分かりにくいな、と思われたでしょうが、私が翻訳で手抜きをした、ということではなく、ここの前後は、ダン自身が書いた自著の解説に拠っているところ、ダンの文章が悪文で読解困難なところがあるから、というのが本当のところです。
より根本的には、ダンの言っていることは、イギリスにおける伝統的な通説を踏まえているように思われるところ、この伝統的な通説自身、お国自慢をしていると思われたくないがゆえにイギリス流韜晦が施されており、しかるがゆえに本来的に分かりにくい、ということなのではないでしょうか。
(米国や、とりわけフランスに花を持たせていること等がその例です。)
私のかねてよりの指摘であるところの、自由主義(=個人主義)はイギリス(ゲルマン)固有のものであること、アテネ型の直接民主主義・・私は、住民の一部しか参加できなかったアテネの政体は、「直接」民主主義でも「参加的」民主主義でもなかった、すなわち民主主義ではなかったと考えていますが、それはさておき・・であれ、フランス型の代表民主主義であれ、民主主義は自由主義とは理論上相容れないものがあることからイギリスや米国のようなアングロサクソンは本来的に反民主主義的であること、だからこそ、普通選挙の実施はアングロサクソン諸国は欧州諸国よりも遅れること、ただし、世界で初めて(代表)民主主義の提唱がなされたのは17世紀のイギリスにおいてだったこと、等(コラム#48、91、368、369、372、373)の方が分かり易い、と私自身は密かに自負しているのですが、いかが?(太田)
「<ダンは、>米国の政治的発展は、計り知れないほど成功した経済モデルによって助けられたと述べる。
米国人達は優れているこの経済的生活様式に依存しただけではない。この経済的自由から、彼らはその政治的自由を抽出した。
ダンにとって、代表民主主義は、「その競争相手達のどれよりも全地球的ニーズに合致している、と明確に唱える権利を確立した」。・・・
<代表>民主主義化のプロセスにおける中心的要素は、民主主義の生存可能性(sustainability)は経済的発展にかかっているということだ、とダンは強調する。・・・
・・・欧州では1920年代と1930年代、ラテンアメリカではしばしば相次ぐ年月、東及び東南アジア、サハラ以南のアフリカでは、その後ほとんど全域で<経済的発展は確保されなかった。>・・・」
http://www.cato.org/pubs/journal/cj26n1/cj26n1-13.pdf
→資本主義と(代表)民主主義の相互依存性と、(代表)民主主義が機能するための必要条件が経済的離陸であること、をダンは指摘している?(太田)
「・・・シュンペーター主義者達とルソー主義者達との間の理論的闘争(conceptual struggle)、すなわち、ダンが呼ぶところの「利己主義者達(egoists)」と「平等主義者達(equals)」との間の闘争。
利己主義者達は現時点における勝利者だ。
どうやら、我々は民主主義と、近代的な代表<民主主義>的で資本主義的な国家とをイコールなものとらえているようだが、それは、利己主義者達が平等主義者達の言語を奪っ(て彼らに対する政治的戦闘に勝利し)たというただそれだけの理由によるものだ。・・・」
http://www.politicalreviewnet.com/polrev/reviews/PSR/R_1478_9299_2135_1007726.asp
→経済的自由主義(=資本主義)による経済発展があって初めて所得分配による平等の追求が可能になるのであって、所得分配先にありきではいけない、という見解が多数を占めるようになった、とダンは指摘している?(太田)
(続く)
改めて民主主義について(その2)
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