太田述正コラム#3363(2009.6.28)
<イラン燃ゆ(その9)>(2009.7.27公開)
 (3)僧侶間の分裂? そして結論
 「・・・アヤトラのアハマド・ハタミ(Ahmad Khatami)は、デモへの参加を呼びかけた者は、「容赦なくかつ断固として(savagely)」罰せられるべきだと求めた。
 しかし、その前日に、イランの最も上級の僧侶(mullah)の一人である大アヤトラのホセイン・アリ・モンタゼリ・・長く体制の自由主義的批判者であるところの一人・・は当局の選挙への抗議行動に対する対応を非イスラム的であるとこきおろした。
 そして、もう一人の指導的な保守的神学者の大アヤトラたるナセル・マカレム=シラジ(Nasser Makarem-Shirazi)は選挙に関する紛争は「国民的和解」を通じて解決されるべきだと訴えた。・・・
 <ところで、>イッチハッド(ijtihad)<とは、>独立した論理構成によって新しい宗教的考え方を打ち出すこと<だ。>
 スンニ派は、事実上イッチハッドを10世紀に放棄してしてしまったが、この習慣はシーア派の本質的核心において生き残っている。
 その結果、シーア派の教義は、僧侶による統治から宗教的に順守すべき細かい事柄まで、異なった解釈が許されていて歴史を通じて議論が行われてきた。
 さて、シーア派における最高権威を担っているのが大アヤトラ達であり、その彼等は第一義的に、かつもっぱら法律家(jurist)なのだ。
 そして、彼等の間の最上級者がマルジャ(marja)、すなわち、シーア派信徒一般が倣うべき十分な学識があるとみなされた法律家なのだ。
 しかし、シーア派は、彼等のマルジャを世界の様々な場所に住んでいる<大アヤトラたる>人物達・・彼等はイスラム法と伝統に関する広範にわたる異なった解釈を代表している・・の中から選ぶことができる。・・・
 ホメイニはマルジャであり、彼は、コーランとシーア派の聖典を解釈して、救世主的伝統に則っていつの日か戻ってきて彼自身による正義の統治を行うであろうところの第12代イマーム(Imam<。シーア派における預言者ムハンマドの後継者>)の不在の間、神はイスラム的政府<がこの世で行われるよう>お定めになったとした。
 ホメイニは、この考え方を、僧侶が政府の統治に関し権威を与えられていること、ヴェラヤト=エ・ファキー(velayat-e faqih)、すなわち、法律家が後見人役を果たすこと、と呼んだ。・・・
 ・・・<このような>ホメイニ・モデルに対する批判を抱いていたアヤトラ達は、僧侶は、政治において占めるべき場所はないのであって、政治紛争になど関わったら汚れてしまうとの信条を抱いているがゆえに、彼等はホメイニの運動に対してあえて挑戦しようとはしなかった。
 実際、ホメイニの言う僧侶が政治的指導を行うとの考え方に最も反対するところの、伝統的な考え方は、「物言わぬ主義(quietism)」と今では呼ばれている。
 だから、反対派のアヤトラ達は、ホメイニが権力を掌握した1979年も、またそれ以降もずっと沈黙を保ってきたのだ。・・・
 ホメイニのヴェラヤト=エ・ファキーなるモデルがもっともだと思った者のうちの幾ばくかは、彼の聖人統治の観念が暴虐なる地上の独裁制という形に結実したことに狼狽し、彼に背を向けた。
 その中で一番の大物は、大アヤトラのモンタゼリだった。
 彼は、一時はホメイニによって指名されたその後継者だったが、政治的囚人達の大量処刑に抗議して1988年にホメイニと袂を分かった。
 その後の何年かにわたって、モンタゼリは、声高に僧侶の政治介入批判を続けるとともに、イランの憲法を改正して、選挙で選ばれる大統領の権限を強化し、僧侶たる最高指導者から絶対的権力を剥奪すべきであることを示唆した。・・・」
http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1907067,00.html
 要するに、有力な僧侶の中で、最高指導者が絶対的権力を握るイランの現体制批判を声高に行ってきたのはモンタゼリくらいなものであり、彼以外には、現時点でも一人も出現していません。
 モンタゼリ以外の有力な僧侶の中から懐疑派ならぬ反対派が出てきて、反対論をぶち始め、かつ、ハメネイが、かつてのソ連のゴルバチョフのような人物であったとすれば、事情は異なりますが、ハメネイはブレジネフ的どころか、金日成/金正日的な人物である可能性すらある上に、反対論をぶつような新たな有力な僧侶さえ出現していないわけですから、イランの体制変革が成就することなど、当分の間、およそ考えられない、というのが私の見方です。
(完)