太田述正コラム#3074(2009.2.3)
<米帝国主義について(その2)>(2009.7.30公開)
 「蒋介石は、・・・日本に対して・・・挑発的な攻撃を開始し、支那人に満州への移住を促し、日本の商品の排斥を推進し、満州の軍閥に日本が統制している南満州鉄道と平行する鉄道を建設するように促した。」
 この蒋介石による挑戦は、日本において深刻な憂慮を惹起した。恐慌がこの島国に経済的破局をもたらしており、満州の経済的重要性は高まっていたからだ。
 日本は満州に食料やたくさんの不可欠な稀少資源を依存しており、満州との貿易はその全貿易量の40%を占めていた。」(PP487~488)
 「・・・保守的な欧州人達は、支那人達を、悪企み好きの胡散臭い連中であると見ていたのに対し、日本については、東アジアにおいて、安定をもたらすとともに、共産主義に対抗する砦的な存在と見ていた。」(PP488)
 「フーバー<米大統領>は、私的にこう語ったことがある。「もしジャップ氏が満州に侵入するとして、日本には支那とボルシェヴィキという二つのトゲが脇腹に突き刺さっているおり、日本をして当面それらの対応に追われさせることも、必ずしも悪」くないかもしれないと。いずれにせよ、彼は日本に対して経済制裁を発動することに強硬に反対した。「虎にピンを突き立てるようなものだ」と。彼は、満州に関して日本と戦争をするなんてことは「愚の骨頂だ(folly)」と考えていた。」(PP489)
→ここまでは、まことにもって結構なのですが、この後、PP511で、あのアイリス・チャンの’The Rape of Nanking’だけに拠って南京事件のことに触れているのはいただけません。それにしても、フーバー大好き!(太田)
 「日華事変に対する米国人達の反応は様々だった。多くの米国人は、依然として日本を、ソ連に対する、そしてそれどころか支那の革命的ナショナリズムに対する砦、と見ていた。日本との盛んな貿易を重視する人もいた。しかし一方で、多くの米国人が、次第に支那側に肩入れするようになって行った。支那人達を助けるために支那にとどまっていた宣教師達は、日本による侵略の暴虐さ(horrors)を報じた。南京虐殺事件は特に怒りを呼び起こした。「アル・カポネ的諸国家」によって脅迫されてはいけないと警告しつつ、宣教師達は、日本の商品に対する「キリスト教的不買運動」と戦争物資の日本への売却停止を求めた。いずれも宣教師夫婦の子供であるところの、小説家のパール・バックとタイム・ライフ社社主のヘンリー・ルース(Henry Luce)は、この活動を後押しした。1931年に初版が出、何百万という米国人が読んだ『大地』は、それが物語の対象とした支那の農民達の立場に立って書かれた小説だった。その映画版は1937年に放映された。ルースの、どんどん人気を高めていた発行部数の巨大な諸雑誌と、同社の「マーチとタイム」ニュース映画は、高度に理想化されたところの、支那像と(キリスト教徒に改宗したばかりの)蒋介石像を提示した。やがて、これらのイメージが米国の世論を反日親支那へと押し流して行った。」(PP511)
→全く同感です。なお、私とパール・バックとの因縁については、コラム#1174、2651参照。(ついでに#2828もどうぞ。)
 「日本による米海軍艦艇の沈没も米国を行動に移らせることはできなかった。1937年12月11日、<上記>南京虐殺事件の最中、日本の航空機が、揚子江で文民の避難にあたっていた米艦パネー(Panay)号を爆撃・銃撃した。操縦士達は、救命ボートに乗って逃げようとした生存者達に対しても残酷にも攻撃をかけた。パネー号は沈み、43人の水夫と5人の文民が負傷し、3人の米国人が死亡した。ローズベルトや他の政府高官達は怒り狂い、懲罰的対応をとることを考えた。しかし、この衝撃的に暴虐であるところの、何も挑発行動をとっていない対象への攻撃も、<米西戦争の時の>メイン号や<第一次世界大戦の時の>ルシタニア号に比肩できるような憤激は生まなかった。米国人は、戦意が高揚しないようにしないように心がけていたかのように見えた。米国の艦船を支那から撤退させるべきだと主張する人々までいた。明らかに米国と同じくらい衝撃を受けた日本政府は、ただちに謝罪し、死亡したり負傷した人々の家族に対する賠償金の支払いを約束し、再発防止に努めることを保証した。もっと注目すべきは、日本社会の異なった面を示すものでもあるが、古来からの慣習に従い、何千人もの普通の市民達が、遺憾の意を表し、日本に埋葬された米国の水夫達の墓の維持費に充てるべく、少額の寄付を行ったことだ。」(PP512)
→こんな「麗しい」日米関係を破壊したのがキリスト教原理主義者達であったということと、彼らの心底に有色人種差別意識が潜んでいたこととを、我々は決して忘れないようにしましょう。(太田)
(続く)