太田述正コラム#3088(2009.2.10)
<在イラク米軍の歴史的大回心(その1)>(2009.8.4公開)
1 始めに
2007年1月10日に米ブッシュ大統領(当時)が、在イラク米軍の兵力増強を発表(コラム#1615)してから、どれほどイラクの治安状況が劇的に改善されたか、以下の典拠
http://www.washingtonpost.com/wp-srv/nation/thegamble/timeline/
に掲げられているいくつかのグラフをご覧下さい。
このような社会事象は実験で検証するわけにはいきません。
特段兵力増強(とそれと平行して行われた治安政策の転換)なくしても、同じ結果になっていた可能性だって皆無ではありません。
しかし、常識的に考えて、そうではありますまい。
では、一体どのようにこの戦略変更が行われたのでしょうか。
ワシントンポストの軍事記者のトーマス・リックス(Thomas E. Ricks)が今度出した本にその回答が書かれています。彼の敏腕ぶりには、ただもう脱帽するほかありません。
(以下、特に断っていない限り、書評であるところの
http://www.latimes.com/features/books/la-et-rutten10-2009feb10,0,16348,print.story、
http://www.nytimes.com/2009/02/10/books/10kaku.html?pagewanted=print、
及び、同記者自身によるこの本の要約と言える
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/02/07/AR2009020702153_pf.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/02/08/AR2009020802321_pf.html
による。)
2 概論
「・・・<リックスは、>今まで語られたことがなかったところの、ホワイトハウス及び当時のラムズフェルト国防長官の下の国防省の失敗だけでなく、統合参謀本部や司令官達の失敗をも記している。
ここで物語られていることは、要するに二つの叛乱についてだ。一つは米国のイラク侵攻以降そこに群生したイラク人達とイスラム原理主義者達によるものであり、もう一つは、少人数の米国の非服従的な将校達(その中で最も有名なのがデーヴィッド・H・ペトラユース将軍)、退役将校達(とりわけ<元米陸軍参謀副長の>ジャック・キーン(Jack Keane)将軍)、そしてブッシュ政権にゲリラ戦を挑み、同政権の過ちを直視させイラクにおける効果的な対叛乱戦略を採用させようとしたところの、アメリカン・エンタープライズ研究所を中心とした軍事史家達と保守的国防知識人達、によるものだ。・・・
軍事史家のエリオット・コーエン(Eliot Cohen)は、・・・大統領に対し、リンドン・B・ジョンソン<大統領>の大いなる過ちは、世上言われているような軍事面への細かい介入などではなく、彼の将軍達の間で「真剣な戦略的議論」を尻を叩いてでもやらせなかったことだと伝えた。
ブッシュ-チェイニー-ラムズフェルトのトロイカは何度となくまさにこの過ちを犯した。・・・
ペトラユースの幕僚達には、実戦経験を積んでいただけではなく、米国や英国の超一流の大学で博士号を持つ将校達がゴロゴロしていた。そして最も驚くべきことは、いくつかの重要なポストに外国人の顧問が就いていたことだ。
例えば、彼の最も重要な対叛乱補佐官は、著名な中世史学者の息子であるオーストラリア人のデーヴィッド・キルカレン(David Kilcullen)だった。彼は、深い経験を積んでいると同時に深く学んでおり、イスラム原理主義の人類学の博士号を持っていた。また彼は、本能的なオーストラリア人的な権威に対する無頓着さとその結果としての率直さを身上としていた。・・・
また、ペトラユースの他の外国生まれの顧問達として、サディ・オズマン(Sadi Othman)・・ヨルダンで育った平和主義的キリスト教メノナイト派のパレスティナ系米国人・・と英国人たる中東専門家で、リックスが「猛烈な反戦」であると形容するところのエマ・スカイ(Emma Sky)がいた。(リックスによれば、オズマンはペトラユースに最も親しい人物であるように見えるとのことだ。)
スカイは、最終的にペトラユースの当時の次席であったところの、レイモンド・オディエルノ(Raymond Odierno)将軍・・現在はペトラユースの後任となった・・のとりわけ親しい顧問になった。そして、彼女自身驚いたことに、彼女は米軍の崇拝者となった。「私は彼らが大好きだわ」と彼女は語り、彼らは、彼らが仕えている国家よりも優れている、と付け加えた。「私はそう思うのよ。米国はその軍隊にふさわしい存在ではないわ」と。・・・
現在と同じくひどく寒い冬であった<独立戦争の冬の>頃、フォン・ストイベン(von Steuben)男爵は、ジョージ・ワシントンの大陸軍を効果的な戦う部隊にすべく訓練を始めた頃、故国プロイセンの友人に手紙を書き、彼がそれまで指揮していた兵士達と彼の新しい部下達との違いについて記している。
欧州の兵士達に対しては、こうしろああしろと言わなければならず、連中はそれをいやいややると。それに対して米国人達は、最初に、どうしてそれをやらなければならないかを知りたがるが、一旦納得すると、その命令を熱心に更なる指示なくしてやりとげる、と。・・・
「・・・<リックスは、>「ドナルド・ラムズフェルトが国防長官でいたならば、イラクにおける米国の努力の方向転換を行うことは困難であったろう」と言う。なぜならラムズフェルト氏の「悲劇的な欠陥は」、過ちを犯した後、「方向転換する能力が欠如」していたところにあるからだ、と。・・・
<また、「・・・>2006年11月の中間選挙で民主党が議会の多数を占めるに至ったということがなかったらば、ブッシュ政権が、その2ヶ月後における戦略とリーダーシップの大きな修正を行うことは決してなかっただろう」と<リックスは語る。>・・・
<ただし、この戦略変更がもたらした成果に目が眩み、米国はイラクから撤兵を近く開始できるなどと夢にも思ってはならない。>この戦争は、「米国にとって、独立戦争、そして実にベトナム戦争よりも長い、史上最長の戦争」になる可能性がある、とリックス氏は記している。」
(続く)
在イラク米軍の歴史的大回心(その1)
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