太田述正コラム#3439(2009.8.4)
<皆さんとディスカッション(続x557)>
<KT>
≫DEATH ON THE SILK ROAD≪(コラム#3437。κκΑΑ)
あれ?なんか気のせいかデジャヴを感じました。
<太田>
そりゃそうです。
核保有国は多かれ少なかれ、原爆症の発生とその隠蔽について、すねに傷を持ってます。
米国
http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/nuclear_tests.html
http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/plutonium_experiment.html
英国
http://www.min-iren.gr.jp/syuppan/shinbun/2002/020715-04.html
フランス
http://www.gensuikin.org/57/leMonde_hiroshima.htm
<Kc>
アナポリスがことさらに人種差別的な方針を取っていた、といよりもその時のアナポリスのラクロスチームがたまたま人種差別主義者が多かった、ということではないでしょうか?<(コラム#3437参照)>
実際にWW1より前にアナポリスを卒業しているマイノリティでは、チェロキー族出身のジョセフ・クラーク提督やハワイ出身で中国系とハワイアンの血を引くチュン・フー提督などがいます。
<太田>
第一段落については、仮にそうだったとすれば、ハーバード大学チームがおめおめと黒人を排除した形での試合に応じることはなかったでしょうね。
第二段落については、典拠をつけて欲しかったけど、恐らく事実なんでしょうね。
黒人に対する「取り扱い」の違いは、以下のことを理解すれば、不思議ではありません。
インディアンに対しては、法的差別は、少なくとも1924年までには完全に撤廃されていた
http://everything2.com/title/African+American+and+Native+American+discrimination+from+1864+to+1954
http://everything2.com/title/Indian+Citizenship+Act
のに、黒人に対する法的差別は、1960年代まで、多くの州で生き続けました。
それ以外の有色人種たる正規の米国市民に対しては、そもそも、法的差別は最初からありませんでした。
(なお、本日の記事の紹介の最後のものも参照のこと。)
<κΑκΑ>(「たった一人の反乱」より)
ロシア、中国品扱うモスクワの市場閉鎖 外交問題に発展
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20090803AT2M0300V03082009.html
「安い中国製品を主に扱っていたモスクワの巨大市場、チェルキゾフスキーをロシア当局が6月末、衛生上の問題を理由に突然閉鎖した。
市民団体などの推定では、中国人6万人を含む出稼ぎ外国人ら10万人前後が失職などの影響を受け、中国が訪問団を送って抗議する外交問題に発展した。
国内産業の育成を唱えるプーチン首相が6月、閣議で密輸問題を取り上げ「20億ドル(約1900億円)以上の商品が売られている市場がある」と叱責したのがきっかけ。
捜査当局はすぐに大量の密輸品を押収し、ルシコフ市長が「市場を撤去する」と表明した。
突然の摘発に抗議デモが発生、不法滞在の露天商らは本国送還の恐れに直面した。
欧州有数規模でロシア最大の市場だけに、中国製の安価な商品買い付けが止まり、地方の物価が上がったとの指摘もある。」
<太田>
コラム#3434で中露関係に言及したことに関連する情報提供と受け止め、ご披露させていただきました。
<MS/KT>
次のオフ会のご案内です。
日付 : 9月12日(土) 9時半~16時30分 (9時から準備予定)
場所 : 大井第三地域センター 第一集会室
(http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/hp/menu000007300/hpg000007215.htm)
プログラム : 未定
申込・問い合わせ先 : ohtan_off2″_at_”yahoo.co.jp (_at_ –> @)
<太田>
MS、KT御両名、またまたお世話になります。
では、記事の紹介です。
どうも私は、自民と民主のマニフェストなんて、真面目に比較検討する気にならないのですが、真面目に検討したらしいのは結構だとしても、民主党のマニフェストに対する下掲のような批判↓にはうんざりするね。
「・・・国会新聞社編集次長の宇田川敬介氏が正論9月号で「民主党は簡単に政策を翻し、公約に違反する政党だ」とばっさり切り捨てている。・・・」
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/090804/bks0908040745000-n1.htm
「・・・いまの各政党の出している「マニフェスト」には我慢がならない。民主党は野党第一党として政権を担当する、とずっと言ってきたのだから、もう少しマシな、明確に「チェンジ」を標榜する政策セットを出してこなければ、日本が変わる、という期待は持てない。この期に及んで自民党も顔負けのばらまきアイデア集を出すに及んでは、盛り上がった政権交代への期待も萎んでしまう。・・・」
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090803/171902/?ml
「鳩山由紀夫代表が鳴り物入りで発表した衆院選マニフェスト(政権公約)は、ほぼ予想通りの内容だった。一読して、まことに申し訳ないが、これによって「民主圧勝ムード」が冷えていくのではないか、世間は冷静さを取り戻すのではないか、などと思ってしまった。・・・
というのは、どうひいき目で見ても、国民受けをねらった「ばらまき公約」ばかりが前面に出過ぎているからだ。このマニフェストからは、日本をどういう国にしていこうとするのか、目指すべき国家像といったものが見えてこない。
外交は票にならないというのが政界の通例だが、政権を担当しようという政党が、外交・安全保障について、こういう扱いをする。アメリカの大統領選挙では、共和党でも民主党でも、外交・安保・危機管理が重要なウエートを占める。内政もさることながら、国際社会でどう行動するかをはっきりと表明しなければ、政権担当能力を示すことにはならない・・・」
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090730/171130/?ml
そもそも、日本には本格的な政策企画能力があるシンクタンクが一つもないのであって、日本で最も詳細なデータを持ち、日本で最高の企画能力がある官僚機構を使うことができない野党が自前でまともな政策セットをつくることなど、およそ不可能なんですよ。
ウソだと思ったら、1億円あげるから、上掲の批判者3人の誰でもいいから、マニフェストつくってごらん。
二番目のは大前研一で、かつて自民党のためにマニフェスト案をつくったって言ってるけど、どうせお経で中身ないんでしょうが・・。
なお、三番目のは花岡信昭だけど、「目指すべき国家像」なんて、属国日本が口にするのもはばかられる話であり、宗主国米国が公式非公式に指示する「日本が目指してほしい属国像」にどれだけ積極的消極的に抵抗するか程度のマヌーバーしか日本はできないんだよ。
大前の民主マニフェスト批判にもう少しつきあいますかね。
「・・・私<(大前研一)>は小泉改革は間違っていた、と至る所で述べているが、それは「官から民へ」の流れが間違っていた、と言っているのではない。「民」で十分機能しているもの、例えば郵便、貯金、保険、などは郵便局を民営化するのではなく、廃止すべきであった、と言っているのである。・・・」
→貯金・保険については基本的に賛成だが、郵便を完全民営化した国なんて世界にないんじゃない?(太田)
「・・・日本においては市場主義を心配するほど市場に自由があるわけではなく、むしろ世界中から資本も企業も来ない、という淋しい状態である。これこそが雇用を創出したい、あるいは創出しなくてはならない、日本の最大の問題であり、日本が自由主義経済の原則、あるいは市場に任せる政策をとっている、という判断をしている人など世界中どこを見回しても、いない。・・・
「官から民へ」やスモールガバメント、自由市場原則、そして「中央から地方へ」という権限、財源、主導権の移行が間違っているとは到底思えない。・・・」
→ここは、基本的にそのとおり。(太田)
「・・・ライス在日米軍司令官は7月23日、2006年に日米両政府で合意している在日米軍再編計画について、「一部だけ選んで実施するメニューではない」と述べ、「いずれの移転計画も総合依存関係にあり、一部でも失敗すれば全体が頓挫しかねない」との見解を示した。要するに「計画を少しでも変更したら駄目だ」と日本政府に圧力をかけた・・・
結局のところ、こうした圧力をかけてくる米国は日本を主権国家と見ていないのだろう。日本のマスコミはこのような自民党寄りの発言をする米国を批判すべきだ。米軍にそのようなことを言う権利はない。民主党が政権を取ったら、日米の関係を積極的に変えていくべきである。「政権が変わったから、ポリシーも変わった」「従来とは異なることを日本は実行する」と言えばいいのだ。アメリカがそれに異論を唱えるのは自由だが、国民の総意でできた政府の言うことを尊重しない、というわけにはいかないだろう。もし自民党との何らかの密約があるなら、この際、それらをすべてぶちまけてもらいたい。長く続いた自民党は他にも国民に隠していることがたくさんあるだろうから、その意味でも(中国に傾斜している)アメリカとの関係を見直す良い機会だ。・・・
いまの日本にしてみれば、米軍には南よりは北にいてもらったほうがいい。現在の我々にとって最大の「仮想敵」は北朝鮮である。・・・」
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090803/171902/?ml 上掲
→大前は国際政治音痴であって、だから彼の経済に係る提案はグローバル経済化した現在、ピンボケのものが多い。
台北タイムスに、
・・・his analyses have frequently been proven wrong by events.・・・
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2009/07/26/2003449601
って言われてるよ。
そんな大前が、最低限慎むべきは、外交・安全保障問題について発言することだ。
「我々にとって最大の「仮想敵」は北朝鮮である」には嗤っちゃうね。
国際政治音痴の大前も、日本が米国の属国であることはうすうす感じているらしいところは可愛いけどね・・。(太田)
北朝鮮は、断末魔の苦しみにのたうち回ってる感じですね。↓
・・・North Korea has press-ganged people into a “150-day struggle” of farm or factory work since April to produce results for leader Kim Jong-il’s heir apparent Jong-un, but the project has backfired and brought North Korea’s fragile economy to the brink of collapse・・・
http://english.chosun.com/site/data/html_dir/2009/08/04/2009080400257.html
19世紀時点で、世界の覇権国の英国にして、その刑事司法の状況がこんなものだったのか、ということが分かる記事が出てました。↓
・・・In a world without a police force and a rapidly growing population, early Victorian England was not a place to get caught on the wrong side of the law.
By 1815 – two decades before the Peelers started patrolling the streets – there were more than 200 offences which carried the death penalty.
Hapless highwayman
The infamous system in England and Wales, which relied on its strong deterrent qualities, was dubbed the “Bloody Code” for good reason.
Executions were public spectacles, with the wealthy hiring balconies to get better views, and it did not take much to book yourself a spot at the gallows.
Being in the company of gipsies for a month, damaging Westminster Bridge, cutting down trees, stealing livestock – or anything worth more than five shillings (£30 today) for that matter – would do it.
The death sentence also applied to pick pockets, destroying turnpike roads, general poaching, stealing from a shipwreck and being out at night with a blackened face, which made people assume you were a burglar. ・・・
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/8181192.stm
一方、ロシアの刑事司法は、21世紀の現在でも無茶苦茶です。↓
・・・10 million people testify each year in criminal trials. Half of them are threatened・・・
Of those 5 million, just 20,000 are protected, leaving the rest to fend for themselves against kidnapping, arson, break-ins, street attacks, and attempts on their lives. There are no reliable statistics detailing how many come under attack.
”They either don’t inform us of the danger signals, or they don’t realize the scope of the threat,” says Col. Oleg Zimin, head of the Interior Ministry’s witness protection directorate.
But lawyers and victims’ advocates tell another story. They say that people are often more frightened of police than of criminals, and view them, with no small justification, as potentially linked to the same gangsters issuing threats.・・・
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-russia-witness2-2009aug02,0,7373596,print.story
モンゴルが、国を挙げてチンギス・ハーン熱に冒されてるってさ。↓
・・・Planes now land at Chinggis Khaan International Airport, students attend Chinggis Khaan University and tourists can stay at the Chinggis Khaan Hotel. The khan’s bearded visage graces cans of energy drinks, vodka bottles and cigarette packs, as well as the money to pay for those goods.・・・
http://www.nytimes.com/2009/08/03/world/asia/03genghis.html
離婚の心の傷は再婚しても癒されず、さりとて破綻した結婚を維持することもできないとさ。↓
・・・men and women who had experienced divorce or the death of a spouse reported about 20 percent more chronic health problems like heart disease, diabetes and cancer, compared with those who had been continuously married. Previously married people were also more likely to have mobility problems, like difficulty climbing stairs or walking a meaningful distance.
While remarrying led to some improvement in health, the study showed that most married people who became single never fully recovered from the physical declines associated with marital loss. Compared with those who had been continuously married, people in second marriages had 12 percent more chronic health problems and 19 percent more mobility problems. A second marriage did appear to heal emotional wounds: remarried people had only slightly more depressive symptoms than those continuously married. ・・・
・・・scientists at Ohio State studied the relationship between marital strife and immune response, as measured by the time it takes for a wound to heal. The researchers recruited married couples who submitted to a small suction device that left eight tiny blisters on the arm. The couples then engaged in different types of discussions — sometimes positive and supportive, at other times focused on a topic of conflict.
After a marital conflict, the wounds took a full day longer to heal. Among couples who exhibited high levels of hostility, the wound healing took two days longer than with those who showed less animosity.
“I would argue that if you can’t fix a marriage you’re better off out of it,” said Janice Kiecolt-Glaser, an Ohio State scientist who is an author of much of the research. “With a divorce you’re disrupting your life, but a long-term acrimonious marriage also is very bad.”
http://www.nytimes.com/2009/08/04/health/04well.html?hpw=&pagewanted=print
ヴィクトリア女王の夫たるアルバート殿下への愛情の深さと殿下の国際政治のセンスの良さが分かる記事です。↓
・・・Victoria herself wrote that she “felt, when in those blessed Arms clasped and held tight in the sacred hours at night, when the world seemed only to be ourselves, that nothing could part us. I felt so v[ery] secure.”・・・
“As time went on, her love and need for him only grew, while he seemed to feel her love almost as a burden.”・・・
Albert・・・helped avert catastrophic British involvement in the American Civil War.・・・
http://features.csmonitor.com/books/2009/08/03/we-two-victoria-and-albert/
戦前における、米国の支那系住民に対する凄まじい差別状況をご覧じよ。↓
・・・”paper son” — someone who had come to this country from China using papers claiming false U.S. citizenship and often false blood ties.・・・
In the Chinese American community, nothing is more of a secret or more insidious in its consequences than the tradition of paper sons, which can trace its origins to the Chinese Exclusion Act of 1882. That law barred the entry of all Chinese immigrants to the United States except for those who were diplomats, academics, ministers or merchants. ・・・
A new opportunity for citizenship arose after the San Francisco earthquake and fire of 1906, when all birth records for the state were destroyed. Suddenly Chinese men who were already in the U.S. could claim that they’d been born here. (This was important, because until 1943 it was against the law for Chinese to become naturalized citizens. So many men claimed U.S. citizenship this way that it was said for it to be true, every Chinese woman in California pre-1906 would have needed to have given birth to 600 sons.)
This loophole was a boon, for it allowed Chinese men to return to China as U.S. citizens, report that their wives had given birth to a son there (a child born to a U.S. citizen abroad is automatically eligible to be a U.S. citizen) and receive a piece of paper creating a “paper son.” This document could then be used by a real son or sold to a friend, neighbor, relative or total stranger. The paper sons adopted their new surnames, then came to the U.S. as citizens and lived with their new families as sons and brothers. Later, they were able to bring in wives and children and sometimes even bring in paper sons themselves. ・・・
Even after the Exclusion Act was overturned in 1943, the legacy of paper sons continued. ・・・the U.S. government’s “confession program,” which began in 1957・・・asked Chinese who came here as paper sons to confess and then receive legitimate citizenship. But in this amnesty program, it wasn’t enough to confess about yourself; you also had to rat out your friends, neighbors, business associates and even family members. Better yet, if you could say that you suspected so-and-so of being a communist, you’d get your citizenship for sure. This program ripped apart communities, businesses and families. ・・・
California’s miscegenation laws lasted until 1948. His parents — as did all my relatives who entered into mixed marriages — married in Mexico.・・・
・・・until 1948 it was against the law in California for people who were even one-quarter Chinese to own property here, just as it was against the law for him to be married to his white wife.・・・
http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-see2-2009aug02,0,5043083,print.story
日系人は、支那系人ほどひどい差別の対象ではありませんでしたが、例えば、カリフォルニア州等のanti-miscegenation law(人種間通婚禁止法)は、もちろん日系人も対象にしていました。(コラム#2531、なお、#254、1110も参照)
繰り返しますが、日米戦争の頃の米国は、現在の米国とは全く違う国であったと言っても過言ではないほどおぞましい国であり、こういう国によって日本は日米戦争を強いられたのです。
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太田述正コラム#3440(2009.8.4)
<欧州の中世初期(その2)>
→非公開
皆さんとディスカッション(続x557)
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