太田述正コラム#3393(2009.7.13)
<アジアの時代の到来?>(2009.8.13公開)
1 始めに
米フォーリン・ポリシー誌が、’Think Again: Asia’s Rise’と題する長文の記事を載せました。
果たしてアジアの時代が到来しつつあるのかを問うた記事です。
その内容を抜粋してお目にかけましょう。
2 記事の抜粋
「・・・アジアが世界に冠たる権力のプレヤーとして立ち現れるだろうと言うことは甚だしい誇張だ。
せいぜいアジアの勃興は多極世界の到来に導くものではあっても、単極世界の到来に導くものではない。・・・
この地域は、<現在>世界の経済的生産物の約30%を生産している。・・・
いずれにせよ、現在においてもまた未来においても、アジアを単一の権力主体として語ることは意味がない。
それ以上に、特定の地域的プレヤーの急速な上昇は、その最も近傍の諸国の警戒感を呼び起こすだろう。・・・
パックス・アメリカーナは、米国の圧倒的な経済的かつ軍事的力によってだけ実現したのではなく、自由貿易、ウィルソン的自由主義、そして多国籍諸機関(multilateral institution)の一揃なる想像力を掻き立てる諸観念(visionary ideas)があったればこそなのだ(注)。
(注)このくだりには異論がある。自由貿易と自由主義は英国由来の観念だし、多国籍機関は欧州由来の観念だ。すべて、米国の専売特許ではない。(太田)
今日のアジアは世界で最もダイナミックな経済単位を持っているかもしれないが、思想の面での指導者として<米国>同様の鼓舞的役割を演じるようには見えない。・・・
この地域のダイナミズムは、その大きな部分をその強いファンダメンタルズ・・高い貯蓄率、都市化、そして人口動態・・と自由貿易、市場改革、そして経済統合の効用に負っている。
アジアの相対的な後進性はある意味では幸いだった。
というのは、アジア諸国は、はるかに低い出発点から出発したのでより速く成長しなければならなかったからだ。
アジアの資本主義は3つの独特の特徴があるが、それらは必ずしも競争上の優位を保証しはしない。
第一に、アジアの国々では、産業政策、インフラ投資、そして輸出奨励を通して経済に<他の地域の国々>より一層の介入を行う。
しかし、これがアジアの資本主義により多くのダイナミズムをもたらしたかどうかは、依然解けない謎だ。・・・
第二に、家族がコントロールする会社群からなるコングロマリットと巨大な国有企業という2種類のものがアジアのビジネス風景を支配している。
このような企業所有構造がアジアの最大の企業群をして米国の大部分の会社の短期主義を回避することを可能ならしめているが、これは同時に、これら企業群を株主達や市場の圧力から遮蔽しており、アジアの企業がアカウンタビリティー、透明性、革新性において劣る原因となっている。
第三に、アジアの高い貯蓄率は、国内資本の巨大な貯蔵庫を確保せしめており、疑うべくもなくこの地域の経済成長を促進している。
しかし、アジアの貯蓄者に哀れみを!
彼等の大部分は、彼等の政府が社会的セーフティーネットを不十分にしか提供していないために<やむなく>貯蓄しているからだ。
アジアにおける政府の諸政策は、(預金利子を低く抑えることで家計の貯蓄者達に彼等の貯金に対してわずかな収益しか渡さないという)金融的抑圧(repression)を通じて預金者達をひどい目に遭わせている一方で、(典型的には低い銀行貸し出し利子を通じて)資本に補助金を流すことで生産者達に報償を与えている。
アジア的徳と喧伝されているところの輸出奨励だって過大評価されている。
アジアの各国の中央銀行は、各国の巨大な輸出黒字の大部分を、米国の財政金融政策に起因する長期的なインフレ圧力によって価値の多くを失うであろうところの、収益性の低い米ドルによって支配された諸資産に投資してきた。・・・
・・・
韓国の発明家達は、・・・米国で特許を、1978年には13件しかとれなかったのに2008年には8,731件もとった。
また、2008年には37,000件近くの米国の特許が日本の発明家達に与えられた。・・・
・・・<それでも、>米国のリードはまだまだ大きい。
2008年に米国の発明家達は92,000件の特許が与えられたが、これは韓国と日本の発明家達に与えられた合計数の2倍だ。
アジアの2大巨人である中共とインドはまだこのはるか後方にとどまっている。・・・
<また、>世界のトップの10大学はアジアには存在せず、わずかに東京大学が世界のトップ20大学の中に入っているにとどまる。
<更に、>過去30年間において、わずか8人のアジア人・・そのうち7人は日本人・・しか科学においてノーベル賞をとっていない。
この地域の階統的文化、中央集権化した官僚制、弱体な私立大学、そして暗記と試験への関心の集中が米国の最良の研究諸機関をそっくりそのままマネしようとする努力を妨げている。・・・
中共は工学専攻の大卒者を毎年60万人、インドは35万人生み出していることになっている。<米国ときたら、わずか7万人だ。>
<しかし、>・・・多国籍企業の人事担当者達は、中共のエンジニアのわずか10%、そしてインドのエンジニアの25%しか雇用するに価すると考えていない。
<これに対し、>米国の場合は、81%だ。・・・
<アジア諸国同士の猜疑心や反目も強い。>
・・・中共が将来のアジアの指導者になることを快く思っているのは、日本人の10%、韓国人の21%、インドネシア人の27%にとどまる。・・・
<他方、>・・・支那人の69%、インドネシア人の75%、韓国人の76%、日本人の79%が米国のアジアにおける影響力が過去10年間で高まっていると考えている。・・・」
http://www.foreignpolicy.com/articles/2009/06/22/think_again_asias_rise?page=0,0(7月11日アクセス)
3 終わりに
こういう風にマクロ的に俯瞰した記事に接すると、日本と日本以外のアジア諸国との差は、質的なものではなく、量的なものに過ぎないのであって、少なくとも、今や日本はアジアの一員である、という感を深くします。
日本を模範とした大東亜共栄圏がいつの間にか実現していた、といったところでしょうか。
それはまた、先の大戦をめがけて形成された日本型経済体制を、骨太のところで、アジア諸国が鋭意マネをした結果でもある、とも考えたいところです。
また、各国の米国に対する信頼感とそのコインの裏側たる中共に対する警戒心は、米国の属国日本のメンタリティーを、属国たらずして、アジア諸国が意識的・無意識的に身につけた結果である、という考え方も成り立ちうるのではないでしょうか。
しかし、日本にとっての現在の喫緊の課題が、グローバルスタンダード的経済体制の採用による日本型経済体制の基本的解体と米国の属国からの脱却であることを考えれば、今や再び日本が脱アジア化することが求められている、と言えそうです。
そして、今度アジア諸国が再びこのような日本のマネをするようになった暁に、ついに本格的なアジア中心の世界が到来する、ということではないでしょうか。
アジアの時代の到来?
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