太田述正コラム#3397(2009.7.15)
<文明的とは何ぞや(その2)>(2009.8.15公開)
次に、この本を酷評する書評からです。
罵詈雑言的な部分は除きます。
「・・・アームストロングは、「文明の中核的観念を解明」したいと言う。
しかし、この言葉が用いられる様々な異なった感覚をごちゃ混ぜにしているため、それを行うことを、自ら不可能にしてしまっている。
時に我々は、この<文明という>言葉を、多くの、いや恐らくは全ての諸文化が経て行く社会的プロセスを意味するという、語源学に厳格に則った形で用いる。
また時に、我々はこの言葉を、我々が肯定的に自己同一視するところの、このプロセスの特定の段階または社会の特定の状態の意味で用いる。
あるいは時に、我々はこの言葉を、文化の同義語として、また時に、「高級な文化」の同義語として用いる。
時には我々はこの言葉を、自己同一視できる最大の社会的カテゴリーの意味で、あるいは共通の文化的様相を持つ極めて大きな集団を表示するために技術的に用いる。
時には我々が「文明」と言うとき、それは単に「良い行儀」を意味する。
最もアバウトに言うと、これは最も良くあることだが、我々はこの言葉を、我々がたまたま承認するところの生活様式または価値体系を指すレッテルとして用いる。
およそ<文明という言葉には>「核心的観念」などないのだ。
あるのは、付着物がくっついた典型的な言葉があるだけだ。
啓蒙時代の哲学者達・・思うに彼等は、我々が「社会化」と呼んでもいいようなプロセスを指し示すつもりであった・・によってこの言葉が初めて用いられた時に意図された本来の意味、すなわち根っこに戻るために、<くっついた付着物を>剥がすことが考えられる。
あるいは、いかにこの言葉が用いられてきたかを調査してその共通項を見つけることが考えられる。
しかしこれらの歴史的アプローチは、アームストロングが軽蔑するところである。
もう一つの方法は、ゼロから出発して<文明という言葉の>全く新しい意味を提案することだ。・・・
<それもまた、アームストロングはやろうとしない。>
<結局のところ、彼に言わせると、文明には、>他者との関係において開放的であることから出発して、善、真、礼儀正しさ、雄大、雅量、誠実、思慮分別、「優雅さ、威厳、良い秩序、安全」、「智慧と美」、明晰さ、責任、ストイシズム、そして適度な物質的繁栄が含まれるのだ。
そしてまた<文明には>、今日の世界各地の社会において見えなくなってしまっているとアームストロングが無知蒙昧にも非難するところの、これらの良きものと「弥栄(いやさか=flourishing)」の全ての成分を表示するところの芸術も含まれるのだ。・・・」
http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/non-fiction/article6529772.ece
(7月1日アクセス)
残りは、一応積極的な評価をしている書評からです。
「・・・1872年にギュスターヴ・ドレ(Gustave Dore<。1832~83年。フランスの木彫と金属彫刻を中心とする芸術家>)は、人目をひく本(注3)を出した。
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(注3)「『ロンドン巡礼(London: A Pilgrimage)は180枚の版画からなる本で、1872年に出版された。
この本は、商業的成功を収めたが、当時の批評家達の多くからは嫌われた。
ドレがロンドンに存在していた貧困に焦点をあてているように見えたことが、批評家達の何人かのお眼鏡にかなわなかったのだ。
ドレは、『芸術雑誌(The Art Journal)』によって「写すというよりでっちあげている」と非難された。
『ウェストミンスター評論(The Westminster Review)』は、「ドレは、最も大衆的にして最も俗悪な外的様相が描かれているスケッチ群を我々に与えてくれる」と主張した。」http://en.wikipedia.org/wiki/Gustave_Dor%C3%A9
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それは、マントをまとった人物がかつての偉大な都市の廃墟をスケッチしているイラスト付きだった。
そのイラストのタイトルは「ニュージーランド人」であり、新世界の住民がロンドンの廃墟を眺めやっている版画だった。
それは、19世紀のロンドンは世界の中で傑出していたかもしれないが、文明のモデルとしては、既に衰亡しつつある、というメッセージだった。・・・
<その頃既に、>理想として検証され、追求され、慈しまれるべき文明なる観念は流行らなくなっていたのだ。・・・」
http://www.ft.com/cms/s/2/eb503e1c-6ce0-11de-af56-00144feabdc0.html
(7月14日アクセス)
(続く)
文明的とは何ぞや(その2)
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いつも面白いコラムありがとうございます。
ギュスターヴ・ドレについて、英語のウィキペディアには sculptorとも記述されていますが、実際は彫刻が中心の芸術家ではなく、画家あるいは木や鉄を使った版画家と考えるほうが良いと思われます。
上野の西洋美術館には「ラ・シエスタ、スペインの思い出」という油絵が常設展示されていてこちらも素晴らしいので機会があったときにでもぜひご覧ください。
http://collection.nmwa.go.jp/P.2005-0007.html