太田述正コラム#3405(2009.7.19)
<米国における最新の対外政策論(その2)>(2009.8.19公開)
1 始めに
 今度は、ストローブ・タルボット(Strobe Talbott)の’The Great Experiment: The Story of Ancient Empires, Modern States, and the Quest for a Global Nation’の紹介です。
 ゲルブはリアリズムの信奉者でしたが、タルボットは国際主義(internationalism)の信奉者です。
2 タルボットの本の内容
 「ストローブ・タルボットは、ブルッキングス研究所の所長だが、<人類はその歴史を通じて次第に世界政府へと向かいつつある、と指摘する。>・・・
・・・
 <彼>とビル・クリントンは、ローズ奨学生としてオックスフォード大学に留学していた時、同じ家を二人で借りて住んでいた。
 クリントンは、その後、<大統領になった時、>タルボットに国務副長官になってくれるよう要請した。
 タルボットは<また、>21年間タイム誌に勤めた。・・・
 ハリー・トルーマンは、高校を卒業した1901年の時から、アルフレッド・ロード・テニソン(Alfred Lord Tennyson)の「ロックスレイ・ホール(Locksley Hall)」という詩の12行を書き記した紙切れを財布に入れて持ち歩くようになった。
 この12行中には、「世界連邦の全人類議会において戦いの太鼓の音が鳴り止み、戦闘旗がたたまれた時」というくだりがあった。
 タルボットは、「トルーマンは、手書きでこの12行を一生の間に40回も書き写したところ、1951年の作家のジョン・ハーシー(John Hersey)との会話の中で、トルーマンが、「こういった<全人類に適用される>普遍的な法律を…我々はいつの時か持つことになるだろう。私は、この詩を財布に初めて入れた時以来、これを本当に実現することを目指して仕事をしてきたんだ」と述べたと記している。・・・
 ・・・1948年に第一版が出た、古典とも言える著書の’POLITICS AMONG NATIONS’の中で、著名なリアリストの政治理論家のハンス・モーゲンソー(Hans Morgenthau)<ですら>、「世界国家の擁護者が行う議論を反駁することはできない。
 というのは、政治を一手に司る単一国家が成立し、主権国家群からなる既存の国際社会が個人達からなる超国家的共同体へと抜本的な変換が行われない限り、恒久的な平和は成就しないからだ、と記している。
 <また、>1992年には、<あの>ロナルド・レーガン<でさえ、>自分は、「完全に装備され準備されたところの、必要に応じ軍事力でもって人間の聖域を切り開く国連常備軍たる良心の軍隊」を予見することができると述べている。・・・」
http://www.globalsolutions.org/node/1085
 「<後で登場する>ジョン・ボルトン(John Bolton)もそうだが、タルボットもエール大学に問題多き1960年代に在籍した。
 タルボットはジョージ・W・ブッシュの級友だった。ボルトンは彼等の2年後輩だった。・・・
 ・・・国連は、構造と取り決めの一層多彩化したネットワークと合体しなければならないところ、ネットワークうちのいくつかはもっぱら機能的であってその他はもっぱら地域的であって、また、ネットワークうちのいくつかはもっぱら国家間に基礎を置いてその他はもっぱら民間部門や市民団体やNGOとの体系的協力に基礎を置いているべきだ<、とタルボットは記す。>
 換言すれば、タルボットが心に描くのは、カンサス州の上空におどろおどろしくてこの上もなく強力な官僚機構が黒いヘリコプター群を送り込む<イメージという>よりは、互いに支えあうところの、国際的諸協定と諸組織の柔軟な網細工<のイメージ>なのだ。・・・
 2005年に、国連総会は、<国連加盟国は、>主権国家内において危機に瀕した人々を「守る責任」があるとする決議を採択した。
 この決議にタルボットは敬意を、そしてボルトンは嘲笑を示す。・・・
 ・・・1949年に、ジョン・ケネディを含む64人の民主党員達と、ジェラルド・フォードを含む27人の共和党員達が、世界連邦を是とする決議案を提出した。
 しかし、ボルトンはそれよりもはるかに微温的な決議だって現在の上院で採択されることなどありえないと指摘する。・・・」
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/01/24/AR2008012402329_pf.html
 「・・・タルボットは、ジョージ・W・ブッシュの世界観と諸政策に対する痛烈な批判でもってこの本を締めくくっている。
 ブッシュの大統領時代を、彼は、米外交政策史における「必然的逸脱(consequential aberration)」<の時代>であるとする。
 そして、イラクにおける泥沼と大統領を目指しての戦いを超えて、彼は、米国は地球温暖化と核戦争の危険を回避する努力において指導力を発揮することによって、世界の信頼を再び勝ち取ることができると説く。・・・」
http://www.flipkart.com/great-experiment-strobe-talbott-story/0743294084-l5w3fr0v8b
 どうやら、第9条を持つ日本国憲法は、トルーマンが米国の大統領だったからこそ、「押しつけ」られた、ということだったようですね。
 当時、ゾルレンとザインの区別すらつかないようなトルーマンなる愚鈍な人物・・日本に原爆投下をした人物でもある・・が大統領として日本の占領の最高責任者であったこと、マッカーサーのような夜郎自大の無能な人物が占領の現地責任者であったこと、そして、吉田茂のような私憤と公憤の区別がつかない愚かな人物がたまたま首相であったことは、日本にとって何という不幸な偶然であったことでしょうか。
 ところで、考えてみると、吉田の孫の麻生太郎は、吉田の公と私の区別ができないという欠陥を、思いっきり増幅して受け継いでいますね。
 全くその器ではないのに首相の座を望み、一旦首相になるとその座にしがみつき、自分が何度もチョンボを繰り返し、麻生内閣の閣僚が次々に辞任し、自分が取り仕切った地方選挙で敗北を重ねても辞任しようとせず、ついに自民党を壊滅直前の状況に陥れたのですからね。
 しかし、その全く意図せざる結果として、日本は救われるかもしれません。
 ひょっとして、彼のおじいさんがつくりあげてしまったところの、米国の属国たる戦後日本の国のあり方が、私の言うところの、第一革命と第二革命を経て、根本から覆るかもしれないのです。
 これを歴史の皮肉、いや奸計と言わずして何でしょうか。
 それでは、もう少しタルボットの本の紹介を続けたいと思います。
(続く)