太田述正コラム#3478(2009.8.23)
<皆さんとディスカッション(続x576)>
<ΑΑΝΝ>(「たった一人の反乱」より)
≫日本を米国の属国に貶め続ける戦略を墨守してきた政党…≪(コラム#3476。太田)
この部分が核心なんだろうけど、自分の周りにいる自民党の支持を続けてる人たちや、共産党に毎回投票していると語ってる人に聞かせても、
「自民党が自らの意向で属国の道を選択しているから日本は属国なんだ」
という考え方は納得してくれない。
日本が属国なのは避けようが無くしょうがないことで、自民党のせいとまでは言えないと思ってる感じ。
あと、
「政権交代したら民主党が腐敗するのを自民党が全力で阻止するから、そうそう旨い汁は吸えない」
という太田説を信用してくれる人は今のところ自分の周りでは誰もいなくて、みんな「政権交代してもどうせ民主党が自民党と同じ事をするだけで何も変わらないはず」と信じてるっぽい。
<太田>
前段は、あなたの知り合いの皆さんは、「オレたちも自民党議員達も欲の亡者(=経済至上主義=吉田ドクトリン信奉者)である点において変わりはない」という認識を持っているということですよね。
他方、後段は、あなたの知り合いの皆さんは、「政権交代のあかつきには、自民党議員達は、野党利権という小欲に甘んじ、与党利権という大欲は捨て去るだろう」という認識を持っているということをうかがわせるところ、これでは彼等は自民党議員達が必ずしも欲の亡者ではないという認識であるということになりかねず、自己矛盾っぽいよって指摘してあげてください。
そして、その際、ついでに、「そもそもあなたご自身、ホントに欲得ずくだけで生きてるの? それでいいと思ってるの?」と問い詰めて欲しいな。
<ΑΝΝΑ>(同上)
>自分の周りにいる自民党の支持を続けてる人たちや、共産党に毎回投票していると語ってる人に聞かせても「自民党が自らの意向で属国の道を選択しているから日本は属国なんだ」という考え方は納得してくれない。 日本が属国なのは避けようが無くしょうがないことで、自民党のせいとまでは言えないと思ってる感じ。<(ΑΑΝΝ)
共産支持者ってのは、革命と生活者目線…どちらを支持してるかによるなあ。
前者は論外。後者支持の人は難しいね…私も支持できるし。
共産党は安全保障を全面的に見直してくれればなあ。
同様に社民も今一支持できないんだけど、保坂展人さんは生き残って欲しいなあと言うジレンマ。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/3a86721522f5bb022dc66b0d44fee993
自民に固執する人は、今日の日本があるのは自民のおかげと思ってるのかも。
「吉田ドクトリンは麻薬のようなドクトリン」って例え<(コラム#3446)>は、絶妙とおもた。・・・
あと、個人的な情が自民政治家にあれば、理ではどうにもならんと思う。
おーたんでさえ、情に落ちた心情を吐露したのは印象的↓
「森さんとは、首相になられるより前でしたが、一度だけお目に掛かったことがありますが、一言二言話をしただけで、抗いがたい魅力を感じ、森ファンになってしまった記憶があります」<(コラム#837)>
#もちろん選挙となれば、おーたんは情を理で抑えるだろうけどね。
小沢流人心掌握術?も面白い↓
『「聴衆を見つけた小沢代表は、すぐに『クルマを止めてくれ』と叫んで飛び出し、2000人全員と握手して回った。
普通は演台近くの数人の有権者と握手し、すぐさま演説するものです。2000人一人一人と握手することはあり得ない。
これで集まった聴衆は、いっぺんに小沢ファンになった。偵察に来ていた地元の自民党幹部は、その様子を見て『自民党は負ける』とつぶやいたそうです」(地元関係者)・・・
小沢は一人一人と握手した後、一気にしゃべりだす。うまいとはいえない演説だが、聴衆は引き込まれ、感動するのだ。』
『(ネットを通じて20代、30代に直接、自分の言葉で訴えた)成果で、西松献金事件の時、ネット世論調査では小沢支持の方が多かった。
いまだに大新聞・テレビだけを最重視し、世論の風向きを見失う自民党とは、ここが大きく違う。』
http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2009/ar20090723115326.html
<太田>
人心掌握ってのはフェースツーフェースでやるもので、小泉元首相は、人心掌握力はなかったけど、人気を得る力はありました。(コラム#837)
岡田克也のようにどっちもダメな政治家こそあれ(同上)、両方備えているような政治家は希なのだけれど、小沢は例外なんですかねえ。
一度も会う機会がなかったのが残念だなあ。
<ΑΝΝΑ>(同上)
自民のマニフェスト公開が遅れたのは、民主のを見た上での作戦?か、政策作成能力がないのか?、どうなのか?と思ってたんだけど、どうやら自民は官僚シンクタンク頼みで、ダメダメな組織なのかもね~
「NPO法人サイエンス・コミュニケーションでは、ブロガーsivad氏や有志のみなさんとともに、以下の公開質問状を作成し、自由民主党、公明党、民主党、日本共産党、社会民主党、国民新党、改革クラブ、新党日本の各政党に対し送付しました」8/1
http://d.hatena.ne.jp/scicom/20090801/p1
↓
民主党からの回答 8/8
日本共産党の回答 8/18
国民新党の回答 8/22
自民、公明、社民、改革クラブ、新党日本、現在回答なし
http://d.hatena.ne.jp/scicom/20090830/p1
≫おののがた、何をそんなにエキサイトしてんの? ≪(コラム#3476。太田)
要は、マーケティングの問題ですよ。ホットな話題に乗るか乗らないかは太田さんの匙加減ですが、おーたんがどう思ったかを知りたいという需要があったんですよ。
<ννΑΑ>(同上)
国民審査では、涌井(国籍法、南京虐殺)、桜井(御殿場事件)、田原(痴漢冤罪)に×付けることにしようかと。
<太田>
そう、こりゃタイムリーな問題提起だよね。
最高裁判事の国民審査が今度の総選挙の際に併せて行われることを、主要メディアは忘れたようなフリをしてます。
ほかの皆さんの、国民審査に臨むお考えもぜひご披露いただきたいですね。
<νΑνΑ>(同上)
≫みんなの党も現勢の4人が1人減る可能性があるみたいね。それが浅尾慶一郎であって欲しいと切に思うな。≪(コラム##3476。太田)
浅尾氏、厳しそうですよ。
「昨夏に公認が決まった長島氏は、元逗子市長の知名度に加え、民主への追い風を受けリードしている。衆院解散直後に民主を離党し、みんなの党で参院からくら替えを狙う浅尾氏は、民主支持層の約3割に食い込み、保守層の支持も受ける。」
http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20090822ddlk14010224000c.html
前職組は渡辺喜美氏、江田憲司氏、広津素子氏(元自民)、山内康一氏(元自民)、くら替えが浅尾慶一郎氏なので、選挙区で通りそうな2人というのは渡辺、江田両氏くらいということでしょう。
あとは比例復活があるか・・・。
ちなみに比例で復活の可能性がある点では額賀氏も同様ですよ。
<太田>
比例があって、しかも、そちらで復活当選する可能性があるという選挙制度は、わかりにくいこと夥しいですね。
それにしても、何か想像を絶する地殻変動が有権者の間で起こっているって感じです。↓
「・・・小選挙区で大部分の候補が当選確実または有力となったため、本社の分析通りになると仮定すると、比例で復活当選する重複候補と比例単独候補を加えても、同党の獲得予想議席に北関東、近畿、九州で計六議席分の候補が足りなくなる可能性がある。・・・」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2009082302000085.html
<Chase>
・・・”MBAを単純に文系の範疇で認知されること”を(太田氏にとっては)憤懣やる方ないのではと勝手に憶測したが、全く違っていたとのこと<(コラム##3476)>で申し訳ありませんでした。
文系・理系の区分について、歴史的経緯を調べて体系的に述べる力はないので、日本における文系・理系の特異な感覚(理系専攻者が優秀or基本的にまず(文系でなく)理系を専攻すべきという感覚)についてのみ、私の印象をモノローグで記す。
日本では、なぜか確かに理系は優秀、文系は・・・というイメージがある。入試の選択も、数学や物理が苦手なので文系にしたとかいって、”文転”とかの悲哀?のある遊び言葉もある。
ところが、就職して企業に入れば、大概の企業(9割位?か・・・典拠なし)は文系支配(官界はいうまでもなく)である(典拠は常識)。
このことは差し置き、理系優秀の感覚は他国よりも多分強い気がする。では、この感覚はどこから来たのか?
ひとつは、戦争中の徴兵の方針?によるところが大きい。
”軍事技術の開発者は徴兵されず、大学生も、理系は当初徴兵されなかった”。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1316593348
また。”太平洋戦争末期に行われた学徒出陣において、理系学生が技術要員として徴兵猶予が継続された”。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%B3%BB%E3%81%A8%E7%90%86%E7%B3%BB
これらが幼児体験となり、日本人の(理系優位の)意識づけに少なからず寄与したものと思われる。
もうひとつとして、「人間に係る事象を対象とする」文系のイメージ(典拠不明)は、欧米なら、組織のガバナンスに即応用されていくのであろうが(儒教によるガバナンスは、一般ピープルの学問ではないため、捨象)日本では、実学重視の志向(典拠なし)そのようなDNAはなく、そのような科目を勉強する意義が理解されないためである(典拠は思い込み)。
話題を変えて、冒頭では言及しないと言ったが、文系・理系の区分に関して、会計学、経済学、統計学、意志決定理論、コンピューター・プログラミング、マーケティング、法学等を理系と看做す太田氏の考え方について一考する。
自然を対象とする学問が理系と定義すると(一応、このように定義してみる)、この考え方は誤りになる。
では、太田氏の考え方はどこから来るのか?
これは、当該学問の体系性であろう。基本的な命題や仮定を設定していき、そこからすべての(事柄を説明する)記述が、(数式を多用しながら)演繹的に導出される過程が、その体系性の屋台骨といえる(のだろうか)。
このことからいえるのは、要するに数学、就中、集合論を基礎とする論理学が当該学問で貫徹されている(ような感じ)か否かが、太田氏の発想の根幹にあると思われる。
となれば、数学が理系かどうかか問題となる。
数学は(モチーフは別として)自然を対象としない。であるなら、数学は理系ではない。(冒頭に引用している図の)副島隆彦氏の分類によると
http://snsi-j.jp/boards/undefine/69.html
数学は自然科学に入っていない(副島氏の分類については、氏の本に典拠がなく正否は不明であるが)。
このことからすると、われわれ日本人が数学を理系(自然科学を対象とする学問群)としていること自体が間違いになる。
したがって太田氏の会計学、経済学、・・・を理系とする考え方は、より正確に?言い直せば、当該学科は記述の基本が数学(的演繹性)により構成されているという理解でよいのではないかと思う。
然るに日本では、数学ははっきりと理系とされていることから、太田氏の理解が間違いにはならない。
この問題(太田氏がいう諸学問が理系とする考え方)は、結局、日本語の理系の定義と、国際的な対応語(もどきも含めて存在したとすると)、両者がどう同じで、どう違うかを詳しく分析する以外には決着がつかない。私がググった範囲では正直判りませんでした(すみません)。
<太田>
そういうわけで、私は、半ば苦し紛れに(?)、「人間や人間社会に係る具体的な事柄からのアナロジーで理解、習得できる科目は文系であり、そうでない科目、このような意味で抽象度の高い科目は理系なのではないでしょうか」(コラム#2503、3466)という前提に立った上で、「そうでない科目」で多用される数学は、自然科学どころか、「科学<ですら>ないって思って<います>」(コラム#3470)と申し上げている次第です。
週末にもかかわらず、いや、週末だからかもしれませんが、力の入った投稿を多数お寄せいただいた皆さんに対し、敬意を表します。
<豊丘時竹>(2009.6.28)(http://k.hatena.ne.jp/keywordblog/%E5%85%B5%E9%A0%AD%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB)
・・・6月28日・・・付けで公開された太田述正氏のブログ<(コラム#2989「「桜」出演準備(続x3)」)>を見て感じたのは、兵頭二十八氏の考えと思えるものとよく似ているということである。
そのブログでは、守るべき価値、として、五箇条の御誓文を挙げておられた。兵頭氏は、五箇条の御誓文こそが日本が則るべき根拠である、といったようなことを何かに書かれていたように記憶する。
太田氏は典拠を非常に重視されておられるのに、兵頭氏の典拠は恥ずかしいがここに示すことはできない。淡い記憶たよりである。
・・・
お前は上に書いたことで何を言いたいのか。読者諸氏、そう問うだろうか。
優れた思想家が考えると、考えが似てくるようだ、と感心していると言いたかったのである。
奴隷の思想であるが、感心している人たちの思想についていけばいい、というのが、しいて言うなれば恥ずかしながら私の思想である。
感心した人の行動指針を自分の行動指針とし、できる範囲で行動する、まあそんなところである。
<太田>
それでは、記事の紹介です。
発展途上国が豊かになると、少なくとも過渡的には、女の子の受難の度合いが増大するってことのようですね。ウーン悩ましい。↓
・・・in India and China the situation is dire: in those countries, more than 1.5 million fewer girls are born each year than demographics would predict, and more girls die before they turn 5 than would be expected.・・・
China and India are poor. But in both nations, girls are actually more likely to be missing in richer areas than in poorer ones, and in cities than in rural areas. ・・・
・・・while increasing women’s decision-making power would reduce discrimination against girls in some parts of South Asia, it would make things worse in the north and west of India. “When women’s power is increased,” wrote Lisa C. Smith and Elizabeth M. Byron, “they use it to favor boys.”・・・
A firstborn daughter was not typically subjected to inferior treatment; she was treated like her brothers. But a subsequent daughter born to an educated mother was 2.36 times as likely to die before her fifth birthday as her siblings were to die before theirs — mainly because she was less likely to see a doctor. It turned out that a kind of economic logic was at work: with a firstborn girl, families still had plenty of chances to have a boy; but with each additional girl, the pressure to have a son increased.・・・
・・・wealthier and more educated women face this same imperative to have boys as uneducated poor women — but they have smaller families, thus increasing the felt urgency of each birth. In a family that expects to have seven children, the birth of a girl is a disappointment; in a family that anticipates only two or three children, it is a tragedy.・・・
http://www.nytimes.com/2009/08/23/magazine/23FOB-idealab-t.html?ref=world&pagewanted=print
哲学じゃわねー。↓
・・・The difference between sex for money and sex for free,・・・is that sex for money always costs a lot less.・・・
http://www.nytimes.com/2009/08/23/books/review/Bentley-t.html?hpw=&pagewanted=print
オブザーバー紙掲載の論説↓は深く考えさせるものがあります。
http://www.guardian.co.uk/world/2009/aug/23/second-world-war-mccrum
1 英国は先の大戦に形の上では勝ったけれど、帝国を失った等という意味では実質的には敗北したわけです。↓
・・・there was a national sense of “Was this what we fought for?” As one American commentator put it, the British certainly believed they had won the war, but they behaved as though they had lost it.・・・
2 戦場体験を持った人々にとっては、戦争はもの凄く愉快な経験であり、戦後の平和な暮らしは退屈極まるものとなったってはっきり書いてあります。↓
Adam Phillips, the writer and child psychotherapist, was born in 1954.・・・
We must remember, says Phillips, that “for those who survived, the war was incredibly exciting and really unrecoverable from. There’s a radical incompatibility between wartime and peacetime existence. Coming home from the war meant adjusting to the fact that the rest of your life is going to be incredibly boring”.・・・
3 大部分は戦場体験を持つことがなかった女性にとっても・・とりわけ自分や家族に人的物的損害がなかった女性にとっては・・戦争はその権利を伸張させたこと等からプラスのイメージで記憶されることになった、と書いてあります。↓
Mary Beard, a Cambridge classics professor, was born in Shropshire in 1955. For her, the significance of the Second World War was that it began the liberation of British women, paving the way for the feminist movement of the 1970s.・・・
”So if, as a child, I thought of the war,” Beard goes on, “it was as something that was quite fun. In our family, there were no walking wounded and absolutely no losses, none. The war was a life-changing experience, certainly, but it was a positive and liberating event. My parents even had a phrase for it that I always found a bit strange. They used to say they’d had ‘a good war’.” She recognises now that she internalised her mother’s experience.・・・
先の大戦において、戦死者や戦病死者数や国内の空襲による被害は英国の方が日本に比べると圧倒的に少なかったけれど、失った帝国の大きさは、比べものにならないほど英国の方が大きかった、ただし、形の上では英国は勝利し日本は敗北した、という具合に両国が受けた被害は良い勝負ですが、両国の国民が抱く先の大戦観、ひいては戦争観は、180度異なります。
この違いを私なりに説明しようとして、私は、英国については、アングロサクソにとって戦争が生業であったからだ、日本については、縄文モードへの回帰があったからだ、という文明論的・・劇画的?・・考察を行った次第です。
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太田述正コラム#3479(2009.8.23)
<イギリス反逆史(外伝)(その2)>
→非公開
皆さんとディスカッション(続x576)
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