太田述正コラム#3459(2009.8.13)
<歴史について(続)(その3)>
 若干の内容的重複を厭わず、最後は、ニューヨークタイムスの書評からの抜粋で閉めることにしましょう。
 「・・・<この本は、>世界を理解する方法たる歴史に係る、余りにも多くの場合歪曲され、政治化され、そしてひどく誤って取り扱われるといった無数の取り組みに対する、しばしば辛辣で一貫して挑発的な告発だ。・・・
 彼女は、「アマチュア」によって「専門的歴史家達」の影がうすくなっていることに対して痛烈な批判を加える。
 彼女は、社会学と文化研究の人気が高まり政治史が流行遅れになってしまったことを攻撃する。
 彼女は、あらゆる種類のアイデンティティー研究、とりわけそれが彼女の呼ぶところの「犠牲者たることについての見苦しい競争」に堕してしまった場合、を論難する。・・・
 ・・・歴史的に<人為的に>つくられたアイデンティティーの一つであるところのナショナリズムに対して最も説得力ある批判を投げかける。・・・
 <ただし、>これはパラドックスと言えるが、彼女がかくも尊敬する専門的歴史家達は、彼女が猜疑心を抱いているところの近代ネーション(国民)国家で生まれ育っているのだ。
 学者的プロトコールと、(国史に係る教科書類に関して公的な認可が行われるようになったことについてはもちろんのこと、)英国の国立文書館(Public Record Office)やフランス古文書館(Archives de France)や米国国立文書・記録局(the United States National Archives and Records Administration)のような、国家的諸機関によって支えられた、公式の、大学をベースにした過去についての研究は、19世紀になってようやく出現した。
 同様にまた、新しく生まれた強固な中央政府が、散在するバラバラの住民達を<強力に>統治したことによって、この住民達は、彼等の主たる忠誠の対象が、教区、村あるいは地域(province)ではなく、学者のベネディクト・アンダーソン(Benedict Anderson<。1936年~。米国の政治学者>)が、明確な範囲の互いに結びつきあった(distinct and coherent)人々による「想像の共同体」と呼んだものであることをどうにかこうにか納得し、ここに大衆社会が形成された。
 すなわち、明治の日本、ビスマルクのドイツ、カブール(Cavour)のイタリア、そしてリンカーンの再生米国は、すべてネーション(民族)形成(building)のうねりが19世紀半ばに欧米(Western)の多くの地域を襲った結果生み出されたものであり、20世紀において、それ以外の世界の各地域に対し、<ネーション形成の>諸モデルを、通常「民族自決(self-determination)」の旗印を掲げる形で提供した。・・・」
 この米国の書評子が、日本をあっさりと欧米の中に入れ込んでいることは高く評価すべきでしょうね。(太田)
 「我々のような世俗的な時代においては、歴史が「道徳的<に求められる>諸水準を設定し様々な価値を伝達する」手段として宗教に取って代わった、とマクミランは付け加える。・・・
 ・・・第二次世界大戦後のドイツは、今でもナチズムとホロコーストの恥ずべき記憶に取り憑かれている。
 その反対が日本にはあてはまりそうだ。
 すなわち、日本は、自分の第二次世界大戦の時代における、offensive(他者の感情を害するような)行動を思い出すことが余りにも少ないため、その隣人達、とりわけ支那の恒常的不快をかっている。・・・
 米国人達について言えば、彼等は歴史が少なすぎて、捨て去ったり、議論するのを止めたりするようなものが存在しない<ことが問題だ、>と言えるかもしれない。・・・」
 マクミランは、米国について、甘過ぎます。
 米国の奴隷制そのものについてはともかくとして、このすぐ後でも一部出てくるように、(黒人に対するもの以外の)有色人種差別、原爆投下を始めとする日本の都市の絨毯爆撃、そして私の言うところの、日米戦争を引き起こした米国の恥ずべき、あるいはoffensiveな歴史について、米国内での議論はまだほとんど行われてさえいないのですから・・。(太田)
 
 「マクミランは、1994年に決定された米連邦歴史基準(the National History Standards)が巻き起こした大騒ぎを回顧する。
 それは、初等学校と中等学校における教育を、奴隷制、移民、女性、そしてインディアンに関する豊富な業績等の革新的な歴史に関する当時の学問的業績を反映したものにすることがねらいだった。
 しかし、ラッシュ・リンボー(Rush Limbaugh<。1951年~。米国のラジオホストにして保守的政治評論家>)は、この基準について、「我々の国が本来的に悪である」ことを教えようとする試みであると弾劾した。
 ボッブ・ドール(Bob Dole)米上院議員は、これを「外敵よりも悪質だ」と呼ばわった。
 マクミランはまた、米スミソニアン研究所が、エノラゲイ・・1945年8月6日に史上初めて原爆を投下した航空機・・の展示を用いて、大量破壊兵器と現代戦争の本質についての問題提起をしようとした時の一騒ぎに関する目の覚めるような率直な議論を提示している。
 帰還兵達の諸団体は怒りを爆発させた。
 マクミランは、彼等が「<スミソニアン研究所隷下の>国立航空宇宙博物館は、公的議論の奨励ではなく、米国人の愛国主義(patriotism)を強化するために飛行と空軍力の栄光を褒め称える目的で存在する」と信じている、と記す。
 彼女は、このような帰還兵達の意見・・「実際に大きな出来事に参加したり特定の時代を生きた人々はその後に来た人々よりも理解度において優位にある」という信条・・は、より一般的な現象の特殊ケースに他ならないと示唆する。
 <実際には>全くその正反対なのだ、と彼女は別の箇所で述べる。
 すなわち、彼女は、英国の作家のジョン・ケアリー(John Carey。1934年~)の言、「歴史の最も有用な任務の一つは、いかに一生懸命、誠実に、そして苦労して過去の世代が、我々にとっては間違っていたり恥ずかしい目的を追求したかを我々に分からせることだ」を引用する。
 ところで、我々自身の時代は、将来どのように判断されることになるのか、知りたい気がしてくる、というものだ。・・・」
http://www.nytimes.com/2009/07/19/books/review/Kennedy-t.html?_r=1&pagewanted=print
(8月10日アクセス)
(完)