太田述正コラム#3218(2009.4.16)
<キリスト教・合理論哲学・全体主義(続)(その3)>(2009.9.16公開)
(2)市場原理主義はもちろんだが、自由民主主義も、現状では全地球的たりえず
「・・・若い読者達が、初めてジョン・グレイに出会ったのは、彼が、トニー・ブレアが米国によるイラク侵攻を支持する決定を下したことに対して容赦ない批判を行った一人として登場した時だったのではないか。
グレイは、『偽りの明け方:全地球的資本主義の妄想(False Dawn: The Delusions of Global Capitalism)』の著者でもある。
その中で、彼は、18世紀末から19世紀初頭にかけての自由放任主義的資本主義の黄金時代は、かなりの程度国家権力によって、法令と強制を用いて引きおこされたものであることを説得力ある形で指摘した上で、全地球的自由市場なる新自由主義的プロジェクトを批判している。・・・
グレイはブレアに関しては更に大胆不敵だ。ブレアは要するにネオコンだというのだ。・・・
・・・グレイの『歴史の終わり』・・・についての見解はちょっとしたものだ。
彼がこの本について何を言っているかではない。というのも、フランシス・フクヤマが主張したところの、共産主義の崩壊後、平和裏に民主主義の覇権が確立するとの予想は、誤った予想の教科書的事例であることはもはや明らかだからだ。グレイの凄いところは、そのことを言った時期なのだ。それは1989年であり、フクシマが予想を行った直後のことだった。・・・
ところで、<この本に収録されている>「グローバリゼーションは何ではないのか(What Globalisation Is Not)」<という論考>は、『偽りの明け方』でカバーした領域をおおむねなぞっている。
そうして、自由主義的、民主主義的、資本主義的覇権が確立するなんてはずはない、なぜなら、支那とロシアにおける<それぞれ独特なる>資本主義体制の出現によって例示されたように、資本主義は、かねてより、 地域的諸条件を破壊するというよりは、それらに適応するのが習いであったからだ、とグレイは指摘する。・・・」
http://www.thepost.ie/post/pages/p/story.aspx-qqqt=BOOKS-qqqm=nav-qqqid=40872-qqqx=1.asp
(4月13日アクセス)
(3)改善説を排斥しよう
「・・・哲学者ジョン・グレイは、・・・1998年の『偽りの明け方』という本で・・・現在の経済的混沌を予想した数少ない思想家の一人として喝采を博している。・・・
グレイは、サッチャーを、彼女が野党の党首になった時から注目してきた。
彼女が汗をかいて仕事をする政治家だったからだ。
しかし、グレイにとってより重要だったのは、彼女が彼同様、戦闘的な反共産主義者だったことだ。
グレイは、10台の早期からロシアに興味を持ち、ドストエフスキーを読み、ノーマン・コーンの1957年の『千年王国の追求』という本に「計り知れないほどの影響」を受け、自分の反ソ連、反イデオロギーの立場を強化されたとしている。・・・
・・・フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』は1989年に出版された・・・<が、>グレイは、その時、これが黙示録的考え方の再度の表明であって、「米国の政策を著しく無能にしてきたところの、米国人の実世界の認識の盲点を作りだした自由主義イデオロギーなる米国的マインドの支配」の一例であると侮蔑の念を表明した。
いずれにせよ、今や<世界不況に直面している我々にとって>、全地球的な自由民主主義にせよ全地球的な自由市場にせよ、<それが実現するのを>押しとどめることなどできないなんてことがないのは余りにも明白になったと言えよう。
グレイはその反対に、この二つは、現在の形態においては、もはや終わってしまった、ということを確信している。・・・
「ほぼ、とりわけ資本に関して、開かれたところの、全地球的な自由市場が生まれはした。<しかし、世界はいまなお主権国家によって構成されており、この全地球的な自由市場をコントロールする主体がどこにも存在しない。これが我々が直面している根源的な問題なのだ。>・・・
<第一次世界大戦の後にも、グローバリゼーションが崩壊したことがある。当時は、ファシズム、共産主義、帝国主義、植民地主義があった。しかし現在、我々はこれらの悪しきものを抱えてはいない。この点に関する限りは、我々は恵まれている。>
しかし、その代わり、我々は環境的危機を抱えている。・・・
<それに、民主主義的ないし自由主義的な改善説(meliorism)だって危険でないとは言えない。>というのは、改善説は、<共産主義やジャコバン主義やナチズム同様、>実際の効果をもたらす諸政策よりも、意味を求める気持ちを充たしてくれる諸政策を選好する傾向を作り出すからだ。・・・
「人間というものは、安全と安定を欲する。しかし、人間は同時に、可能性とスリルも欲するものだ。つまり、人間は幸福を欲するが、同時に面白いことを欲するところ、この二つは全く異なったものなのだ。これは、あまねく見られる、人間にとっての<根本的な>葛藤なのだ。」とグレイは記す。
グレイは19世紀の哲学者であるジョン・スチュアート・ミルのファンであり続けている。
ただし彼は、ミルの進歩への信条でも、ミルのヴィクトリア主義でもなく、ミルの折衷主義のファンなのだ。・・・
「<ミルの当時、>経済学は数学やモデルを造ることに関わる独立した学問分野であるとは考えられていなかった。
それは歴史、道徳性、人間の本性についての分析、と密接なつながりのある歴史的学問分野であると考えられていた。
そして、このような考え方はケインズまでは続いていた。
ケインズは、一筋縄ではいかない(sophisticated)人物であり、芸術評議会(Arts Council)の創設等色んなことをやった。
彼は同時に、確率論に関する論文を書き、当時のあらゆる哲学者達の書いたものを読破し、投資家であり、<フランスのノルマンジー地方の>ドーヴィル(Deauville)に行ってどんちゃん騒ぎをやらかすのが大好きでもあった。・・・」
http://www.independent.co.uk/news/world/politics/philosopher-john-gray-were-not-facing-our-problems-weve-got-prozac-politics-1666033.html
(4月13日アクセス)
4 終わりに
グレイは、自由民主主義や資本主義を信奉していないわけではありません。
ただし彼は、自由民主主義や資本主義をイデオロギーとしては信奉してはならないと言っているのです。
というのは、グレイにとっては、自由民主主義や資本主義は、それぞれ、人間・・これを彼が「にんげん」ととらえているか「じんかん」ととらえているかは詮索しないことにして・・の幸福を確保する手段に過ぎないからです。
そして、(地域によって異なる形態をとりえない)自由民主主義よりも先に、(地域によって異なる形態をとりうる)資本主義が全地球的に普及しつつあるところ、資本主義を全地球的にコントロールする主体、すなわち世界政府が成立していないという問題点が、世界不況という形で噴出してきた、とグレンは見ているように私は思います。
しかし、世界政府を樹立するためには、自由民主主義を全地球的に普及させなければならないところ、これは容易なことではありません。
結局のところ、世界政府が樹立されるまでは、我々は現在の世界不況的な危機を何度も経験させられることになりそうです。
(完)
キリスト教・合理論哲学・全体主義(続)(その3)
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