太田述正コラム#3222(2009.4.18)
<歴史について(その1)>(2009.9.17公開)
1 始めに
昨年出た本ですが、マーガレット・マクミラン(Margaret Macmillan。1943年~)の’The Uses and Abuses of History’ とりあげたいと思います。
彼女は、英国の首相、ロイド・ジョージ(David Lloyd George。1863~1945年。首相:1916~22年。英国唯一のウェールズ出身の首相、かつ唯一の英語が母語ではない首相(ウェールズ語が母語))
http://en.wikipedia.org/wiki/David_Lloyd_George
の曾孫で、カナダ生まれのカナダ育ち、現在英オックスフォード大学の聖アンソニー校校長(Warden of St Anthony’s College, Oxford)をしています。
2 本の内容
(1)歴史の悪用
「ソ連時代の笑い話に、ロシアは過去が予測不可能な唯一の国だというのがあった。
1953年に秘密警察の長であったラヴレンティ・ベリア(Lavrenti Beria)が射殺された時、ソ連の全ての図書館に対し、ソ連百科事典のベリアに触れた頁を切り取り、代わりにベーリング海峡(Bering Strait)に関する記述を増量するよう、命令が発せられた。・・・
無意識的に、あるいは意図的に誤った<歴史的>事実認識を行うことだけが、歴史の悪用への道ではない。
誤った類推(analogy)をすることもそうだ。
それは、しばしば、リスクの高い紛争に関わることを正当化する必要がある場合に起きる。
アンソニー・イーデン<英首相>は1956年にスエズの冒険を正当化するためにミュンヘンでヒットラーに抵抗することに失敗した話を持ち出した(注1)し、対イラク戦の支持者達の何人かは、サダム・フセインの世界平和に及ぼしている脅威をヒットラーが及ぼしていた脅威に匹敵するかのように描くことを躊躇しなかった。
(注1)脱線をお許し願いたい(太田)。「・・・<時差ぼけ(コラム#3219)>は不快なだけではない。戦争を起こすことさえあるのだ。1956年に米国のジョン・フォスター・ダレス国務長官は、長時間の飛行の後にワシントンに帰った時、エジプトがロシアから相当量の武器を買ったという話を聞かされた。ダレスは、ただちに<エジプト大統領の>ナセル大佐と交わしたところの、アスワン・ダム計画への資金援助協定を破棄した。
スエズ危機は、英国の帝国的倨傲を終焉へと導くとともに、冷戦の最高潮期において、ロシアに、アフリカに最初の足がかりを獲得させた。
何年か後に、ダレスは、この時、彼が性急に行動を起こしすぎたことを認めた。
彼は、それを時差ぼけのせいにしたものだ。・・・」
http://judson.blogs.nytimes.com/2009/04/14/guest-column-who-put-the-lag-in-jet-lag/?ref=opinion
(4月17日アクセス)
この二人がどんなに罪を重ねたかはともかくとして、彼らは、ヒットラーが持っていたような巨大な産業的・軍事的資源を持っておらず、また、ヒットラーが抱いていたような全地球的な野望など抱いていなかったというのに・・。」
http://www.guardian.co.uk/books/2009/apr/18/uses-abuses-history-margaret-macmillan
(4月18日アクセス)
「・・・私は、歴史がナショナリスト集団に使われることによって、復讐のための不平感や欲望感が醸成されることは本当に危険なことだと思う。
過去について一方的な絵柄を紡ぎ出す歪んだ歴史観が多々存在する。
「我々はいつも踏みにじられ、抑圧されてきたのであって、我々はボスニアのひどいイスラム教徒達と戦わなければならない」と言った、(スロボダン・)ミロシェヴィッチによって、セルビアで何が起こったかを考えれば、それは歴史の悪用の一つの型であることが分かるだろう。
悪用のもう一つの型は、誰かが「歴史は我々に教えてくれる。我々はこれとこれをやらなければならないと・・」と言う場合だ。
私は、歴史は我々に明確な教訓を教えてなどくれないと考えている。
私は、歴史が特定のことをやれと求めていると言うことはとても危険なことだと思う。・・・」
http://www.cbc.ca/arts/books/macmillan.html
(4月18日アクセス)
「・・・<マクミランは、>ナショナリズムと民族国家(nation state)に強い不信感を抱いている。・・・
彼女は、第一次世界大戦後に、ギリシャの古の国境を回復することを目指したヴェニゼロス(Eleftherios Venizelos<。1864~1936年。近代ギリシャを創った男と称される>)の努力が何をもたらしたかに言及する。
彼女は更に、グラッドストーン的自由主義の最良の伝統に則り、ギリシャ人についてロマンチックな思いを抱き、トルコ人については憎み軽蔑していたところの、<彼女のひいお爺さんの>ロイド・ジョージによって、ヴェニゼロスが支援され唆されたということを付け加えるべきだったかもしれない。・・・
彼女は、ルナン(Ernest Renan<。1823~92年。フランスの哲学者にして作家>)の批判者の一人(注2)の言、「民族とは、過去についての誤った見解、及び、その隣人達に対する憎しみによって連帯した、人間の集団を言う」を明らかに好意的に引用している。
(注2)チェコ系米国人の政治学者カール・ドイチュ(Karl Deutsch。1912~92年)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ernest_Renan
ナショナリズムを高く評価できないのは、それが「幼児的歴史観(nursery history)」のコインの裏側だからだ。
ナショナリズムは、感情を高ぶらせる。
宗教もそうだ。平和と赦しという価値観を持っていることになっているキリスト教徒は、恐らくは特にそうだ。
だからと言って、ナショナリズムと宗教は、そもそも悪しきものであるというわけではない。
人間は完全に合理的な生き物ではなく、灌漑されることを求めるところの精神的側面を持っているということなのだ。
人間は、自分が忠誠心と愛情を注ぐことができる場所や政体に属している、というアイデンティティーの感覚を抱く必要がある、とマクミランはそれとなく記している。
しかし、<ナショナリズムと宗教という>二つのものは、歴史を通じて、利用され乱用されることによって、凄惨な結果を生み出してきた。・・・」
http://www.spectator.co.uk/books/3520996/looking-back-without-anger.thtml
(4月18日アクセス)
(続く)
歴史について(その1
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