太田述正コラム#3554(2009.9.30)
<皆さんとディスカッション(続x613)>
<ΡΡαα>(「たった一人の反乱」より)
≫岡田君、防衛がらみの話では、自分の考えを極力前面に出さないように心がけないと、とんでもないことになるぜ。・・・核兵器の先制使用の可能性を残して置くことは、四囲が海である日本にとって、最大の安全保障である、ということなんか、イロハのイなんだけどね。 ≪(コラム#3506。太田)
個人的見解と外務大臣としての見解を峻別する模様。
http://www.youtube.com/watch?v=qshpzjNK9jU の27:30~28:50
ネットレベルでは、岡田人気が上がるかもね。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0909/29/news088.html
<太田>
岡田外相は、外務省内で議論をすると言っているが、外務官僚で日本の防衛問題に通じている人間は一人もいない。
自衛官が外務省に何名も(給料防衛省負担で)出向しているけれど、彼等は出向元の陸海空自衛隊のヒモ付きで自由にモノは言えないし、今回の件で言えば、彼等の中でも核戦略に通じている者は少ない。
心配だなあ。
<昨日の新規有料読者>
すみません、返事しようと思いながらすっかり忘れてました。
B(手伝い)<(コラム#3552。MS)>ならできそうです。
<太田>
さっそくどうもありがとうございます。
Bに手をあげられた方がもう一人おられますが、あなたはMSさん同様、有料読者でらっしゃるのですから、手伝い兼幹事代行ということで、よろしくお願いします。
<US>
Chaseさん、
≫MSさんは直接Chaseさんに、そして、USさんとべじたんさん等、それ以外の方は私に対し、これらの図等にについてコメントがあれば、お寄せください。≪(コラム#3542。太田)
下記、2つのテーマについて記述されている内容を拝見しました。
#7 吉田ドクトリンの起源 http://blog.zaq.ne.jp/fifa/article/216
#8 吉田ドクトリンの波及 http://blog.zaq.ne.jp/fifa/article/217
特に図表について、気づいた点を述べます。
今後のご参考となれば幸甚です。
〔吉田ドクトリンの起源〕
一 図の中で、“吉田ドクトリン”が絵の下の方に突然現れます。
この出現するさまを示すまえに、別の絵でも文章でもよいのですが、吉田ドクトリンとは何ぞやの説明があればよいと思います。
私自身は、吉田ドクトリンは、まだ一般用語ではないと思っております。
よって、読みやすい読み物を目指されているのであれば、まずは、吉田ドクトリンの説明からスタートするのがよいと思います。
二 怒りの原因たる4項目のうちの“日本の植民地権益喪失”だけが、日本が主語となっており、読み手が混乱します。他3項目と語調をあわせ、“日本の植民地権益剥奪” などの方がよいと思います。
三 原文
http://blog.ohtan.net/archives/50955584.html,
http://blog.ohtan.net/archives/50955583.html
によると、共産主義助長、植民地権益剥奪、憲法9条押し付けが敗戦時までの米国の対応または要求で、これを吉田は、国体護持のため緊急避難的に受け入れたとあります。
その後、そのような経緯がありながら、朝鮮戦争勃発時には、手のひらを返したごとく、米国側から参戦要求があったため、キレて、断固再軍備拒否となったとあります。
つまり、前者3項目に対する怒りと後者1項目に対する怒りでは、怒りの爆発度が違います。絵で解説するならば、後者1項目に対する“怒り”にのみフォーカスをあて、その怒りの結果、再軍備拒否となったことを示したほうが、読み手に共感を持って理解していただけると思います。
(正直、吉田が怒ったか否かは典拠がありません。しかしながら、前者3項目よりも後者1項目については、吉田が怒ったかは否かはさておき、一般感情として、共感を得られるものと思います)。
四 上述したとおり、吉田の怒りの結果生まれたのは、まずは、再軍備拒否で、それが、いつしか吉田ドクトリンとなった、と表現した方がより正しい説明となると思います。
五 きっとその場に居合わせれば、参戦要求に対し断固拒否を貫いた吉田の姿勢に拍手喝さいしていたかもしれないくせにこんなことを指摘するのは卑怯極まりないですが、参戦要求があったこのときこそが属国脱却のチャンスであったにもかかわらず、それを一時の感情の流れにまかせて棒にふってしまうとは、まことに、一国の総理としては痛恨の間違いを犯したと思います。
この点を、さりげなく絵におさめるか否かは判断をお任せしますが、読み物としては、読者が食いつくポイントではあると思います。
〔吉田ドクトリンの波及〕
六 “吉田ドクトリンが日本をだめにした”は、この絵のタイトルではなく、#7, #8 をくくったときのタイトルとしてふさわしいと思います。
章のタイトルが吉田ドクトリンが日本をだめにしたとし、その章の構成として 1)吉田ドクトリンとは, 2)吉田ドクトリンの起源, 3)吉田ドクトリンの波及 という順序で説明していくのがわかりやすいと思います。
七 ちなみに、“吉田ドクトリンが日本をだめにした”という表現は、氏の考えを正確にはあらわしていないと感じています。
吉田ドクトリンを選択、墨守したのは、自民党、その自民党を政権与党の座においたままにしていたのは私たち日本国民です。
“吉田ドクトリンが日本をだめにした”章に、4)吉田ドクトリンを墨守してきたのはあなた自身 などという一節も加え、読者自身の問題意識として持ってもらえるような内容もあってもよいかと思います。
八 おそらく、政治家がだめな理由、官僚が生活互助会化した理由および外務・防衛以外もだめになった理由の3つをまとめて表現されようとしているものと推察します。
ちょっとたて列だけでその3点の論理関係を説明しきるのには無理があるかなと感じます。
吉田ドクトリンが麻薬でそれがどのように政治家、官僚組織を蝕んでいくかを示せればよいのであれば、縦列にこだわることなく、政治家が蝕まれている様子(A)、官僚が蝕まれている様子(B)、外交・安全保障以外の省庁が蝕まれていく様子(C)を別々に示せばよいと思います。Cは、A、Bが原因で発生するので因果関係があるので、A,Bの絵の下に配置するとよいと思いますが、A、B間は、どちらが主でどちらが従というものでもなく、あえて図示すると、お互いがお互いの生存を確かにするために補完しあっている(=癒着している)絵がよいと思います。
他のテーマについても拝読の上、後日、コメントいたします。
皆さんで本を書くことになったのですね。
太田コラムを読み解くのに苦労している読者の一人として、Chaseさんの試み、期
待しております。
<Chase>
太田言説への深いご理解の上でのご指摘ありがとうございます。
先般のMSさんからのご指摘もそうですが、なるほどと思うものばかりです。
よく考えた上で、また修正したものをUPしていきたいと思います。
なお、図解の修正UPはとりあえず修正といく趣旨ですので、最終的には、複数案見ながら、太田さん、MSさん、べじたんさん、USさん等との面対等の場で最終的なものとしていければと思っております。私案(修正含む)をごり押しする積りは一切ございません。
先習生の皆様のご指摘に目のくらむところではありますが、努力してまいりますので今後ともご指導のほど、宜しくお願いいたします。
<太田>
記事の紹介です。
「・・・日本の保健行政や医療行政のパーフォーマンスは、日本人の平均寿命の世界有数の高さからみて、極めて高いと言えると思うよ。・・・」(コラム#3536。太田)は、国際的な常識みたいね。↓
「カナダの非営利調査機関「コンファレンス・ボード・オブ・カナダ」は二十八日、先進国の医療制度ランキングを発表し、日本は十六カ国中で一位に、米国は最下位となった。
・・・平均寿命やがん死亡率、乳幼児死亡率など十一項目で評価。・・・」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009092902000231.html
支那語のアルファベット表記をつくった人物についての記事↓が出てました。
Zhou Youguang<(周有光。1906年~)>
http://www.guardian.co.uk/world/video/2008/feb/20/zhaou.youguang.pinyin (太田)
was a child of 6 when a revolution toppled China’s last emperor in 1912. He was 43 when he says he left a Wall Street banker’s job to help Mao Zedong’s Communists create what he thought would be a democracy after decades of warlord rule, occupation and civil war.
Now 103, he has seen China transformed from a country of 368 million being carved up by foreign powers to a nation of 1.3 billion and the world’s fastest-growing major economy. He says he still believes China will eventually become a democracy — in spite of communism, not because of it.・・・
In 1955, Mr. Zhou, <an economics professor,> whose hobby was linguistics, was asked during a Beijing conference to lead a group creating a standardized system of writing ・・・
Mr. Zhou’s pinyin(ピンイン) system, which turned Peking into Beijing, uses markers to identify which of Mandarin’s four tones to use. It became the national standard in 1958 and has helped reduce China’s illiteracy rate to 10 percent today from about 80 percent in the 1950s.・・・
・・・in the late 1930s・・・Zhou Enlai(周恩来) — who would become China’s premier in 1949 — held monthly get-togethers with intellectuals, including Mr. Zhou, who worked for Sin Hua Trust & Savings Bank, which was founded in 1914 and became part of the Bank of China in 2001.
“Zhou Enlai told me at those meetings that the Communist Party was a democratic party,” Mr. Zhou said.・・・
In 1949, the “common people trusted the Communist Party,” he said. Looking back over 60 years, he now believes that the party, which he never joined, “cheated the Chinese people. They destroyed everything, especially the intellectuals.”・・・
http://www.nytimes.com/2009/09/30/world/asia/30iht-letter.html?_r=1&ref=world&pagewanted=print
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太田述正コラム#3555(2009.9.30)
<3人の従兄弟の皇帝達(その1)>
→非公開
皆さんとディスカッション(続x613)
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