太田述正コラム#3503(2009.9.4)
<イギリス大衆の先の大戦観(その6)>(2009.10.3公開)
7 終わりに
(1)英国人及び英国
これだけ、外国人を切りまくっているロバーツですが、さすがに、若干は英国
人自身にも批判的なことを言っています。
「<地中海上の>英領マルタ島の責任者であった、トチ狂った英国の官吏は、
安息日の決まりを遵守することを船から貨物を下ろすことよりも優先させた結
果、とてつもない被害が生じた。
もう一人は、鉄条網の使用を制限する平時の諸規則を守ろうとしたために、極
めて重要なコヒマ(Kohima)・・インドの玄関口・・での戦いですんでのところ
で負けるところだった。
ビルマでのチンディット(Chindit)作戦の英雄であるオルド・ウィンゲート
(Orde Wingate)は、熱烈な裸体主義者であるとともに一度も入浴したことがな
かった。(彼は、その代わり、固いブラシで体をこすった。)・・・」(D)
こんなもの、批判というより、イギリス人がいかに個性豊かであるか、自慢し
ているようなものですが・・。
そして、英国がやったあらゆることを弁護しています。
「・・・連合国によるドレスデンの爆撃については、彼は戦後後知恵でそれが
戦争犯罪であったと批判する者達に対抗し、恐るべき数の事実と議論をかき集め
ている。
彼は、ドイツによる1941年のユーゴスラヴィアの爆撃は、同じくらいの人々を殺したと記す。
しかし、そのことについて、覚えている者も、苦情を述べる者もほとんどない
と・・。・・・」(D)
「・・・戦争の最後の冬におけるドイツの町々に対する大量爆撃に関する彼の
議論では、ロバーツは、1945年2月のドレスデンの爆撃に関・・・し、(一番最近における専門家の)フレデリック・テイラー(Frederick Taylor)と、それが正当な目標であり、ロシアの要請があり、ドイツ軍の武器製造の中心であって枢要な鉄道分岐点であったという考え方で一致している。・・・」(I)
「ロバーツは、枢軸国と共産主義者達の残虐行為は身の毛がよだつ詳細さで列
挙するが、英米の不始末についてはほとんど語らない。
こういうわけで、彼は、トレント・パーク(Trent Park)収容所に入れられた
ドイツの将官達の捕虜からの盗聴で、彼等がナチスの戦争犯罪の全てを知ってい
たことを暴露しつつも、彼は、ドイツ軍捕虜数百名に対し拷問が行われた、ケン
ジントンの尋問センター、いわゆる檻(cage)については黙して語らない」。・・・」(E)
(2)マゾワーの所見
「ナチスの占領地統治」シリーズ(コラム#2790、2792、2796)で、著書を紹介したことがあるマゾワー(Mark Mazower)の、先の大戦論のコラムは、結果的にロバーツ批判になっているので、ご紹介しましょう。
「・・・ Dデー<(ノルマンディー上陸作戦)>がついにやってきた時、それ
は、ここ数年における山のような出版物から我々が抱くところの、それが圧倒的
に決定的な出来事であったという印象とはかけ離れたものだった。
ほぼ時を同じくして行われたソ連の攻勢であるバグレーション作戦
(Operation Bagration)について耳にした人はどれくらいいるだろうか。
この作戦には、<Dデーが相手にしたものの>10倍近いドイツ師団が関わり、
ドイツの3つの軍が殲滅された。
よもや、少ないとは思わないだろうね。
にもかかわらず、Dデーの記念行事の間、全くこちらは話題にならなかった。
しかし、バグレーション作戦は、ノルマンディーで起こりつつあったことなど
かすんでしまう、史上最大で最も成功裏に終わった奇襲攻撃だったのだ。
ソ連が、戦前の西側国境の外へと進撃したのは、これが初めてであり、これ
は、ナチスに対する戦争に本当に勝利したのは赤軍であったことを再確認させる
ものだ。・・・
<また、>戦争が終わった後に、スバス・チャンドラ・ボースがやったことを
裏切りと片付けることは簡単なことだ。
彼はガンジーのかつての片腕であり、ヒットラーと日本の助けを求めた。
しかし、彼が誰を裏切ったというのか。
彼の主たる落ち度(fault)と言えば、ドイツや日本が真剣に彼を助けようと
してくれると考えたことだ。
しかし、戦争が英国による植民地支配に終焉をもたらすに違いないとの彼の見
方は、彼のかつての国民議会派の同僚達も共有しているところだった。
こういうわけで、欧州の外から眺めると、英国のナチスに対する戦いは道徳的
十字軍というよりは、全球的現状維持を図るもののように見えてくる。
すなわち、自由と自決権のための戦いとは言っても、・・・<英国の>植民地
においてはそうではなかったということだ。
・・・中東でも同様だった。
ドイツが、石油供給を確保するために親独政権をそこで獲得できておれば、戦
争は違った帰趨をたどったかもしれない。
英国がシリア、エジプト、そしてイラクに介入したのは、それを回避するため
だった。・・・
<このような、>全球的視点を我々は無視すべきではない。
インドや日本から眺めると、この戦争は、競い合う帝国主義諸国間のものであ
り、1世紀以上にわたって、欧州諸国がどう世界を分割するかを戦ったことのク
ライマックスだったのだ。
英国がドイツよりも強力な同盟諸国を持ったのは、、英国政府(Whitehall)
が<ナチスに比して>優位にあった様々な魅力のおかげと同じくらい、ナチスの
落ち度のせいでもある。
というのも、ナチスは、スターリンを背後から一突きしたり、スペイン人とフ
ランス人、そしてハンガリー人とイタリア人を侮蔑したりしたからだ。
こうして、ドイツは欧州における帝国を失い、英国は欧州の外における帝国を
失ったのだ。・・・」
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/sep/02/second-world-war-nostalgia-myths
(9月3日アクセス)
(3)私の所見
すぐ後で述べる一点を除き、私はマゾワーの言うことに完全に同意です。
先の大戦において、日本と、ボースに象徴されるインドの人々は、どちらに
とっても結果的にですが、欧米諸国による植民地支配を終わらせるために、事実
上、手を携えて英米と戦い、その目的を達したという意味における限りでは、こ
の戦争に勝利したのです。
私が同意しがたい一点とは、「ドイツ」とは違って、「日本<は>真剣に
<ボース>を助けようとし」た、と考えているからです。
インパール作戦やボースについて書いた、コラム#264、922、1249~1252、
2142を参照してください。
(完)
イギリス大衆の先の大戦観(その6)
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