太田述正コラム#3311(2009.6.2)
<芸術論(続)(その1)>(2009.10.11公開)
1 始めに
 ダットンの芸術論をまずご説明したのは、6日のオフ会の際の私の「講演」の時に援用するにふさわしいからであり、私自身、ダットンの説が正しいと思っているわけでは必ずしもありません。
 そこで、今度はニュージーランドのオークランド大学の英語学教授のブライアン・ボイド(Brian Boyd)が ‘On the Origin of Stories: Evolution, Cognition, and Fiction’ を出版したばかりであるところ、彼の説のさわりをご紹介しましょう。
 正直言って、この本の書評や、ボイド自身による解説を読んでも、今一つ腑に落ちないところがありますが・・。
2 ボイドの芸術論
 「・・・ボイドは・・・<ダットンの>性的淘汰という仮説に対し、動物は、通常、性的見せびらかし目的ではなく協力目的で歌うものである、と反駁する。
 彼の・・・理論は、芸術は知覚的遊び(play)であるという観念から始まる。
 人間や他の知的な種は、子供達のやるバランスと調整の技を駆使するところの戦争ごっこのような身体的遊びに長い期間ふける。
 これは、彼ら自身が大人になったときに直面するであろう様々な状況に対処する訓練をやっているのだ。
 芸術は、母親達と子供達の歌から始まり、我々の脳を訓練してくれる。
 知覚(cognition)は、第一に、かつもっぱら、パターン認識であり、芸術は凝集した(concentrated)パターンなのだ。
 しかし、人間はすこぶるつきに社会的な動物・・これこそ我々の進化的成功の源泉・・でもあり、少人数の人間集団の生活は、類人猿の研究が示唆する(とともに日常的な経験がそれを裏付ける)ように、社会的知覚・・アイコンタクト、関心の共有、地位の階統性についての自覚、他人が感じているであろうことに対する感受性、意図すること、発見すること、信じること・・に向けて恒常的に努力することを求められる。
 ここに物語ることが登場する。・・・
 フィクションは、ボイドに言わせれば、社会的生存という枢要なる営みに向けて我々の脳を訓練する方法なのだ。
 <フィクションには>他の効用もある。
 フィクションは、我々の経験の幅を広げ、共感することを教え、向社会的感情を発達させ、我々に代替的な様々な可能性を想像することを促すことによって我々の創造力を高める。
 これらはすべてとても魅力的なことだ。・・・
 しかし、理論がもっともらしいからと言って、それがただちに正しいということにはならない。
 物語ることは、文字無くしては、記録が残されていないため、ボイドの理論付けは類推と演繹だけに依拠しているからだ。
 類人猿はこうする、子供達はああする、現代の狩猟採集者達は他のことをする、だから原始人類はこうしたに違いない、と。
 あるいは、フィクションはこれらの諸機能に役立つ、よってフィクションは常にそうだったに違いない、と。
 この種の思考方法は、巧みかもしれないが、科学とは言えない。
 それに、機能的変遷という枢要なる現象を見過ごしている。
 特定の目的のために出現したものが、やがて様々な他の目的のためのものになるかもしれないのだ。
 第一、物語ることが始まったのが1万年前なのか、4万年前なのか、それとも10万年前だったのかが分からないだけでなく、フィクションを物語ることがいつ始まったかだって分からないのだ。
 フィクション性の問題は、この分野の研究において最も議論されてきたことの一つだ。
 古の狩猟採集者達が事実に立脚した物語を語ったであろうことは想像に難くない。・・・
 しかし、一体どうして誰かが、この種の真実の価値を持たない物語を語ろうなどと欲したのだろうか。
 とりわけ、一体我々はいつからそんなことを始めたのだろうか。
 この問いは、我々にはフィクションのように見えるいくつかの物語が、そのもともとの聴衆にはそうは見えなかったかもしれないということを思い起こすとき、一層悩ましいものとなる。
 ホメロスは、自分がフィクションを創造しているとは思っていなかったのだ。
 ルネッサンスの間に小説は再登場するのだけれど、欧州の文化がフィクション性・・事実に立脚していなくても真実であるものがありうるという観念であるところ・・の考え方に慣れるまでには、実に数世紀を要したのだ。
 ボイドは確かに一つの理論を生み出したわけだが、それは、理論という言葉の常識的な意味においてにすぎない。
 すなわち、すばらしいアイディアだがそれを支える証拠が大してない、という・・。」
http://www.thenation.com/doc/20090608/deresiewicz/print
(5月30日アクセス。第一シリーズで登場)
 「芸術は、人間独特の適応(adaptation)なのだ、とボイドは主張する。・・・
 聴衆の関心を惹き付けることこそ、ボイドは、あらゆる物語る人々が直面する根本的な問題である、と強調する。・・・」
http://philosophysother.blogspot.com/2009/05/pub-boyd-brian-on-origin-of-stories.html
(6月2日アクセス。以下同じ)
(続く)