太田述正コラム#3567(2009.10.6)
<イギリス女性のフランス論(その2)>(2009.11.6公開)
 (2)経験篇
 「・・・フランス人達が我々を真に悩ませるのは、彼等が、我々<イギリス人>が彼等をどう考えているかなど大して気にしていないことがはっきりしていることだ。・・・
 <だけど、それでもあえて言おう。>
 ・・・フランスの学校は、オリジナリティーを抑圧し、子供達に順応することを強いる。
 その文化は経験よりも抽象に高い価値を置く。
 <このことと関係あるのかどうか、フランスにおける>フェミニズムの観念は、衝撃的なことに広告板に描かれたヌード・モデル<に象徴されている>。
 ・・・ この抽象と順応への偏好は、彼女に言わせれば、フランス人達から皮肉(irony)<の感覚>と、数少ない移民及びその他の非順応者達の出身の者を除き、まともなコメディアン<が出現する可能性>を奪ったのだ。
 <英仏の>フェミニズムの違いは、フランスの男女関係が友好的であって、少女達が恥をかく恐れなくして少女的たりうることからおおむね来ている。・・・
 ワダムの夫であるローラン(Laurent)の同僚・・・が彼女を自分の情婦になるよう誘った時、彼女はそのことを夫に告げたが、夫はさして気にかけなかった。
 <その結果、>彼女はこの誘いを拒否したが、ローランと離婚した。・・・
 オリヴィエ(Ollivier)は、<著書の>’In What French Women Know’<(前掲)>の中で、どうして典型的なフランス人が「喜びを与えたり与えてもらったりすることについて、<イギリス人>よりもよく知っているのか、換言すれば、フランスの女性が、恐らく、どうして、我々<イギリス人よりも>もっと罪の意識から解放されて、セックスをやったり、パン菓子を食べたりしているように見える」のか、と問いかける。
 その答えだが、要するに、フランスの女性は、大部分がカトリック教徒である国としては逆説的だが、罪の意識が<イギリスの女性より>少ないからだ。・・・
 フランス人の女性は、他人がどう考えているかを気にせず、実際にはそうではないのに、あたかも自分がすさまじい美人であるかのようにふるまうのだ。・・・
 <フランス人について>これまで決まって言われてきたのは、ミエミエの傲慢さ、勤労倫理の弱さ、欠陥ある個人的衛生、性道徳の弛緩、そして犬とたわむれながらの散歩だ。
 このところ確立されつつある、フランスについてのステレオタイプは、グローバリゼーション、テクノロジーによる非人間化、そしてその他の憂うべき現代における諸傾向、に抗する砦であり、くつろいで人生を享受する人々の地である、というものだ。・・・」(A)
 「・・・ワダムは、どちらかというと乱暴な形で、フランス人の誘惑の技、すなわち放蕩道(libertinage)、について学んだ。
 これは初期に訪れたことだった。
 夫のいかがわしい友人が彼女に自分の情婦にならないかともちかけたので、彼女は笑ってこの誘いを退けた。
 彼女がより驚愕したのは、夫の反応だった。
 「そういうことがあったとしても、私に告げてなんか欲しくなかった」と言ったのだ。
 いかがわしい誘惑者は、彼女が浮気っぽい様子だったのでこういうことになったのだと彼女に伝え、話を更にややこしくした。・・・
 ・・・<ワダムが離婚を決意してからも大変だった。>
 フランスは、恐らく、イスラム世界以外では、<離婚に係る>法律が完全に男に有利になっている、世界で唯一の国だからだ。・・・」(B)
 「・・・これは知られていることだが、夫以外に、フランス人の女性は、婦人科の医師とも結婚する<ようなものだ>。
 私自身の経験によれば、フランス人の女性には、英国人がどうして<オルガスムが得られない時に、婦人科ではなく、>一般医(GP)の所に行かなければならないのかが理解できない。
 ワダムは、もちろんこのことを他人から聞いたのではなく、自分自身で直接体験したわけだ。・・・
 これは、<フランス特有の>快楽(pleasure)のカルト<とでも言うべきものから来ているの>であって、女性達を、美しいことが主たる目標であるところの台座の上に置く。
 この快楽及び美のカルトと、母乳を与えることとは逆説的関係にある。
 当局にとっては、母乳を与えることは良いことなのだ。
 しかし、ワダムが出産後9ヶ月目まで母乳を与えるつもりだと示唆したところ、「そこまでする必要はない。<乳児は>3ヶ月間で必要な免疫をすべて与えられるからだ。」と言われてしまった。・・・
 医療面での<イギリスとの>もう一つの大きな違いは、座薬だ。
 フランス人は座薬が大好きだ。
 ワダムは、この観念に慣れ、やがてこれは理屈が通っていると思うようになった。
 痛み止めでも何でも、体に直接運ぶわけだからだ。・・・
 <フランス人にとっての>「秘密の園」には、パートナーが気づかない限りにおいて、かつ「情事の相手」が家族環境の中に闖入してこない限りにおいて、情事にふけり、快楽を追求することが含まれている。・・・
 <また、>彼女は、彼女の子供達から学び、また子供達を通じて物事を考えてきた。
 彼女の息子は、3歳の時にまだお絵かきで「オタマジャクシ男」を描いていたところ、保育園の先生が、彼を精神科医のところに連れて行くよう促した。
 (この息子は、後に哲学を成功裏に学び、彼女をより一層啓蒙した。)
 フランスで大きくなった彼女の娘のエラ(Ella)は、パリでは男が見ていても気が付かなくなったけれど、ロンドンでは、誰も見てくれないことに気付くという所見を述べた。
 <我々イギリス人にとっては、>「眺めることは不作法だ」とワダムは言い訳をする。・・・<そして、>「しかし、エラにとっては、当然のことだが、無視されることは不作法なのだ」<と付け加える。>・・・」(C)
 「・・・フランス人は、子供を産んだ後、会陰部を整える。・・・
 ・・・プロテスタントの英国と米国では、愛抜きのセックスは「汚らわしい」けれど、少なくともパリのブルジョワの間では、「良いセックスは日常生活の単調さから自分自身を飛翔させるための最も満足すべき方法なのだ。」・・・」(D)
(続く)